カール・マルクス


「資本論」 (第1巻)

 

訳者  宮 崎 恭 一

(1887年にイギリスで発行された版に基づく)

 

 

カール・マルクス

資 本 論


第一巻 資本の生産過程

第四篇 相対的剰余価値の生産

第十四章 分業と工場手工業



第一節

工場手工業の二重の起源



 

  (1) 分業に基づく協同作業は、工場手工業においてその典型的な形式を身に纏う。そして、正確にそう呼ばれる工場手工業時代全期において、資本主義的生産過程に広く行き渡った特徴的な形式となった。その時期とは、おおまかに云えば、16世紀中頃から18世紀の後半1/3期に渡る。

  (2) 工場手工業は、その起源を、次の二つの経路に持っている。

  (3) ( 1.) 一人の資本家の指図下にある一つの工場に集められた労働者は、独立した様々な手工業に所属しているが、ある与えられた品物は、完成のためには、彼等の手を通らなければならない。例えば、馬車であるが、以前は、非常に多くの独立した手工職人達の労働による生産物であった。すなわち、車輪作り職人、馬具職人、幌職人、金具、シート、ろくろ、房飾り、ガラス、塗装、磨き、金箔貼り 等々の職人達の であった。しかし、馬車の工場手工業では、これらの様々な職人達が一つの建物内に集められて、お互いに相手の手の間々で仕事をする。確かに、馬車はそれが形になる前に、金箔を貼ることはできない。だが、数多くの馬車を同時に製作しているとすれば、そのうちの幾つかが金箔貼り工の手に掛かっている間、他の台数はその前の工程を進行している。そこまでならば、我々は、使う材料等を人と物の形で見つけ出す単純な協同作業の領域内に依然として留まっている。だが、直ぐに重要なる変化がやって来る。仕立屋だろうが、鍛冶屋だろうが、その他の工芸職人だろうが、今や、馬車製作そればっかりに従事させられ、彼の昔のありとあらゆるものづくりをこなしたあの能力を、それらの仕事が無くなることから、徐々に失うことになる。そして他方、彼の能力は、狭い行動局面に最適化された形式という溝に閉じ込められることになろう。当初は、馬車製作は、様々な独立した手工業の組み合わせである。それがある程度経過すれば、それが、馬車製作という様々な細かな工程に分割されて、それぞれが特定の労働者の排他的な機能に結晶化してしまう。工場手工業は、全体として、それらの人々の接合によって運用される。同様に、布製造手工業も、その他の全ての工場手工業も、一人の資本家による支配の下に集められた、それぞれ異なる手工業の組み合わせとして表れることになる。*1

  本文注: *1 より近代的な例を示す。リヨンとニームの絹紡績と絹織物業である。「これらの業種は、全くの家父長制で、大勢の婦人と子供を雇用しているのだが、疲労や荒廃に追い込んだりはしない。そこでは人々をドロームや、バール、イゼール、ボークルーズの、彼等の美しき谷に住まわせ、彼等の蚕を育て、彼等の繭をほどく、真の工場製造業には決してならない。とはいえ、労働の分業の原理は、ここでも特別の性格を示す。そこには、明らかに、糸巻工、糸繰り工、染色工、整糸工、そして最終的には機織り工が存在している。だが、彼等は同じ工場建屋に集められてはおらず、一人の工場主に依存もしていない、彼等はすべて独立した存在なのである。」( A. ブランキ 「産業経済学講座」A. ブレイズ偏 パリ 1838-39 ) (フランス語 ) ブランキがこの様に書いた以後においては、ある程度は、様々な独立の労働者達は、工場の中に結合された。[そして、マルクスが上のように書いた後は、力織機がこれらの工場に侵入し、そして、今1886年では手織り機に取って代わりつつある。(ドイツ語版第4版に付け加えた。(イタリック) クレフィールド絹産業もまた、明らかにこの主題を示す話しを持っている。) フレデリック エンゲルス ]

  (4) ( 2.) 工場手工業は、また、このような多様な職種の寄せ集めとは全く違った方法でも現われる。多くの手工職人達が、一人の資本家によって同時に雇用され、彼等はすべて同じ仕事をするか、同じ種類の仕事をする。例えば、製紙、活字、または縫い針である。この協同作業は、それの、最も初期的な形式である。これらの各手工職人達は、( 多分一人または二人の見習い工とともに ) 商品の全体を作る。従って、彼は、その生産に必要な作業のすべてを一連のものとして作業する。彼は依然として、彼の古き手工芸的な方法で作業する。しかし直ぐに、外部状況が、労働者を一ヶ所に集めて、彼等の仕事を同時に行うようにするために、違った使い方を始める。恐らく品物のある増加量がある与えられた期間内に配送されなければならない、となれば、作業は再分割再構成される。それぞれの者が一連のすべての様々な作業を行うことが許されていたのに代わって、これらの作業が互いに関連のない個別の系列に変えられ、同じように並んだ、別の職人のそれぞれによってなされるようになる、そして彼等のすべての作業が平行して、同時に、共に協同作業する労働者達によって遂行される。この偶然の繰り返しがさらに繰り返されて、それ自体の有利さをさらに発展させ、そして次第に、組織的な労働の分業へと硬直化する。商品は、独立した手工職人の個々の生産物であることから、手工職人の結合体の社会的な生産物となる。職人達のそれぞれは、一つの作業をし、ただ一つの作業をし、ある一構成要素の部分的作業を行う。ドイツのギルドに属する製紙業のケースでは、同じ作業が互いに混ざり合って連続した一つの手工職人の仕事となっていたが、オランダの製紙工場手工業では、多くの部分的作業として、並んで、多くの協同作業労働者達によって行われた。ニュールンベルグの針製造ギルドは、以後の英国の針製造業が成立する基礎石となった。そうではあるが、ニュールンベルグでは、一人の手工職人が、多分20程の作業を次々に行うものであったが、英国では、今では、20の針手工職人らが並んで、それらの20の作業の一つを行った。そして、そのさらなる経験の結果として、それらの20の作業はさらに分割され、個別化され、分断された労働者の排他的な機能というべき体をも作り上げた。

  (5) この様に、手工芸から成長した、これらの工場手工業の成立様式は、二重なのである。一方では、様々な独立した手工芸の結合から産み出された。そしてそれは、彼等の独立性を細切れにして、一つの特定の商品の生産の補助的な部分的な工程へとどこまでも小さくされてしまった。他方では、一工芸部門の職人達の協同作業から産み出された。そしてそれは、その特定の手工芸を様々な細目の作業へと分割した。孤立化させ、そしてこれらの作業を、特定の労働の排他的な機能に行き着くまでに、互いに独立したものにしてしまった。従って、一方では、工場手工業は、労働の分業を生産過程に導入するか、またはその分業をさらに発展させた。また一方で、形式的には分離した手工芸を一緒に結合した。その特定の開始点がどうであれ、その最終的な形式は、少しも変わる所が無い、その部分が人間である同じ生産機構なのである。  

  (6) 工場手工業における労働の分業を適切に理解するためには、次の各点をしっかりと把握することが必須である。その第一は、生産過程を様々な一連の工程へと分解することであって、ここでは、厳密に、一対一で手工芸のそれの一連の手の作業と同一の工程への分解である。そのそれぞれの作業は、複雑なものであれ単純なものであれ、手をもってなされねばならず、手工芸の性格を保持しており、それゆえに、道具を使う個々の作業者の力、熟練、理解の早さ、そして確かな腕に係っている。手工芸がその基礎として継続している。この狭い技術的な基礎が、いかなる明確な工業的生産過程の、真に科学的な、分析をも排斥している。以来、依然として、生産物によって通過される細目の工程は、孤立化している手工芸の方法によって、つまり、手とその加工によってなされるものでなければならない。それは、まさに、手工芸的技能が継続しているからに他ならない。この方法によって、生産過程の基礎が継続しているからで、それぞれの労働者は、部分的な機能に排他的に割り当てられており、そして、それが彼の人生のすべてであり、彼の労働力はこの細目機能の器官へと変えられる。

  (7) その第二は、この労働の分業は特別な種類の協同作業であり、そして、その多くの欠陥は協同作業の一般的性格から惹起するものであって、その特定の形式から惹起するものではない。 (disadvantages と英訳されている部分である。訳者注: 普通は短所とか不利益部分とか訳されるところだと思う。分断的細目化部分の労働の協同作業は直ぐに欠陥を曝露するのであろう。この先でマルクスが当時の状況の中から何を云うのかは分からないのだが、この私が訳した「欠陥」を、なんと「利益の多くは」と向坂訳は日本語文字に置き換えている。これでは、意味が正確に伝わることにはならないと思う。協同作業の利点から、いよいよ欠陥に言及する場面であって、振り出しに戻るような話のままではないのである。単に単語の置き換え問題であるから、向坂訳の紹介は省くが。)


[第一節 終り]







第二節

細目区分労働者と彼の道具


  (1)もし我々が、より細かく見て行くとすれば、その最初の所に、彼の人生のすべてを掛けて一つの、同じ単純な作業を行う労働者がおり、彼の全身をば、自動機具に改造し、その作業に特化した道具となっている姿がはっきりと見えるであろう。その結果として、彼は、一連の継続する作業のすべてを行う工芸職人に較べれば、その部分に関してはより少ない時間でやってのける。そしてまさに、工場手工業の生きた仕組みを構成する集められた労働者は、そのように特化された細目区分労働者だけで出来上がっているのである。かくて、独立の工芸職人と比較すれば、与えられた時間内により多くのものが生産される、別の言葉で云えば労働力の生産性が増大する。*2

  本文注: *2 「沢山の様々な種目のありとあらゆる工場手工業がさらに、分岐され、異なる手工業職人に割り当てられれば、割り当てられるほど、その同じ種目の作業は、時間のロスも少なく、労働のロスも少なく、より迅速に、より巧みにこなして行くものとなるに違いない。」(「東インド貿易の利益」ロンドン 1720年 )

  (本文に戻る)さらに、この微細労働が、一旦、一人の人間の排他的な機能として確立したならば、用いられたその方法がより完璧なものとなる。労働者の、繰り返し続けられるその同じ単純な行為が、彼のそのことに注がれる集中が、経験を通じて、彼に、如何にして求めている効果が、最低の労力によって得られるかを教えるであろう。そして、そこには常に、幾世代の労働者達が同時に生きており、与えられたある品物を作る工場に共に集まって仕事をしており、技術的な能力や、商売の手管等々を修得するであろう。やがて、これらが確立され、そして蓄積され、子孫に引き渡される。*3

  本文注: *3 「楽な労働とは、受け継がれた技能のことである。」(Th. ホジスキン 「やさしい政治経済学」)

  (2)事実、工場手工業は、細目区分労働者の熟練技能を生産する。その繰り返しの生産によって、そして、工場内において、どこまでも組織的にそれを押し進めることによる。またそれは、自然に発展した取引の数々の分化が、社会に大きく広がっており、いつでもそれを用いることができるのを知っているからでもある。さて、視点を替えて、この微細労働の、一人の人間の天職とも云うべきものへの転換を眺めれば、初期的な社会に見られる性向と符合する。取引を世襲化する。それらをカースト制度に固化するか、または、ある歴史的な条件によって、カースト制度の枠に納まらないものをもたらす個人が登場するような時は、これをギルドに封じこめる。カースト制度やギルドは、植物や動物の種や変種への分化を規定する自然の法則と同じ作用から生じる。ただ、その発展度がある点に達すると、カーストの相続やギルドの排他性が、社会の法によって定められるという特異点を別にすればと云うことだが。*4

  本文注: *4 「手工芸もまた…. エジプトでは、完璧といってもいいところにまで到達していた。それが何故かといえば、他の市民階級のことに関しては、手工芸者は、他の国には見られないようなことなのだが、お節介の手を出すことを許されてはいない。が、それに代わって、かれらの氏族内で世襲と法で決められた職業にのみ従事しなければならない…. 他の国では、小売業者が、様々なものに関心を分散しているのが見られる。時には、彼等は農業を試みる、また別の時には貿易を行う、また別の時には同時に、二つか三つの業務で忙しい。自由な国では、人々は非常に頻繁に、人々の集会に参加する…. エジプトでは、これとは違って、全ての手工芸職人は、国事、または同時に幾つかの商売を行えば、厳しく罰せられる。であるから、彼等には彼等の職業への専心を妨げるようなものはなにもない…. さらに云うならば、彼等の祖先より、多くの技能を受け継いで来たのであって、新たなより優れたものを見出そうと熱心なのである。」( ディオドロス シクルス: 歴史の聖典 第一巻 第七十四章 )  

  (3)「ダッカのモスリンはその繊細さにおいて、コロマンデルのキャラコやその他の品々は、その見事さと褪せることのない色彩で、他に引けをとったことはなかった。しかも、それらは、資本とか、機械とか、労働の分割とか、その他の、ヨーロッパの工場手工業に利益をもたらした施設のようなそれらの手段を用いずに生産されたものである。織り手は孤立した個人にすぎず、客の注文によって織る。そして織機は粗雑な作りであり、二三本の枝とか木の棒を組み合わせてぞんざいにまとめたと言った代物である。そこには縦糸を巻き取るものさえないため、織機は、だから、その一杯の大きさにまで拡げられていなければならず、大変不便な大きさとなる。それは織り手の小屋に納めることはできず、当然ながら、その仕事は、外で行わなければならない。天候の急変の度に中断されることになる。*5

  本文注: *5「英領インド他の歴史的かつ現状の重要性」ヒュー マルレー、ジェームス ウイルソン 他による エジンバラ 1832年 第2巻 印度人の織機は縦型である、すなわち、縦糸は垂直方向に張られている。

  (4)この特別の技能は、世代から世代へと蓄積され、父親から息子へと伝承されたものに他ならない。そして蜘蛛が巣を作るように、この熟練に至る。さらに、依然として、このような一人のヒンズーの織り手の仕事は非常に込み入っており、工場手工業労働者の仕事を越えている。

  (5)次から次と、様々な細目作業を、一つの完成品を作り出す過程において行う工芸職人は、その時々で場所を替え、道具を替えなければならない。一つの作業から他の作業への転換において、彼の労働の流れは中断され、言うなれば、彼の労働日に隙間を作る。彼が一つの同じ作業を終日拘束されるやいなや、これらの隙間は非常に少なくなり、彼の作業がそのように変化するならばそれに応じてそれらの隙間は消え去る。その結果として得られる生産的な力は、与えられた時間における労働力の増大した支出、すなわち、労働の増大した強度、または、労働力の量の非生産的な消費の減少により生じるものと云える。度々の休息から作業への転換が無くなった部分への余分な労働力の支出は、一旦獲得した通常の速度の作業の、引き延ばされた長さと見合うことになる。だが他方では、一つの決まりきった種類の変わることなき労働は、活動のちょっとした変化に休息と喜びを見出す人間的な活気の湧出とその強さを乱すことになる。

  (6)労働の生産性は、労働者の熟練のみではなく、彼の道具の成熟さにも依存している。同じ種類の道具、例えば、ナイフ、ドリル、ギムレット(訳者注: T型ビット孔あけ)、ハンマー、その他は、様々な工程で用いられるであろう、また、同じ道具が、一つの単独の工程においても種々の目的に供することができよう。だが、労働過程の異なる作業が他と別に切り離されるやいなや、そしてそれぞれの細部の作業が、細目区分労働者の手に、過程に適合した、特異な形のものを要求するやいなや、一つの目的以上に用いられた以前の道具に変更が必要となる。この変化の方向は、その道具の変わることの無かった以前の形を引き続き使用する上での困難性によって決まる。工場手工業は、労働の道具の分化によって特徴づけされる。その分化においては、与えられた種類のある道具が明確な形を獲得し、それぞれの独特の使用に適応させられる。また、それらの道具の特殊化によって特徴づけされる。特殊細目労働者の手にある場合でのみ最大の機能を発揮する特殊な道具が与えられることになるからである。バーミンガム一ヶ所だけで、500種のハンマーが生産された。それぞれが一つの特異な工程で使われたのみでなく、一つの同じ工程の違った作業のために、数種類のものがそのことだけに用いられた。工場手工業時代は、それぞれの細目区分労働者の排他的な特別な機能に、道具を適合させ、労働の道具を単純化し、改良し、多様化した。*6

  本文注: *6 ダーウインは、彼の種の起源に関する新時代を画した著作の中で、動植物の自然的器官について、次のように述べている。「一つの同じ器官が、様々な種類の仕事をしている間は、その器官の変化性に関する基本条件については、多分以下のように考えられる。すなわち、自然淘汰はそれこれの小さな形の変化を、保存したり、抑えたりするのに、たいして気を使わない。もし、それらの器官がある一つの特別な目的だけのためにと決められたような場合を除いては。だからナイフを例にとれば、ありとあらゆるものを切るものとして用いられるならば概して一つの形をとる。しかし一つの排他的に用いられるように定められた道具は、それぞれの異なる使用法に応じて違った形を持つに違いない。」  

  (本文に戻る)この様に、この細目化が、同時に、単純な道具の組み合わせからできあがる 機械の存在 への、一つの物質的な条件を作り出したのである。

  (7)細目区分労働者と彼の道具が工場手工業の最も単純な要素である。それでは、その工場手工業の局面を全体として見て行くことにしよう。


[第二節 終り]

第三節

工場手工業の二つの基本的形式

異種業種からなる工場手工業, 連続業種からなる工場手工業


  (1)工場手工業の形成には、二つの基本的な形式がある。両者時には混ざり合うこともあるが、違った種類の形式である。そしてさらに、以後に続く、工場手工業から、機械をもってなされる近代工業への変換に関しては、明らかに違った役割を演じる。この二つの性格は、生産される品物の性質から生じる。この品物が、独立して作られる部分生産物の単なる機械的な結合によるのか、完成した形が一連の連続した工程と操作によるのかの、いずれかの結果による。

  (2)例えば、一輌の機関車は、独立した5,000個以上の部品から構成される。しかしながら、これを純粋な工場手工業の最初の部類のサンプルとすることはできない、なぜならば、それは近代機械工業によって製作された構造物だからである。しかし、時計ならばいいサンプルとなる。そしてウィリアム ペティも工場手工業における労働の分業を説明するのに、これを用いている。以前はニュールンベルグ職人の個人的な仕事であった時計は、極めて大勢の細目労働者達の社会的な生産物へと転換された。それらは、メインコイルばね工、文字盤工、渦巻きばね工、宝石穴加工工、ルビー軸工、指針工、ケース工、螺子工、メッキ工、そしてそれらに付随する様々な関連工、例えば、輪盤工(真鍮と鉄に分かれる)、 ピン製作工、ムーブメント製作工、軸玉取り付け工(輪盤を軸玉に固定し、玉周辺部を磨くなど)(フランス語)、軸受けピボット製作工、香箱部品加工工(輪盤、ばねの取り付け)(フランス語)、ゼンマイ等香箱内部組み立て準備工(輪盤に歯を加工し、正確な大きさの穴を加工する等)(フランス語)、脱進機アンクル製作工、円筒形脱進機用の円筒製作工、脱進機ガンギ盤製作工、バランス輪盤製作工、ラケット型調速器製作工(時計の緩急を補正する機構板) (フランス語)、脱進機工(脱進機専門工)、さらに、香箱仕上げ工(ゼンマイ等のための箱を仕上げる)(フランス語)、鋼鉄磨き工、輪列磨き工、螺子磨き工、数字書き工、文字盤エナメル工( 銅板の上にエナメルを溶かしてかける)、吊り掛け具工(ケースを掛けるためのリングを作る)(フランス語)、蝶番工(カバー等に真鍮製の蝶番を取り付ける)(フランス語)、ケース開閉の隠しボタン工(ケースを明けるときのバネの取り付け) (フランス語)、文字彫版工(フランス語)、文字彫刻工(フランス語)、ケース磨き工(フランス語)、等々。そして、それらの全ての細目工達(フランス語)の最後に、時計の全体を一つにまとめ、あるべきものにする仕上げ工がいる。数人の手を経る時計部品は僅か二三点で、これらの様々な細かく散乱した部品は、はじめて最後に一つの手に集められて、彼がそれらを結びつけて、機械的な全体となす。完成したその品物の中にある外的関係、そしてその様々でかつ相異なる要素が、同様の完成品すべての凡例と全く同様に、一つの作業場に細目労働者達を一まとめにするか、しないかは、偶然以外のなにものでもない。この細目作業は、ブォーやヌーフシャテルのカントーン(訳者挿入: スイス各州の時計工達の集落)がそうであるように、数多くの独立した手工業者達によってさらに長く続けられるかもしれない。が、一方、ジュネーブでは大きな時計工場手工業が存在し、細目労働者達は一人の資本家の監督の元で、直接的に協業する。とはいえ、後者の場合でさえも、文字盤、バネ、外ケースについては、その工場内で作られることは殆どない。時計商売では、労働者を集めて工場主工業を営む場合、例外的な条件を採用した方がより利益を得易い。なぜかと云えば、各自の家で働こうとする労働者達の相互の競争はより激しいものがあるからであり、また、数多くの異種業プロセスに細分化されたしまった労働には、まさに、一般的な労働の道具の使用など殆どないからであり、そして、その散らばった作業が、資本家にとっては、工場建屋他への支出が節約となるからである。*7

  本文注: *7 1854年、ジュネーブは80,000個の時計を生産したが、ヌーフシャテルのカントーンの生産の1/5にも達しない。ラ ショー-ドゥ-フォン そこにある一つの大きな時計工場手工業所と見るのだが、ですら、年ジュネーブの2倍を生産する。1850-61年、ジュネーブは720,000個の時計を生産した。「王室大使館書記官及び商工業等に関する公使の報告書 No. 6, 1863」の中にある「時計商売に関するジュネーブからの報告書」を見よ。最終的には互いにまとめられる各部品製品の生産がかくも分散されており、相互には何の繋がりを持たぬことが、この様な工場手工業をして、機械を用いる近代工業部門に転化することの困難性となっている。その上、時計の場合は、この他に二つの追加的な障害がある。その部品それぞれの微細さと繊細さであり、また、その奢侈品の如き性格である。ゆえに、それらの多種多様は、最上級のロンドンの製作所では、1年を通して同じように作られる時計は1ダースもないということとなる。機械を採用して成功しているバチェロン & コンスタンティン時計工場手工業所では、多くても3乃至4種類のサイズと形の品揃えしか生産しない。

  (本文に戻る) にも係わらず、これらの細目労働者が、自分の家で働くとはいえ、資本家(工場手工業者 企業家・事業家(フランス語))のために働くのであるから、独立の手工業者が、彼の顧客のために働くのとは全く違っている。*8

  本文注: *8 古典的な異種業種工場手工業の典型としての、時計づくりにおいては、手工業の細目分割によってもたらされた労働の道具の区別化と特殊化の、上に述べられたような状況について詳細に学ぶことができよう。

  (3)もう一つの二番目の種類の工場手工業、その完成された形式は、一連の工程を一歩づつ進展する、つながった局面を経て、品物を作る。丁度、縫い針 工場手工業の 鋼ワイヤーの様に。そこでは、72の手工程を通り抜け、時には、92のもの異なる細目労働者の手を経る。

  (4)このような工場手工業に関しては、その開始時点では、分散した手工業を結びつけ、そのように互いに分離された様々な局面の生産間に存在する空間を縮小する。その一つの場所から他への移動に掛かっていた時間は短縮される。と言う事は、この移動に要した労働も縮小される。*9

  本文注: *9「人々がかくも密接して一つ屋根の下に集まれば、その運盤作業の必要性は少なくなるにちがいない。」(「東インド貿易の利点」p. 106.)

  (本文に戻る) 手工業と較べれば、生産性が増す。そして、この得られたものこそ、工場手工業の一般的な協業という性格に負うところなのである。その一方、労働の分割が、これこそ工場手工業の顕著なる原理であるが、生産の様々な局面の分離と、相互からのそれらの独立を強いる。この分断された機能間の繋がりの確立と維持のために、一つの手から他の手へと、そして一つの工程から他の工程へと、絶え間ない輸送が必要となる。近代機械工業の視点から見れば、この必要こそ、特徴であり、また費用を要する問題点として浮かび上がる。そしてこれこそが、工場手工業に内在する原理原則なのである。*10

  本文注: *10「工場手工業の異なる各段階の分離は、手の労働の雇用によるものであっても、生産のための大きなコストが加わる。その主なコスト上の損失は、ある工程から他の工程への単なる移動から生じる。」(「諸国の産業」ロンドン 1855年 第2編p. 200.)

  (5)もし、我々が、我々の注目をある特有の原料に向けるならば、例えば、製紙工場手工業における故紙、または縫い針工場手工業の鋼線とかに向けるならば、我々は、それが完成までに様々な細目労働者達の手の段階の繋がりという連続する過程を経るのを見るであろう。また、一方、もし我々が、作業所を全体的に見るならば、我々は、原料が、同時に、その生産の あらゆる段階に あるのを見るであろう。集合した労働者は、彼の多くの手の一つの配置では、ある一つの種類の道具を持って、鋼線を引き、別の配置ではまた違った道具を持って同時に、それを伸ばし、また他の配置では彼はそれを切断し、他の配置では先端を尖らし、等々と続く。その相い異なる細目過程は、一定時間内に連続しており、同時に、場所的にも次から次へと進む。であるから、非常に大量の完成された商品が一定時間に出来上がる。*11

  本文注: *11「それ (労働の分割) は、また、全ての相い異なる部門が同時に遂行されるように、作業を分割することで、時間の節約を作る。…. 同時に、相い異なる工程全てを実施する事によって、個々の過程は分断的に取り扱われる。かくて大量の針は同じ時間で、あたかも一つの針が、切断され、または先を尖らせる、そのいずれもの工程を下手かのように、完全に仕上げられる。」(デュガルド スチュアート 既出 p. 319.)

  (本文に戻る) この同時性は、確かに、全体としての工程を形成する一般的な協業から生じている。とはいえ、工場手工業は協業のための条件をあるがままのものとして見出すだけでは無く、また、かなりの程度で、手工業労働の細目区分からその条件を作り出す。その一方で、この協業は、労働過程の社会的組織を、個々の労働者を一つの断片的細目にリベットを打って固定する様にして、その組織を完成させる。

  (6)各細目労働者の断片的生産物は、そうは云っても、ある一つの同じ完成品の進行する特殊な段階物に過ぎないのであるから、各労働者、または各労働者達のグループは、他の労働者またはグループのための原料を用意していると云える。ある一つの労働の結果は、他の労働のための出発点となる。その一人の労働者は、従って、直接的に他の者に職務を与えている。求める効果を取得するための、各部分工程に必要な労働時間は、経験によって学ばせられている。だから、工場手工業のメカニズムは、全体として、所定の結果は、所定の時間で獲得されるであろうという仮説に基づいている。この仮説に従えば、様々な補足的とも云うべき労働過程は邪魔されることもなく、同時に、進行することができ、そして次々とつながる。この直接的な作業への依存、当然ながら他の労働者への依存は、互いに、彼等のすべての者に、必要時間以上を彼の仕事に費やすことがないように強いる。かくて、継続性、統一性、規則性、秩序、*12

  本文注: *12「全ての工場手工業にとって、技能が多様であればあるほど…. それぞれの仕事の秩序と規則性は大きくなる。同じものは少ない時間でなされるはずであり、労働も少なくなるはずである。」 (「東インド貿易の利点」p. 68.)

  (本文に戻る) さらに、労働の強度すらも。これらは、独立の手工業者、または単純な協業の場合とは全く違う種類の労働となるのは、日を見るより明らかである。ある一つの商品に費やす労働時間はその生産のために必要な社会的時間を越えてはならない。商品生産においては一般的に、この規則が、ただただ競争の結果から確立されたものとして表れる。俗に云えば、生産者は誰でも、彼の商品をその市場価格で売らねばならないとなる。工場手工業においては、これとは逆に、与えられた時間において、与えられた生産物量を産み出すことが、生産過程自体の技術的な法則なのである。*13

  本文注: *13「にもかかわらず、工場手工業システムでは、多くの工業部門では、この成果を非常に不完全にしか得て居ない。何故かと云えば、生産過程の一般的 化学的・物理的な確実性をどのように用いるのか知らないからである。

  (7)とはいえ、それぞれの異なる作業は、同じ時間内では終わらない。であるから、同じ時間内では、各細目生産物は同じ量とはならない。従って、もし同じ労働者が、毎日々々同じ作業を行うならば、それぞれの作業には異なる労働者数を配置しなければならない。例えば、活字鋳造工場では、一人のヤスリ工に対して4人の鋳造工と分断工が2人である。各1時間で鋳造工は、2,000個の活字型に鋳湯し、分断工は4,000個の活字鋳を分断し、ヤスリ工は、8,000個の活字にヤスリがけする。我々は、ここに改めて、最も単純な形式の協業原理を取り上げることになる。同じことをする多くの雇用者の同時的雇用と云うことである。ただこの場合は、この原理が有機的関係を表すものとなる。工場手工業で行われる労働の分割は、社会的で集合的な労働のそれぞれ質が異なるものを単純化したり多様化したりするだけではなく、それらの労働の量的大きさを支配する決まった数学的な関係や比率を作りだす。すなわち、労働者数の相対的な設定、または労働者たちのグループの相対的な人数の設定をそれぞれの細目作業に応じて行う。つまり、社会的労働過程のさらに細かい質的な分割を産み出すとともに、その労働過程に対する量的な規則と比例関係を発展させる。

  (8)ある与えられた規模の生産をする場合、一度、最も適切な構成の様々なグループの細目労働者数が経験的に確立されたならば、その規模は、各特定のグループの倍数を雇用することによってのみ拡大することができる。*14

  本文注: *14「いつでも(それぞれの工場手工業の生産の特異な性質から) 最も有利となるように多くの工程を分割することが確かめられており、同様そのような労働者数を雇用することも確認済であるならば、その正確な倍数の労働者数を雇用しない他の全ての工場手工業はその品物の生産にはより大きな費用を要することとなろであろう。…. かくて、工場手工業が大きな規模となる原因がここに生じる。」(C. バベッジ 「機械の経済性について」第1版 ロンドン 1832年 第21章 172-173ページ)

  (本文に戻る) そこには、以下のことが生じる。同じ個人が小さな規模でやっていた作業を、大きな規模になってもそのまま行うことができる。例えば、監督とか、細目生産物の一つの段階から次の段階への運搬 等々の労働がそれである。この機能の分離や、特定の労働者を配置することは、雇用労働者の数が増大するまでは有利ではないが、全体の労働者数が増大すれば、その特定労働者の数の増加はすべてのグループに対して一様に比例的に行われることにならざるを得ない。

  (9)個々にはいかなる特異な機能が割り振られていようと、その労働者達の隔絶されたグループは、同質的な要素をなしており、全メカニズムを構成する一つのパーツである。しかしながら、多くの工場手工業においては、そのグループ自体が一つの労働の組織体であり、全体のメカニズムはこれらの基本となる有機的組織体の併置またはその倍数の有機的組織となっている。その例として、ガラス壜工場手工業を取り上げてみよう。それは、基本的に異なる三つの段階に分けることができよう。最初は前段で、ガラスの諸材を準備する。けい砂とソーダ灰を混合する等、そしてそれらをガラス溶解釜で溶けている流動化ガラス体の中に投入して溶かす。*15

  本文注: *15 英国では、溶解炉は、そこからガラスを取りだして取り扱うためのガラス炉とは明確に分かたれているが、ベルギーでは一つの同じ炉が両方の過程に用いられている。

  (本文に戻る) 様々な細目労働者たちがこの最初の段階に雇用されている。また同様、最終段階、徐熱炉から壜を取り出したり、仕分けしたり、梱包したり等々にも、雇用されている。これらの二つの段階の間に、適切な温度状態にガラスを溶解し、流動状態のガラスを取り扱う中間段階がくる。溶融炉の各取り出し口で、一つのグループが作業する。グループは「穴」と呼ばれ、一人の壜製造工または仕上げ工、一人の吹き手、一人の集め手、一人の積み手または研ぎ手、そして一人の検査工で構成される。これらの5人の細目労働者達は、ただ一つの全体としての機能する有機的組織であって、ありとあらゆる特別な器官群となっている。従って、直接的な全5人の協業によってのみ機能する。もしそのメンバーの一人が欠ければ、そのグループ全体が麻痺する。もっとも一つのガラス溶解炉には幾つかの取り扱い口があり、(英国では4から6ヶ所) そのそれぞれに溶解したガラスをたっぷり入れる坩堝があり、同じような5人のグループがそれぞれに雇用されている。その各グループは分業に置かれているが、その異なるグループ間のきずなとしては、単純な共同作業がある。生産手段という一つの共通なものを使用するからである。溶融炉をである。そうすることによって、より経済的に溶融炉を使用できるからである。そのように、炉は4−6のグループによって、ガラス工場を形成する。そして、ガラス壜工場手工業はそのようなガラス工場をいくつか包括し、準備段階と最終段階に必要な設備と労働者を抱える。

  (10)工場手工業は、様々な手工業の組み合わせから立ち上がったが、最終的には、それと同様に、様々な工場手工業の組み合わせへと発展する。例えば、英国の大きなガラス工場手工業は彼等自身が使う溶解用の坩堝を作る。何故か、その過程の成功あるいは失敗かが、非常に大きく、これらの品質にかかっているからである。ここでは、その生産物の工場手工業と、生産手段の工場手工業とが結び付けられた。また他方、ある生産物を作る工場手工業が、他の工場手工業に結合される。その生産物を原料とする工場手工業であるとか、その生産物がそのまま混合される工程をもつ工場手工業とか 等である。であるから、我々は、ある鉛ガラス工場手工業を、ガラス細工工場手工業や真鍮鋳造工場手工業と結びついて出来上がった工場手工業として見出す。後者は様々なガラス細工品に金属細工品を取り付けるためである。そのように組み合わされた様々な工場手工業は、大抵は、大きな工場手工業の個別の部門を形成する。だが同時に独立した過程をであり、それぞれの分業を担う。この工場手工業の組み合わせには、多くの利点があるにも係わらず、工場手工業は自身の基盤の上で、完成した技術システムへと成長することは無かった。それが生起するのはだだ一つ、機械によって成される工業への移行によってのみなのである。

  (11)初期の工場手工業の時代においては、商品の生産に要する必要労働時間の短縮の原則は、*16

  本文注: *16 これについては、W. ペティ、ジョン ベラーズ、アンドリュウ ヤラントン等の 「東インド貿易の利点」、J. バンデルリントから、見ることができる。これ以外のことについてはなにも述べていないが。

  (本文に戻る) 一般的に認識されており、公式化されてもいた。そして、機械の使用も、特に、大規模に実施されねばならない、ある単純な最初の過程では、大きな力の応用があちこちに広がっていた。例えば、初期の製紙工場手工業では、製紙原料の破砕は、製紙用破砕機によってなされた。金属工場手工業では、鉱石の粉砕は、連続打砕機によって実施された。*17

  本文注: *17 フランスでは、16世紀の終りに至るまで、鉱石の破砕や洗鉱に、すり鉢や篩が依然として使われていた。

  (本文に戻る) ローマ帝国は、全ての機械の初歩的な形式としてよく水車を用いたものであった。*18

 本文注: *18 機械発達史の全容は、その歴史をトウモロコシの粉挽き工場 "corn mill" にまで遡ることができる。英国の工場は今でも "mill" と呼ばれる。ドイツでも、今世紀最初の10年間の技術的な書物の中では、"Muhle" (訳者注: 英文にすれば、millとか、grinderである。) という単語が使われているのを依然として見ることができる。自然の力で駆動されるすべての機械のことだけではなく、機械そのものの本来の性質を有する機器類を備えた全ての工場手工業をも含めて使われている。(ここで茶色とした文字については、少し後で、訳者余談でその理由を書く。)

  (12)手工業時代は、我々に、偉大な遺産を伝えている。羅針盤、火薬、活字印刷、自動時計と言った発明である。しかし、全体として見れば機械は、アダム スミスが、分業を、機械で説明したように、脇役でしかなかった。*19

  本文注: *19 詳細は、この著作の第4巻で詳しく見る事になるのだが、アダム スミス は、労働の分割に関して新たな命題を一つでも確立したことはない。とはいえ、彼を、工場手工業時代の優れた政治経済学者と特徴付けているのは、分業を強調したからである。彼が機械に与えた脇役に関しては、近代的機械工業の初期に、ローダーディールに反論の機会を提供した。その後には、ユアの反対論にもである。A. スミスは、その上、労働手段の分化と機械の登場についての認識がごちゃ混ぜである。前者の場合には、細目労働者自身が主役を演じているが、後者の場合は、工場手工業の労働者ではなく、学者や、手工親方や、農民(いろいろと手がけた者ら)すらも含めてその役を演じている。

  (本文に戻る) 17世紀の機械使用の散見は非常に重要なことである。なぜならば、それが当時の偉大なる数学者達に実用的な基礎と機械科学の創出への刺激を供したからである。

  (13)多くの細目労働者の組み合わせによって出来上がった集合的労働者は、工場手工業時代の特殊な性格をもった機械と言える。様々な作業が、商品の生産者(集合的労働者: 訳者挿入)によって次々と行われる、そして生産の進展の間、その一つが他のものとぶつかりあって渋滞する。様々な所にこうしたことが起こり、彼(集合的労働者: 訳者挿入)はそれを解消するように迫られる。ある作業では、彼は力を出さねばならず、他ではもっと熟練が、また別のところでは、もっと注意力が必要である。同一個人はこれら全ての能力を同じようなレベルでは持っていない。工場手工業がかくも一旦広まってしまった後は、様々な作業は隔離され、独立したものとなった。労働者は分割され、区分され、かれらの目立った能力に従ってグループ化された。一方において、もし、かれらの自然的な資質が、分業を築き上げる基礎であると云うならば、他方、工場手工業が一旦導入された以後は、単に限定的で特殊な性質に適合させる新たな能力を彼等の中に発達させたと云うことになろう。(訳者余談の材料とした文字)



  訳者余談: 久々の登場である。茶色とした文字についてである。英文ではいずれも"Nature" である。だが、一方は自然であり、一方は、性質である。云わせて貰えば、人間の性質とはなんであるかを、同じ文字で示している。自然的資質と機械によって作られた性質の二つを見ている。人間を解剖しても、大した分析結果は得られないかもしれないが、労働者を数カ月も経験すれば、立ちどころに把握できる概念である。資本家は、この違いを認識することはまずないだろう。全くその認識をする必要がないからである。資本家こそ自然の人間の最先端にいると把握する他にはなんの認識もいらないし、それで何の矛盾も生じない。労働者から見れば、まさに機械そのものであり、資本そのものなのだが、そして自然とはまったく異なるものだが、資本家はそれが把握できない。労働が作った不自然である。その不自然を棄却することが労働の自然と分かるところである。資本論は、このように、"Nature" という文字で、人間を、労働を、歴史を、資本を書き表す。皆さんは、不当解雇を訴えて裁判で争うことはまずないだろうが、もしそうなれば、訴状には、不自然であるという文字が頻出するのを見るだろう。訴状は自然の回復の文章なのである。人間の自然こそ希求されるべきものだからである。


  (本文に戻る) 集合的労働者は、今や、同じ程度に卓越した生産のための必須の性能を持っており、彼等を最も経済的な方法までに至らしめた。彼の全ての器官をもっぱらその事だけに用い、特殊な労働者を構成し、または労働者のグループを構成し、彼等の特殊な機能を発揮する。*20

  本文注: *20「工場手工業の工場主は、異なる工程ごとに仕事を分割することによって、それぞれの工程が異なる技術レベルまたは力のレベルを要求することから、それぞれの工程が必要とする技術と力の詳細な品質を正確に購入することができる。であるから、もし全ての仕事が一人の労働者によって遂行されることになれば、その人間は、最も困難な仕事をこなすために十分な技量を持たねばならず、最も労力を要する作業をこなすためにはそれにかなう十分な力を持たねばならない。そのような作業内容に、品物が分けられている場合には。( Ch. バベッジ 既出 第19章)

  (本文に戻る) 集合的労働者の一部となるに及んで、一面的で不完全な細目労働者は、完璧なものとなる。*21

  本文注: *21 例えば、ある筋肉が異常に発達したとか、骨が曲がる等々

 (本文に戻る) ただ一つのことを行う習慣は、彼をして、失敗することのない機具へと変える。全体のメカニズムと結び付けられたことによって、それが彼を機械の部品の規則性をもって仕事を行う様に強要する。*22

  本文注: *22 いかにして、年少者をして、彼等の仕事をムラなくやり続けるようにするのか、というある議会調査委員会の質問が出されたが、ガラス工場手工業の最高支配人、Wm. マーシャルによって、非常に正しく解答された。「彼等は、彼等の仕事を放置することはよくなし得ません。彼等が一度仕事を始めたら、彼等は続けるしかありません。彼等は、まさに、機械部品そのものなのですから。」(「児童の雇用に関する調査委員会」第四次報告書 1865年 247ページ)

  (14)集合的労働者達は、機能を持つ、単純なものから複雑なものまで、高いものから低いものまで。であるから、彼のメンバー、個々の労働力は、様々な訓練のレベルを求める。その結果、それらの労働力は様々な価値を持つことにならざるを得ない。従って、工場手工業は労働力の序列化を発達させる。それにすなわち、賃金の序列化が付随する。もし、一方で、個々の労働者達がある限られた機能に適合させられ、一生をそれに結び付けられるならば、他方において、序列化された種々の作業が、労働者たちに、彼等の自然と彼等の修得した能力の両方に応じて、小分けされる。*23

  本文注: *23 ユア博士は、彼は、近代機械工業を神格化するのだが、これらの事に反論する興味も持たなかった以前の経済学者よりは はっきりと、工場手工業の特異なる性格を暴く。また、彼の同時代の経済学者で数学者として、そして機械学者として優れていた バベッジ他 すらよりも鋭く、指摘した。バベッジ他は、機械工業をただ工場手工業の視点から取り上げただけであった。ユアはこう云ったのである。「この適応は…. 個々の労働者の適応価値とそのコストは自然に形成される。そしてまさに分業の根本的性質を形づくる。」 他方、彼は、この分業について次の様に書いている。「人の違った天分への労働の適応」と。そして最後の方で、全工場手工業システムの性格について、「労働の分業または労働の濃淡に対応するシステム」と。また「技能レベルにかかる労働の分割(分業)である。」と。(ユア 既出 19-23ページの諸所に)

  (本文に戻る) とは云うものの、全ての生産過程は、ある単純な、いかなる者でも出来る操作を要求する。それらはまた、より豊穣な活動の間を繋ぐためにどうしようもなく必要であり、指定された労働者の特殊な排他的な機能に固定化される。このことは、手工業が工場手工業となるに及んで、作り出したものであって、非熟練労働者の階級と呼ばれるものである。手工業社会においては、厳格に排除された者であった。もし、それが、一方的に偏った特殊性を完璧たらしめるならば、一人の人間の全労働能力をそこへに支出させるならば、それはまた全ての発展の欠如とも云うべき特殊性が始まる。この序列的濃淡に並んで、そこに単純な労働の区分が起こる。熟練と非熟練の。後者にとっては、見習い工としてのコストが消える。前者にとっては、職人のそれと比べれば、機能が単純化されることの結果としてコストが縮小する。いずれの場合においても、労働力の価値は低落する。*24

  本文注: *24「各手工業職人は、…. その場所において、働くことによって、彼自身を完成させることが可能であった。だが、…. 単なる安い労働者に。(ユア 前出 19ページ)

 (本文に戻る) 労働過程の分解が新たなものと包括的な機能とを作り出したが、いずれも全域に及ばず、または非常に穏やかに進行した場合、手工業の場合では、この法則に例外もあった。労働力の価値の低落は、見習い工への支出の消失や縮小によって生じたが、資本に利益にかかる剰余価値の直接的な増加を意味することは紛れもない。労働力の再生産に要する必要労働時間の短縮は剰余労働の領域を拡大する。




[第三節 終り]







第四節

工場手工業における分業、そして社会における分業


  (1)我々は、最初に、工場手工業の発生について考察した。そして、細目労働者と彼の道具を、そして最後に、その仕組みの全体を考察した。さて、それでは、ここで、工場手工業における分業と、商品の全生産を形成する社会的分業との関係について少し触れて置きたい。

  (2)もし、我々が労働だけを視界に置くならば、我々は、社会的な生産をその主な分割または属を指摘するであろう。--即ち、労働一般(イタリック)としての、農業、工業、その他と。そしてこれらの属を種や亜種に裂いていくならば、そこに、特殊な分野での分業があり、そして、一人ごとの作業場での分業または、細目の分業が存在する。*25

  本文注: *25「分業は、職業の分断から生ずる。最も広くその分割が進んだところでは、工場手工業のように、一つの同じ生産物を作り出すために、幾人かの労働者達がそれぞれに分けられる。(ストーク「政治経済学講座」パリ版 第一巻 173ページ) 「ある程度の文明レベルに達した人達の間では、まず第一に、三つの分業を見る。我々はこれを一般的なと呼び、生産者の分業を、農業者、工場手工業者、そして商人である。これは、国の三大主要労働部門に呼応する。第二に、特殊なと呼ぶこともできるであろうが、各部門の分業をさらに種に分ける。…. 第三の分業は、職務の分業と名付けることができよう。または、専門労働と呼ぶこともできよう。個々の手工業から成長してきて、…. それらは、工場手工業や工場の大部分で確立された。」(スカルベック 既出 88,89ページ) (フランス語)

  (3)社会における分業は、そしてそれに相応して個々を特殊な天職に結び付けるそれ自体は、丁度工場手工業で分業の進むがごとく見えたとしても、逆の開始点から発展した。家族内に、*26

  本文注: *26 第三版へのノート(イタリック) その後の人類の原始的状況に関する追及が、著者をして次のような結論に導いた。家族がまずあって、部族へと発展したのではなく、逆に、部族が原始のものであって、同時に、人間の共同体の形を、血縁的な関係の基礎の上に発展させた。部族的な結合が緩んだことによって始めて、多くのまた様々な家族形式がその後に発展したのである。[フレデリック エンゲルス]

  (本文に戻る) そして、その後さらに進展するように、部族内に、性や年令の違いから、自然に、分業が始まったのである。であるから、分業は、純粋に、生理学的な基礎の上に築かれた。その分業は共同体の拡大、人口の増加、そしてより明確に言えば、他の部族との闘争によって、それは一つの部族が他の部族を征服することによるのだが、その分業の基盤を拡大した。他方、以前に私が述べたことだが、異なる家族や部族、共同体が接触するところに、生産物の交換が始まる。文明の初期段階においては、それは個々の個人によるものではなく、家族、部族、その他であり、それぞれ独立した形態を持ったそれらが出会うのである。異なる共同体は、異なる生産手段を見出す。そして異なる生活手段を彼等の自然環境の中に見出す。ゆえに、かれらの生産様式そして生活様式そしてそれらの生産物は異なる。それが自発的に発展した違いとなり、異なる共同体が接触する時には、互いの生産物の交換がなされる。さらに、その結果、それらの生産物が次第に商品に変化して行く。交換は生産領域にはなにも違いをつくりはしないが、直ぐに違いを関係へと結びつける。そしてなによりも、拡大された社会の集合的生産の一部門という内部的依存関係へと、それらを変質させる。後者のケースでは、労働の社会的分業が、当初は互いに別個でかつ独立していた生産領域間の生産物の交換から現われる。前者、生理学的な分業が出発点である場合では、全体を形成するうちの特異な器官がその束縛から離れ、分離して、他のいくつかの共同体と、商品の交換を始める。とはいえ、それらは互いに遠く離れて孤立したもので、単独の結束で、多くの種類の作業を繋げるだけであって、商品として生産物を交換するにすぎない。一つのケースでは、以前は独立していたものを依存関係に置き、他のケースでは、以前は依存関係にあったものを独立のものとしている。

  (4)よく発達し、商品の交換によってもたらされた全ての分業の根底には、商業地と田園の分離がある。*27

  本文注: *27 ジェームズ スチュアート卿は、この主題を最も正しく取り扱った経済学者である。だが、「国富論」(訳者注: アダム スミスの著書) の10年前に世に出た彼の小さな本は、現在でさえも、次の事実が明らかになっているにも係わらず、殆ど知られていない。マルサスを称賛する人達は、人口に関する論点を含む彼の著作の最初の版には、純粋に修辞的部分を除けば、殆どなにもなく、スチュアートからの引用ばかりであって、僅かに、ウォーレス とタウンゼントからの引用があるだけである、ということをも知らないという事実のことである。

  (本文に戻る) このことは、次のように言えるかも知れない。社会の全経済史は、この対立による運動から要約される、と。ではあるが、この時点では、我々はこの点については、跨いで行くことにする。




  訳者小余談: 跨いだ論点、商業地と田園の分離とは何か、当然ながら興味を持つ。ここで、向坂訳に触れるのだが、彼の訳は、「都市と農村の分離」となっているのである。英文は、the separation between town and country であるから、何も向坂訳に間違いはないが、私の訳との違いはその内容をいかに見せるかにある。向坂訳は、集落人口の差に行き着くが、私の訳は、その機能や自然との関係に行き着くことを狙っている。私は、私の勝利を確信してはいるが、ここでは分からない。とにかく、ここを都市と農村の分離としても、なんの感触も得られないので、悩んだ末の結論なのである。翻訳の楽しみでもある。



  (5)同時に雇用される労働者の一定数が、工場手工業における分業の物的前提となるように、工場内における固まりに呼応するように、人口の人数とその密度が、社会での分業の必要条件である。*28

  本文注: *28 「そこにある程度の人口密度があれば、社会的交易や労働生産物を増加させる力の結合にとっても、便利である。」(ジェームス ミル 既出 50ページ) 労働者数が増えれば、社会の生産力はその増加により、さらに複利計算的に増加し、その上に、分業によって倍に増加する。(Th. ホジスキン 既出 125、126ページ)

  (本文に戻る) とはいえ、その密度というものは、多少がどうであれ、相対的なものである。相対的に薄い人口密度のところでも、よく交通手段等の発達があれば、交通手段等に欠ける より大きな人口を有するところよりも、人口密度は濃い。例えば、この意味で言えば、アメリカ合衆国の北部州はより人口に富んだインドよりも人口密度は濃いと云える。*29

  本文注: *29 1861年以降、綿の需要の高まりから、米の耕作を犠牲にしてインドの人口数が多いある地域で、綿の耕地拡大が広がった。その結果、地域的な飢饉が発生するところとなったが、交通手段の不足から、その地域の米の不足を他からの支援によって補うことが出来なかった。

  (6)商品の生産と流通は、資本主義的生産形式の一般的前提であるから、工場手工業における分業は、広く社会的な分業がすでに一定のレベルにまで成長していることを要求している。逆に、前者の分業は、後者の分業に反作用し、それを発展させ、それを倍加する。同時に、労働の道具の細分化により、これらの道具を生産する製造業がより一層細分化する。*30

  本文注: *30 そのように、織機の梭の生産のための、特別の製造部門が17世紀の早い時期にオランダで形成された。

  (本文に戻る) もし、工場手工業システムが、ある製造業を占有するともなれば、その製造業が、以前は他と繋がりを持って、それが支配的なものであれ、下請け的なものであれ、そして一人の工場主のものであれ、これらの製造業は即座にそれらの諸関連は切り離されて、独立化される。もし、商品生産の独特の段階を占有するとなれば、その生産の他の段階は非常に多くの独立製造業に変換する。そこで完成された品物が単に多くの部品を互いに結合させて作り上げられているものであれば、細分労働はそれら自体を、純粋なる個別の手工業として再編するであろうことは、前に述べたところである。工場手工業においては、より完全に分業を進めるために、一生産部門は、様々な原材料に従って、または、一つかつ同じ原材料を用いる様々な形式に従って、数多くの、そしてそれなりの規模の、全く新たな工場手工業へと分割される。その様に、フランスだけで、18世紀前半には、100種類以上の絹原料が織られていた。そして、アビニョンには、「全ての見習い工は、ただ一つの種類の品物のみに自らを捧げ、一度に、いくつもの織物の準備を学んではならない。」と云う法があった。特別な地域の生産部門に限定された地域的な分業は、多くの独特の利益を追及する工場手工業システムから新たな刺激を受け取った。*31

  本文注: *31 「英国羊毛織物工場手工業が、幾つかの部分、または、その特定の地に適応する部門に、分割されてはいないかどうかはともかく、細密な布はサマーセット、粗い布はヨークシャー、尺長巾ものはエクスター、毛羽立ちもの(フランス語)はサドベリー、縮緬ものはノリッジ、亜麻と毛の混紡ものはケンダール、毛布はホイットニー、等々」(バークレー 「質問者」1751年 520節)

  (本文に戻る) 植民地制度と世界市場の幕開けは、共に、工場手工業期そのものの存在の一般的条件の中に含まれ、社会的分業を発達させるための豊富な材料を提供する。ここではこれ以上、分業が、経済面のみでなく、ありとあらゆる他の社会的局面までをも どのようにして鷲掴みするかを述べる処 とはしないが、分業は、ありとあらゆる所に、専門化と人の選別というとんでもないシステムの基礎をまき散らす。それは、一人の人の一つ能力を、他の全ての能力を犠牲にして発達させる。丁度、アダム スミスの師である A. ファーガソンをして、次のように嘆かせた。「我々は、ヘロット(古代スパルタの奴隷) の国を作った。そしてそこに自由市民はいない。」*32

  本文注: *32 A. ファーガソン「市民社会史」エジンバラ 1767年 第4編 第2節 285ページ

  (7)社会内部の分業と工場内の分業には、類似点も多々あり、また両者の繋がりも少なくない、だが、その規模という点のみではなく、その本質という点でも違ったものである。最もはっきりと表れる類似点は、様々な取引の繋がりを結びつけている目には見えない結束糸がある点であろう。例えば、牛の飼育者は皮を生産し、なめし業者はその皮を皮革にし、製靴業者は皮革を靴にする。ここにはそれぞれの者によって作られる物があるが、彼等の全ての労働を組み合わせた最終形に至る段階にすぎない。また、そこにはこの他の、牛飼育者やなめし業者や製靴業者に生産手段を供給するあらゆる種々の製造業がある。さて、この限りでは、アダム スミスが見たようにしか見えないかも知れない。社会的分業と工場手工業の分業の違いは、単なる主観であり、単に工場手工業内で見れば、多くの作業が一つの場所で行われており、一方は、前述で見た様に、広い地域に労働が散在しており、多くの人が労働の様々な部門に、目立ちもしない繋がりで雇用されているという違いにしか見えない。*33

  本文注: *33 正規の工場手工業においては、と彼は云う。分業は、より大きなものとして表れる、と。なぜならば、「様々な労働部門に雇用されるこれらの者は、大抵、同じ工場建屋内に集められることができ、観る者の視野にまとめて置かれる。これとは逆に、そのような大きな工場手工業( ! )、大勢の人々の大きな欲求を満たすために、多くの労働者を雇用する様々な異なる労働部門では、彼等全てを同じ工場建屋に集めることは不可能であり、…. 分業が非常に明解であるとは云いがたい。」(A. スミス 「国富論」第一巻 第一章 ) (訳者注: この感嘆符は、前に正規の工場手工業と書いた部分との対照となっているところをマルクスが指摘しているもの、この程度の認識と。) 同じ章の有名な一節は、次の言葉で始まる。「文明に富み成長を続ける国の、最も一般的な工場手工業者または日労働者の住まいとその内外を見よ。」等々。そして、多くの様々な製造業がごく普通の労働者の欲求を満足のためにいかに貢献しているかを表現するところへと進む。のだが、この大半の文字は、B. de マンダビーユの 「蜜蜂物語 または 私的な悪事、公益的善行」(初刊 1706年 ここには注書きはないが、1706年版には注書きがある。) の注書きの文字を複写したものである。

  (本文に戻る) さて、何が、牛飼育者、なめし業者、製靴業者の独立した労働の繋がりを形成しているのか? それは、彼等それぞれの生産物が商品という事実による。他方、工場手工業の分業を特徴づけているものは何か? そこの細目労働者は、商品を作らないと云う事実にある。*34

  本文注: *34「そこには、個々の労働にとって、当たり前の報酬と呼ぶことができるような物は何もない。個々の労働者は、全体のある一部のみを生産する。そしてその部品それぞれには、何の価値も何の有用性もない。労働者がつかみ取ることができる、そしてそれが自分のために持つ程の我が生産物と云う様な物はありはしない。」(「資本家の要求に対して、労働者が守ったもの」 ロンドン 1825年 25ページ) この見事な本の著者は、既に取り上げている、かの Th. ホッジスキンである。

  (本文に戻る) そこにある物は、ただの全細目労働者達の共同の生産物であり、それが商品となる。*35

  本文注: *35 この、社会的分業と工場手工業の分業との識別は、アメリカ北部諸州の人々には実用的に明示された。南北戦争中にワシントンで提出された新たな課税は、"全ての工業生産物" に対して6%の税であった。質問 工業生産物とは何か? 立法府の解答 "それが作られた時に" 生産された物で、かつ、売るため準備ができた時に作られたものである。では、多くの例から一つを取り上げよう。ニューヨークやフィラデルフィアの工場手工業者は、以前は、傘をそれらの関連品を含めて全てを"作る" 習慣であった。しかし、傘はあらゆる雑多な部品の混ぜ合わせであり(ラテン語 イタリック) これらの部品は、様々な場所の独立した様々な個別の製造業の生産物となりかわる。これらの物は、個別の商品として傘の工場手工業に到着し、そこでまとめられる。ヤンキー達は、このようにまとめられた品を、"組み立てられた品" と名付けたが、まさに、その名は、税の集合体に値するものであった。そのように、傘は、最初に、その要素それぞれの価格の6% が、そして、それ自身の全価格の6% がその上に乗る "(税の) 組み立て物" となった。(訳者の挿入)

  (本文に戻る) 社会的分業は、異なる産業部門の生産物の買いと売りによってもたらされる。一方、工場内における細目労働間の繋がりは、何人かの労働者の労働力が一人の資本家への売りによってもたらされる。資本家は、その労働力をあたかも結合された労働力のように扱う。工場内の分業は、一人の資本家の手への生産手段の集中化を意味し、社会的分業は、生産手段の、多くの独立した商品生産者の中への分散化を表す。工場内においては、鉄の比例法則が明確なる労働者数を明確なる機能に当てはめるが、工場外の社会では、偶然と気まぐれが様々な産業部門内で、生産者とかれらの生産手段の配分を弄ぶ。異なる生産局面には、確かに、常に均衡を維持しようとする傾向が働く。なぜならば、一方で、時に、各商品生産者は使用価値の生産に拘束されており、特定の社会的欲求を満たさねばならない。また、時に、これらの欲求の広がりは量的には異なる。それでもそこにはそれらの均衡を通常のシステムで解決しようとする内的関係も存在する。そしてそのシステムが一つの自発的な成長ともなる。そしてまた他方で、各固有の商品群に対して社会が支出できる労働時間の持ち分をどの程度とするかを、商品の価値の法則が究極的に決定する。からである。だが、この様々な生産局面で、均衡への一定の傾向が働くのは、単にこの均衡の破綻という絶え間ない事態に対する反作用の形であるにすぎない。工場内での分業では、このア・プリオリ(イタリック 訳者注:前提)的システムが規則的に働くが、社会的分業においては、ア・ポステリオリ(イタリック 訳者注:結果)的に働く。自然的な必然性として、生産者の法則のない気まぐれを制御する。市場価格の気圧計的変動が感知できるようにからである。工場内の分業では、単に資本家に所属するメカニズムの一部にすぎない人々に対する彼の疑いようもない権威を意味する。社会的分業は、何の権威をも認めない独立の商品生産者をして、ただの競争には付き合わせる。彼等相互の利益の圧力によってそれを強要される。丁度、動物王国さながら、全員による全体に対する戦争(ラテン語 イタリック ホッブズ 英国の政治哲学者 1588-1679) なによりも、全ての種が存在条件を維持するための。さて、この同じブルジョワ精神は、工場内の分業は賛美し、労働者を生涯小さな細目労働に縛りつけ、彼に資本への完璧な従属を強制し、生産性を増大させる労働の組織者たらんとする。この同じブルジョワ精神は、生産過程の社会的な制御と調整の意識的な取り組みに対しては、同じ熱心さで、非難する。財産権、自由、そして個人に属する資本を求める束縛なき行動という神聖なるものへの侵害であると。この熱狂的な工場システム擁護者が、社会の労働者の一般的組織化に対して、やたらに罵るのに、そうなれば、社会は一つの巨大な工場になるであろう、と言う以上のなにものもないのは非常に特徴的なことである。

  (8) もし、資本主義的生産体制の社会では、社会的分業の無政府状態と工場内の専制が互いに共存条件であるというならば、逆に我々は、次のものを見出す。初期的社会形式が、自然に商業的取引の分離を発展させ、そして結晶となし、最終的には法によって永久のものとし、一方で、承認された権威ある計画に基づいた社会の労働組織の実施例を、他方で、工場内の分業を徹底的に排除するか、またはそのことを単なる小人たちのものであるかまたは時々生じる偶然的に発生する範囲内のものにしているのを。*36

   本文注: *36「次のような一般法則があると云えよう。すなわち、社会内の分業に関して、それを指揮する権威が少なければ少ない程、工場内の分業はより発展すると。そして一人の人間の権威により従属させられると。そのように、分業の関係においては、工場内の権威と社会の権威は、互いに反比例する。」(カール マルクス 「哲学の貧困」他 130-131ページ この注部分はフランス語)

  (9) 古き昔のインドの小さな共同体、そのうちの幾つかは、今日に至るまでも続いているが、土地の共有に基づき、農業と手工業を取り合わせた様な形で、変えることができない分業で成り立っている。その分業は、新たな共同体が開始時に、計画と体系として手を入れまとめ、用意したものである。100エーカーから数千エーカーの土地を占有し、それぞれがまとまった全体を形成し、自ら必要とするものを生産する。生産物の主な部分は共同体自身の直接的な利用へと予め決められており、商品の形にはならない。であるから、ここでの生産は、商品の交換によっている全体的に見たインド社会からもたらされる分業からは独立している。余剰のみが商品となる。だが、その部分といえども、国家の手が届くまでは、そうはならない。国家の手を経ることによって始めて、そうなる。国家は大昔からこれらの生産物の一定量を地代相当として取り扱ってき来た。これらの共同体の形成は、インドの諸所によって様々である。そのうちの最も簡素な形式は、土地は共同で耕され、生産物は構成員に分配される。同時に、紡いだり織ったりすることは各家庭の補足的な仕事としてなされる。皆がこのようにしている他に、ある者が同じ仕事に従事する。我々は "住民の長" を見つける。判事、警察、徴税官役を一人で担っている。記録係は、収穫勘定を行い、諸々の全てを記帳する。他の公務者としては、犯罪者を告訴し、旅人を保護し、次の村まで護衛する者。隣村との境界を守る監視役、共同の灌漑用池からの水の分配を行う水監視人、宗教的行事を執り行うバラモン、子供達に読み書きを教える教師、種まきや収穫の良き日または良くない日を知らせる他、農業に関する様々なことを知らせる暦のバラモン又は占星術師、農業用具の全てを作り修理する鍛冶屋と大工、村の全ての陶器を作る陶工、床屋、布の洗濯をする洗濯人、銀細工師、そしてある共同体では、銀細工師の、他では、教師の代役をする詩人があちこちに。この1ダースの個人は、全共同体の支出で維持される。もし、人口が増加したら、新たな共同体が、同じパターンで、未占有地に、作られる。この全メカニズムは組織的分業を明確にしている。工場手工業的分業は成り立ちようもない。なぜなら、鍛冶屋も大工も他も、不変の市場を見出すだけだから。時には、村の規模によって起こる変化程度はありそうなことだが、一人に代わって二人か三人か程度で済む。*37

   本文注: *37 マーク ウィルクス中佐 「南インドの歴史的スケッチ」ロンドン 1810-17年 第一巻 118-120ページ インド共同体の様々な形式に関する的確な記述は、ジョージ ギャンベルの「近代インド」ロンドン 1852年 にも見出される。

   (本文に戻る) 共同体内部の分業を規制したこの法は、逆らうことが出来ない自然の法則の権威をもって作動した。同時に、各個々の職人、鍛冶工や大工、他は、彼の作業所において、全ての手作業を伝統的な方法で行った。とはいえ、それは独立しており、彼を制するいかなる権威も認めてはいない。これらの自給自足共同体内の単純な生産組織は、常にその同じ形式で自身を再生産する。そして、なんらかの破滅に直面しても、同じ場所に同じ名前で再び立ち上がる。*38

   本文注: *38「この単純な形式のもとで、…. この国の住民達は大昔から生活してきた。村の境界は殆ど変わらない。そして村が痛めつけられたり、戦争、飢餓、病気によって荒廃させられたとしても、同じ名前、同じ境界、同じ所有権、そして同じ家族すらが、何年も続いてきた。住民は王国の崩壊や分割に対してもなんら自身に障害を持ち込まず、村としてそのままに留まった。彼等は、いかなる権力に変わろうと、権力が委譲されようと、その内部経済を少しも変えずに保持した。」(Th. スタンフォード ラッフル 元ジャワ政府副官 「ジャワの歴史」ロンドン 1817年 第一巻 285ページ)

   (本文に戻る) この単純さが、アジア的共同体の不変の秘密の鍵を与える。この不変性は、アジア諸国の溶解と再構築と、その絶え間なき王朝の交替とは際立った対照を見せる。共同体の経済的要素の構造は政治的空の嵐の雲によってもなんら触れられる事もなかったようにそのままである。

  (10) ギルドの規則は、私が以前述べたように、一人の親方が雇用することができた見習い工と旅職人の数を最も厳格に制限したことにある。彼をして資本家になることを防いでいた。さらに云えば、彼は自分が親方である場所以外のその他の多くの仕事場で旅職人を雇用することはできなかった。 ギルドは、彼等に接触しようとする自由資本の唯一の形式である商人の資本による浸食のことごとくを執拗に追い払った。商人は、全ての種類の商品を買うことができた。だが、労働を商品として買うことはできなかった。商人は、手工業の生産物のディラーとして、たんなるお情け的な存在であった。仮に状況が変わって、より多くの分業が必要になったとしても、一つの仕事場に様々な手工業を集中させることなく、現存するギルドが自身を種々に分けるか、古いものの隣に新たなギルドを創立した。であるから、ギルド組織は、手工業の分割や、個別化や、完全化がいかに寄与するものとなり、工場手工業存立の物質的条件を作り出すとしても、仕事場での分業を排除したのである。結論的に云えば、労働者と彼の生産手段は一体のものとして残ったのである。丁度蝸牛とその殻のように。そのように、そこには工場手工業の主要基盤が欠けているのである。労働者の彼の生産手段からの分離と、それらの道具の資本への転化とが欠けているのである。

  (11) 社会の分業が広がれば、その分業が商品の交換によって持ち込まれたか、そうでないかはともかく、社会の経済構造としては普通のものとなる。が他でもなく、極めて多くの、作業所内の分業、工場手工業によって行われたものは、唯一つ資本主義的生産様式のみが作り出した特別のものである。




[第四節 終り]







第五節

工場手工業の資本主義的性格


  (1) 一人の資本家の指揮の元に労働者数が増加することは、協業一般に見られるごとく、特に工場手工業がそうであるのと同様に自然的な出発点をなす。しかしながら、工場手工業での分業は、この労働者数の増加を、技術的な必然事項とする。そこに登場するいかなる資本家でも、ここで見たように、雇用する労働者数はすでに確立された分業によって規定されている。これとは別に、労働者数を増加させることのみによってより分業の利益を得ようとするならば、ただ、それらの様々な細目グループ数の倍数を増加させることによってしかそれを実現することはできない。その上、可変資本が用いる様々な要素の増加は、その固定資本の増加もまた必要とする。工場内では、道具等々、そして特に、原材料においては、それへの要求が、労働者数よりも急速に増大する。与えられた時間に、与えられた労働者数によって消費されるその量は、分業の帰結として、労働力の生産性に比例して増大する。その結果、工場手工業のまさにその性質に基づき、個々の資本家の手にある資本の最小量は増加し続けねばならないということが法則となる。別の言葉で云えば、社会的生産手段や生活手段の資本への転化が拡大され続けられねばならないと云うことになる。*39

    本文注: *39「工場手工業の細分業に必要な資本が、(著者は、必要な生活手段と生産手段と云うべきであった。) 社会内において準備されていなければならないと云うだけでは十分ではない。それがその上に、工場手工業の親方の手に、彼等をして、かれらの運営を大きな規模で実施できるに十分な大きな量で積み上げられていなければならない。…. 分業が増大すればするほど、与えられた労働者数の一定の雇用が、道具や原材料他に、より大きな資本の支出を要求する。(ストーチ 「政治経済学メモ」パリ版 第一巻 250,251ページ) 生産手段の集中化と分業は、互いに切り離せないものである。これを政治的局面として云うならば、公的権力の集中化と私的利益の分割がそのように切り離せないものであると云える。(カール マルクス 前出 134ページ)(フランス語)

  (2) 工場手工業においては、単純な共同作業の場合と同様であるとしても、その集合的作業の有機的組織体は資本の一存在形式である。大勢の個々の細目労働者と云う作り上げられたメカニズムは、資本家に属する。であるから、労働の結合から得られた生産的な力は資本の生産的な力として現われる。工場手工業なるものは、以前は独立していた労働者を資本の命令や規律に従わせるのみでなく、それに加えて、労働者に対して、労働者の階層的な序列を作り出す。単純な共同作業の頃は、個人の労働様式を殆どにおいてなにも変えずに、そのままにしていたが、工場手工業はそれを徹底的に変革し、人間そのものを労働力として掴み直した。それが労働者を欠陥のある奇怪な物に変換した。生産的な能力や素質の世界において、彼の細目の器用さのみの支出を強いたのである。あたかも丁度、ラ プラタ州で、その動物の毛や毛に滲み出した脂を得るのに、人々がその動物一頭を屠殺したのと同じである。その細目労働を様々な個人に配分するだけではなく、彼個人が、断片的作業の自動原動機にされたのである。*40

    本文注: *40 デュガルド スチュワートは、工場手工業労働者を「生きている自動装置…. 作業の細目に雇われた。」と呼んだ。(既出 318ページ)

    (本文に戻る) そして、一人の人間を単なる彼自身の体の一断片とした不条理なメネニウス アグリッパの寓話を実現したのである。*41

    本文注: *41 珊瑚は、事実、個々それぞれがグループ全体の胃である。しかし、それはグループに滋養分を供給する。一方のローマの貴族は、それを取り上げる。

    (本文に戻る) 最初から、労働者は、彼の労働力を資本に売るのだろうか。物質的な商品の生産手段の方が彼を見捨てているからである。今では彼の労働力の方すらが、資本に売られないならば、その役目を拒絶する。その機能は売った後に資本家の作業場に存在する環境の中にあってのみ使用することができる。何一つ独立して作り出すことにそぐわない性質によって、工場手工業労働者は、生産的活動を単なる資本家の工場の付属物として発展させる。*42

   本文注: *42 手工業の熟練者は、いずれの場所でも、働くことができ、生活手段を見つけることができる。一方の者達 (工場手工業労働者) は、ただの付属品であって、彼の仲間から離されたならば、何の能力もなく、独立してもいない。だから、押しつけられて当然のあらゆる法則を強いられる自分を見つけるのみ。(ストーチ 前出 ペテルスブルグ版 1815年 第一巻 204ページ)

   (本文に戻る) 選民として、エホバの親署を容貌に帯びているように、分業は、工場手工業労働者に資本の財産であると烙印する。

  (3) 知識、判断そして意志は、それらがいかに小さなレベルであれ、独立の農民や手工業者によって実践された。同じように、未開人は全ての闘いの方法を彼等の個人的な巧妙さの実習から作り上げた。このような能力は、今や工場全体を見るためにしか必要がない。生産に係る知能は一方向のみに拡大され、その結果、他の多くの知能は消え去る。細目労働者が失ったものは、彼等を雇用した資本の内に濃縮される。*43

   本文注: *43 A.ファーガソン 既出 281ページ 「前者が他者の失ったものを得た。」

   (本文に戻る) 労働者をして、他人の財産のごとく、そしてごく当たり前に、物質的生産過程が持つ知的能力に一対一で配置されるのは、工場手工業の分業の結果である。(訳者注: 物質的生産過程の持つ知的能力がどんなものかは、多くの労働者は身をもって学ぶ、瞬時に。 数値制御のロボット工作機だとしても、超能力的なプログラムであろうと、精緻きわまりなきマニュアルだとしてもである。その程度かと。これが私の訳だが、向坂訳は、何故か対立関係となる。) この分離は、資本家が、一労働者、一結合労働の同一性と意志を代表するところで、単純な共同作業から始まる。それは、労働者を細目労働者に切り下す工場手工業において発展する。それは、労働から切り離された科学を生産力とし、それを資本への奉仕へと押し込む近代工業において完成される。*44

   本文注: *44「知識人と生産的労働者とは互いに大きく分離された。そして知識は、依然として、労働者の手にあって、彼の生産力を増大させ、労働を補足するものとして留まるのに代わって、…. 至る所で、労働に対立するものとして並べられた。…. 体系的に、彼等(労働者達)を迷わせ、彼等の筋力を機械的にそして服従的に引き出すための邪道に導いた。」(W. トンプソン 「富の分配原理に関する研究」ロンドン 1824年 274ページ)   

  (4) 工場手工業において、集合的労働者を、彼を資本を経由して、社会的な生産力としての富とするために、個々の労働者は個々の生産力では貧しいきものとされなければならない。

  (5) 無知は迷信の母であると同様に、探究の母である。熟慮や想像は間違いを生じやすい。しかし手足を動かす習慣はそのどちらからも独立している。従って、工場手工業がもっとも繁栄するのは、そこでは理性が考慮されることが殆どなく、工場では、…. 人が人と云う部品であって、原動機のごときものと考えられる場合である。*45

   本文注: *45 A. ファーガソン 既出 280ページ

  (6) 実際にあったことだが、18世紀中頃、幾つかの工場手工業では、ある特定の企業秘密に係る作業には、半白痴的人間の雇用をむしろ選んだ。*46   

   本文注: *46 J.D. タケット 「過去および現在の労働人口の状態の歴史」ロンドン 1846年

  (7) 「多くの人間の理解力は、」と、アダム スミスは云う。「彼等の日常的な雇用によって必然的に形成される。人生の殆ど全てを、二三の単純な作業を行うことで費やした人間は、…. 彼の理解力を用いる機会を持つことはない。…. 彼は次第に、馬鹿で無知な、人間という生き物がなりうる程度の者となる。

  (8) 細目労働者の馬鹿さ加減について書いた後、彼は、こう云う。 

  (9) 「彼の停滞した生活の画一不変は、彼の精神の生気を崩壊させる。…. それは彼の体の活動すら崩壊させる。そして、彼が押し込まれた以外の仕事においては、彼の力を活気をもって、忍耐をもって、発揮させることができなくなる。彼自身の特異な取引で得た彼の器用さは、この意味では、彼の知能、社会性、そして勇敢性を犠牲にして得られたものに見える。しかし、あらゆる面で改良され、文明化された社会においては、この状態は、労働者貧民が、それが人々の大部分ではあるが、必ず陥らねばなければならない状態なのである。」*47   

   本文注: *47 A. スミス「国富論」第五篇 第一章 第二節 分業の欠陥的影響について示したファーガソンの生徒ではあるが、アダム スミスは、この点については完全に抜けている。彼の著書へのはしがきで、ちなみに話で、分業を称賛している。彼は、ただ、ぞんざいな言い方で、社会的不平等の原因を述べたにすぎない。(着色部分、前者は訳者余談の材料、後者はフランス語) しかも、第五篇の、ファーガソンの 国家の収入 を再現するところに至る前にはなにも触れていない。私(訳者注: マルクス)は、私の著書「哲学の貧困」(フランス語) で、ファーガソン、A.スミス、ルモンティ、そして セイ の、分業に係わる彼等の見解を、それぞれを比較して、その歴史的関係について詳細に説明している。そして、はじめて、工場手工業で行われた分業が、資本主義的生産様式の独特の形式であることにも触れた。


   訳者余談: 抜けている。は、翻訳に時間が掛かった。ドイツ語ではどうなっているのか知らないが、英文では、clear となっている部分である。大抵は、明白と訳すだろう。向坂訳は、明瞭である。抜けているとはやはりかなりの違いがある。早く云えば、書いてあるのか、書いてないのかを読み取るところである。私も翻訳上、国富論を読んで、ブルジョワ経済学の祖の、資本主義的観念論の世界を見て、マルクスの批判的読書力に感服した。それを知っているから、ここで、明白とか明瞭とかは絶対にあり得ないと直感して、clear には裏の意味でもあるのかと辞書に相談してみた。英和辞典には、こんな抜けているなどと云う文字はない。でも、きれいに片づけるとか、(木材の)節がない といった文字を見出した。マルクスは、時々、まったく明白に、褒めてけなす方法を採用する。そして人の頭を鍛えるというか、しっかりと認識させる。ここもその一つと、翻訳の楽しみを大いに味わったところである。明白にあると云う言葉で、明白にないと云うことを表しているのをいかに訳すかが訳者の仕事に残る。日本語が見つからないので、しっかりと、ない方を書くことにした。抜けているはその結果である。明白になったか、抜けているかは、後は読者による。一言付け加えたい。資本家には、労働者の貧困に、テロ以外の認識はない。テロの原因としてではなく、ただ沈黙させる対象として。アダム スミスにあっても、クリヤーに、ブルジョワ精神そのままに、労働者の貧困は必然と云う。ファーガソンの生徒が、資本主義社会の進展に押されて、師の内容をこのように改竄する。


  (10)  分業による大部分の人々の完全なる資質劣化を防止するために、A. スミスは、国による人々の教育を推奨する。しかし、形ばかりの現状維持と変わらないものを。彼の本のフランス語版の翻訳者であり、解説者でもある G. ガルニエは、フランス第一帝政下で、ごく自然に上院議員となり、ごく自然に、彼のこの点について反対した。彼は主張する。人民の教育は分業の第一の法則を犯す。またそれによって、(訳者注: 次の文節に直接的に繋がって行く)

  (11) 「我々の全社会システムが禁止されるやも知れない。」「他の全ての分業同様、」と彼は云う。「手の労働と頭の労働の、*48

   本文注: *48 ファーガソンは既にこう云っている。前出 281ページ 「そして、考えること自体、この分割の時代にあっては、特殊な職種になるかも知れない。」

   (本文に戻る) 分離は、社会 ( 彼は、正しくこの言葉を、資本、土地所有権、そして彼等の国を表すものとして用いている ) がより豊かになれば、顕著となり、その構成部分がより明確なものとなる。この分業は、あらゆる他のものと同様、過去の結果であり、未来の進歩の原因である。…. なのに、政府は、この分業に反対すると云うのか、またその自然の道筋を後戻りさせると云うのか? 分割と分離を懸命に追っている二つの労働種をごちゃごちゃに混ぜ合わせる試みのために、公的な資金の一部を支出すると云うのか? *49   

   本文注: *49 G. ガルニエ 第五巻 彼の、A. スミスの訳本 4-5ページ

  (12)  社会全体での分業からでさえ、体と精神を多少は損なうことからまぬがれることはできない。とはいえ、工場手工業がその労働の社会的な分離・分岐を一層押し進めた。なおかつ特異なる分割によって、個人を、その人間的存在を根本から痛めつけることになった。その結果、産業病理学のための材料を提供し、その始点を与えた。*50

  本文注: *50 バドバの臨床医学の教授 ラマンツィニは、1713年に彼の著書 「職人達の病気について」(ラテン語) を出版した。この本は1781年にフランス語に翻訳され、1841年に「医学百科事典 第七集 古典的著者編」(フランス語) で復刻された。近代機械工業時代には、勿論のこと、彼の、労働者の病気一覧表は大きく拡大された。「大都市における、特にリヨン市における労働者の肉体的精神的衛生について」(フランス語) A.L.フォンテレ博士著 パリ 1858年 及び 「各種身分別 年令別 性別の病気について (ドイツ語) 第六巻 ウルム 1860年」他を見よ。 1854年 手工協会は、産業疾患に関する調査委員会を設置した。この調査委員会によって収集された資料は、「トウィッケンハイム経済博物館」の目録に見ることができる。政府の公式な「公衆衛生に関する報告書」は特に重要である。また、エドワード レイヒ 医学博士の「人類の退化について」(ドイツ語) エルランゲン 1868年 を見よ。

  (13) 「人をして細分するとは、死刑を執行することである。 もし刑罰が当然ならば。もし当然ではないならば、かれを暗殺することで、…. 労働の細分化は人々の暗殺である。*51

  本文注: *51 ( D.アルカート 「よく用いられる単語」ロンドン 1855年 119ページ) ヘーゲルは、分業について、非常に異端的な考え方を持っていた。彼の著書「法の哲学」(ドイツ語) の中で、彼は云う。 「我々が理解している、教育のある人々とは、とりもなおさず、他人のすることを全て出来る人のことである。」

  (14) 分業に基づく協業は、別の言葉で云えば、工場手工業は、自然的な形成物のごときものとして始まった。が、ある程度の存在と広がりを得るに至るや、それは、組織的かつ体系的な資本主義的生産形式として認められるほどのものとなった。工場手工業の特異な分業が、厳密にそのように呼ばれるものであるが、最初は経験的に最も適合した形式を獲得したが、あたかも演技者の後ろに隠れるようにしながら、そして手工業ギルドがそうしたように、一旦見出せばその形式をしっかりと掴んで離さない。そして至る所でそれを1世紀にもわたって維持することに固執してきた。歴史が示すところである。この形式のいかなる変更といえども、どうでもいい些細な事を除けば、全てが、労働の道具の革命に起因するものである。そこいらに発生した近代工場手工業は、私はここで、機械に立脚した近代工業に言及するつもりはないが、どこにおいても、すぐ使えるラテン語の詩の断片 (ラテン語) を見出して、ただそれを一まとめに集合させられた文章として並べる。大きな町の製布工場手工業のケースはそれである。または、単純に、様々な手作業に (例えば、製本業に) 排他的に、ある特定の人を当てることで、容易に分業の原理を応用することができる。これらのケースでは、様々な機能のために必要な手の数の比例関係を把握するには、一週間の経験があれば足りる。*52

  本文注: *52 分業に関する、個々の資本家によって、当然視的に取り扱われる発明的天才の単純な信条は、今では、ドイツの教授連の間にしか存在していない。その証紙が、ロッシェル氏に貼ってある。彼は、分業がこれほどまでに広がったことについて、資本家のジュピター的頭脳からもたらされたと、資本家に感謝するために、彼に「様々な賃金」(異なった 労働報酬) (ドイツ語)を献呈する。なにはともあれ、分業の広範囲の適用は、財布の詳細な長さによるものであって、天才の偉大さによるものではない。

  (15) 手工業の分解、労働の道具の特殊化、細分労働者の形成、そして後者のたった一つのメカニズムへのグループ化と結合化によって、工場手工業における分業は、質的な順序立てと量的な比例関係を社会的生産過程の中に作り出した。それゆえ、それは、明確な 社会の労働の組織を作り出した。そして、それによって、同時に、社会の新たな生産力を発展させた。その特殊な資本主義的形式と、与えられた条件の下では、資本主義的工場手工業形式以外の形式を取ることはありえず、まさに、相対的剰余価値を獲得する特有な方式となる。または、労働者の犠牲を増大させて資本そのものの自己膨張となる。その社会的富を一般的に、「諸国の富」など ("Wealth of Nations," &c) と呼んだりする。その分業は、労働の社会的生産力を増大させる。労働者への恩恵のためではなく、資本家の利益のためだけに増大するのだが、それだけではなく、個々の労働者を不具化することによって増大する。その分業は、労働者を指揮する資本の支配権のための新たな条件をも作り出す。従って、一方で、それがそれ自身の歴史的な姿を、進歩であるとか、社会の経済的発展における必然的局面であるとか云うならば、他方では、搾取の、巧妙化された、そして文明化された方法であると云える。

  (16) 政治経済学、独立した科学としてのその学問は、最初は、工場手工業の時代の中でその存在を興した。ただ、社会的分業については工場手工業の視点からだけ説明していた。*53

  本文注: *53 ペティや、「東インド貿易の利益」の匿名の著者のように、A. スミスより以前の著者達は、スミスが捉えた以上に、工場手工業において応用された分業の資本主義的性格を捉えていた。

  (本文に戻る) そして、そこに、与えられた労働の量において、より以上の商品を生産する手段として見るだけである。であるから、その結果として、商品低廉化と資本蓄積の加速化の手段としてしか見ていない。ここで最も注目する驚くべき対照性は、この量と交換価値について、古き古典的な著者の態度が、もっぱら、質と使用価値にこだわることである。*54

  本文注: *54 近代人の中では、二三の18世紀の著者は例外と云えるであろう。 ベッカリアやジェームス ハリスといったところであるが、分業に関しては、古き人の論 そのまんまなのである。ベッカリアはこう言う。「もし、手と頭を常に同じ仕事に、同じ生産物に用いるならば、各個人が自分のためにすべての物を作るのに比べて、より容易に、より多く、より高い品質で生産されるであろう。このことは、誰でも経験的に知っていることである。…. このようにして、人は様々な階級や身分に分割される。自身の利益のため そして商品の利益のために。」(イタリア語) (チェザーレ ベッカリア 「公共経済学の初歩」クストーディ版 近代編第11章 29ページ) ジェームス ハリス、後のマルムズベリー伯爵、彼のセントペテルスブルグ駐在大使時代の「日記」で著名、は、彼の「幸福に関する対話」ロンドン 1741年 後の「三つの論文」第三版 ロンドン 1772年に再版で、「社会が自然である事 (すなわち、雇用の分割) の証明に関する全ての議論は、…. プラトンの共和国論の第二の本から引用されている。」と述べている。

  (本文に戻る) 生産の社会的部門の分断の結果として、商品はよりよく作られ、様々な人々の好みや才能は適切な分野を選択する。*55

  本文注: *55 オデッセイ 第14章 228ページは、かく云う。「様々な人が、様々な仕事を楽しめるために」そして、アーキロコスは、彼の第六経験論の中で、「人は物が変われば、彼等の心を元気にする。」(ギリシャ語) と。   

  (本文に戻る) そして、なんらかの制限がなければ、どこにあっても、重要な結果が得られることはない。*56

  本文注: *56「彼は沢山の仕事をなすことができた、だが、殆どは無残なもの。−ホーマー」アテネ人は、誰もが自分達を、商品の生産者としてスパルタ人にまさっていると考えた。後者は戦争の時は自分達の配置に際しては十分な人を持っているが、金銭に関しては指揮をとることができない。歴史家ツキディデスは、アテネの政治家ペリクレスが、ペロポネソス戦争に向かうアテネ人達を鼓舞するための演説でそう云ったと書くごとく。「自分自身の消費のために物を作る人々は、彼等の金銭よりもむしろ体をもって戦争をするであろう。」(ツキディデス 第一篇 第一部 第41章) にもかかわらず、物質的生産 [絶対的な自給自足] に関する限りでは、分業とは対照的に、それがかれらの理想形であった。「分業によれば、繁栄があろう。だが、自給自足に立てば、独立がある。」(いずれもギリシャ語) ここでは次のことに触れて置かなければならない。30人もの暴君主の没落の頃にあっても、依然として、土地を所有しないアテネ人は、5,000人もいなかった。

  (本文に戻る) かくして、生産物も生産者も分業によって、改良される。仮に、量的生産の成長が時折言及されるとしても、それは、単に、使用価値の量的拡大という点でしか述べられない。そこには、交換価値または商品の低廉化について触れる文字はない。使用価値視点からのみ見るこの見解は 分業を、社会の分割、そして階級が成り立つ基盤と見るプラトンにも見られる。*57

  本文注: *57 プラトンによれば、共同体内部の分業は、多種の要求と個々の限られた能力から発展するものであると云う。彼の云う主な点は、労働者は彼自身を作業に適合させねばならない、仕事を労働者に適合させるのではない。と言う。もし彼が一度に、いくつかの仕事を進めて行けるならば、その内の一つか、その他のものも副次的なものであれば、後者の方法もやむを得ない。「と言うのも、労働者は仕事に奉仕せねばならず、仕事は彼の余暇のためではない。仕事は余った時間でなされることを許さない。−しかり、彼は必ずせねばならない−従って、結論として、全ての人が、自然に適性を取得した一つの物を、正しい時間に、他の余計なことに煩わされることなければ、全ての物はより多く生産され、より容易に、より良く作られる。」(共和国論 第一篇 第二部 バイテル、オレリ、他編) ツキディデス 既出 142章もその様に云う。「船乗りの仕事は他と同様一つの技能であって、状況が要求するがごとく、副次的な仕事としてなされることはできない。他の副次的な仕事であっても、この仕事の傍らで行われることはできない。」プラトンは云う、もし仕事が労働者を待たねばならないなら、工程の重要なポイントを失し、物はおシャカになる。[もし誰かが、うっかりすれば…] (いずれもギリシャ語) この同じようなプラトン的観念が、全ての労働者に決まった食事時間を与えるという工場法の条項に反対する英国の漂白工場主らの抗議に立ち戻れば、そこに見出される。彼等の商売は労働者の便益などを待ってはいられない。なぜならば、「様々な作業、布のけば取り、洗濯、漂白、しわ取り、つや出し、そして乾燥、どれをとっても、損傷のリスクなしには、所与の時間において停止することはできない。…. 同じ食事時間を全ての労働者に実施することは、価値ある品物を不完全な作業による危険なリスクにかならずやさらすこととなるであろう。」[次は、何処で、プラトン主義が見出されることになるか! ] (フランス語)  

  (本文に戻る) 同様、特徴的ブルジョワ本能をもって工場内の分業により接近したクセノフォンはこう云う。*58

  本文注: *58 ペルシャ王の食卓から食料を受け取ることは名誉であるばかりでなく、他の食料よりもより味わいがよいといい、クセノフォンは、さらに次のように続ける。「そこにはなんらの驚くべきものはない。食料以外の様々な物も都市には特別な完全なものが持ち込まれるのであるから、当然ながら、王の食事も特別な方法で準備される。だが、小さな町では、同じ人が、ベッドの架台、扉、犂、そしてテーブルを作る、時には、売り家も作る。そして、彼は、自分の生活に十分な顧客を見出せばそれで十分に満足するのであるから。一人の人間がそれらの全ての物を満足に作り上げることは全くのところ不可能なことである。一方の大きな都市においては、誰もが多くの買い手を見つける、一つの仕事でそれを維持していくことには十分である。いやそこでは一つの完全な仕事の必要すら往々にしてない。ある者は男用の靴をつくり、他の者は女用を作る。ここでは、一人の者が縫製のみで生活を得る。他の者は靴革を裁断することで、ある者は何もしないが、布の裁断だけで、他の者はなにもしないが、各片を縫い合わせるだけで生活を得る。であるから必然的に、最も単純な種類の作業をする者は、疑いもなく、他の誰よりも上手にそれをなす と言う事になる。そのように料理技能においても云える。」(クセノフォン キュロパイディア 第一巻 第八部 第二章) クセノフォンが、ここで、特に強調していることは、使用価値の達成についてである。彼は、分業の程度が市場の大きさに依存していることをよく知っていながらそう主張している。

  (本文に戻る) プラトンの共和国において、そこで分業が取り上げられている限りでは、国の形成原理としてのそれは、単にエジプトのカースト制度のアテネ人的理想化にすぎない。エジプトは彼の同時代の多くの者にとって、また、他の者やイソクラテス*59 にとっても、産業盛んな国のモデルとして存在していた。 

  本文注: *59 彼 (ブシリス) は、彼等全てを特別なカーストに分割する。…. 同じ個人は常に同じ仕事を続けるべきである。なぜなら、彼等が彼等の仕事を変えたら、なんの技能をも上達させることがないと彼(訳者注: ブシリス)には分かっているからである。しかるに、一つの専念する仕事に絶えず執着する者は、その仕事を最上の完成に至らしめる。真実、技芸と手工業の相関においては、彼等が彼等のライバルを大きく凌駕するのは、名匠が凡工を越える以上のものであることを我々もまたみることになろう。そして、この君主制を維持するこの仕組みと彼等の国の規定は、多くの著名な哲学者達がエジプト人国家の規定を他の全ての国の上にあるものとして称賛したほどの見事なものである。(イソクラテス ブシリス 第八章)   

  (本文に戻る) そして、この尊大さを、ローマ帝国のギリシャにまでも当てはめようとする。*60

  本文注: *60 ディオドロス シクラウス と比較せよ。(訳者注: 奴隷労働の過酷さを記述した彼の著作から見れば、上記の者等の叙述は何を見ているか明らかであろう。)

  (17) 厳密な意味での工場手工業の時代の間、すなわち、工場手工業が資本主義的生産によって支配的な形式となった時代の間、工場手工業の特異な傾向のどこまでもの発展には多くの障害が立ちふさがった。我々がすでに見て来たように、工場手工業は労働者を熟練工と未熟練工という単純な区分を作り出すのではあるが、同時にそれらの階級における序列的な取り決めもあって、その熟練工の優位な勢力によって、依然として、未熟練工の数は、非常に限定的な状態に留まる。工場手工業は、生きた労働具の様々なレベルの熟練、力、そして発展度を細目労働に適用するのであるが、それが女性や子供たちの搾取に向かおうとするのであるが、この傾向は全体としては、習慣や男性労働者の抵抗にあって挫折させられる。手工業労働者の分割は、労働者を作るコストを低下させ、それによって労働者の価値を低下させる。ではあるが、依然として、より困難な細目作業のためには、より長い見習い工期間が必要となる。それが余分なものと思われても、労働者は執拗に期間にこだわる。例えば、英国では、見習工期間に関する法を見出す。7年間の試用期間であり、工場手工業時代の終りに至る迄効力を持っていた。そしてその効力は、近代工業の到来に至るまで一方的に放棄されることはなかった。なぜかと云えば、手工業の技能が工場手工業の基礎であり、工場手工業のメカニズムは、その基本的な工程全体として彼等労働者そのものから離れてはいないのであり、資本家はいつも、労働者の不従順と争うことを強いられた。

  (18) お友達でもあるユア教授はこう言う。「人間性の虚弱から、より熟練すればするほど労働者は、より我が儘で、より従順でない者になりやすい。当然ながらその結果として、機械的システムの構成要素としては、より適合しなくなる。…. 彼は、全体に対して大きなダメージをもららすであろう。」*61

   本文注: *61 ユア 既出 20ページ

  (19) それ故、全工場手工業時代を通して、とりわけ、労働者のしつけの欠如に関する苦情が続く。*62

   本文注: *62 このことについては、フランスよりも英国に多い。そして、フランスは、オランダよりも多い。

   (本文に戻る) そして、我々は当時の著述家の証言は持たぬが、16世紀から近代工業時代の期間において、資本家は工場手工業労働者の使用できる全ての労働時間の主人となることには失敗したという簡単な事実を知る。工場手工業は短命で、彼等の工場の所在地をある国から他の国へと、労働者の出国やら入国やらと共に、変えている。これらの事実は十分にそれらを証明している。「秩序は、なにはともあれ、確立されねばならない。」1770年 しばしば引用される 「取引と商売に関する評論」の著者は叫んでいる。66年後、アンドリュー ユア博士は「秩序」をと再び叫んだ。「秩序」が、「分業という学者風情の独断」に基づく工場手工業においては欠けていた。そして「アークライトが秩序を創造した。」

  (20) 全く同じ時点で、工場手工業は、社会の生産の全域を捉えることはできなかった、または、生産の核心を変革することのどちらをもできなかった。経済的活動の芸術的な尖塔のごとく立っているものの、その広大な基礎は町の手工業であり、村の家内工業であった。与えられた発展段階にあっては、工場手工業は、わずかばかりの技術の上に置かれており、工場手工業自身が作り出した生産の欲求との間の矛盾に直面していた。

  (21) 最も完成した創造物の一つは、労働の道具そのものを生産するための工場である。その道具は、特に複雑な機械的装置を装備し、出来上がる端から使われた。

  (22) 機械工場は、とユアは云う。「様々な等級で分業を明示した。やすりがけ、ドリル、旋盤、それらそれぞれ異なる労働者を持つ。かれらそれぞれの技能も上から下まである。」(21ページ)

  (23) 工場手工業における分業の生産物である、この工場はその内部において、自力で動く機械を生産した。それらこそ、社会的生産を規制する原理のごとく、手工業者等の作業を一掃した正体である。かくて、一方では、細目機能に労働者の一生を縛りつける技術的論拠を取り除いた。が、他方で、資本の支配を拘束していたこの同じ原理も投げ捨てられた。


[第五節 終り]







[第十四章 終り]


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