『コムニスト』編集部への公開状

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この公開状は、レーニンとブハーリンが創刊することにしていた雑誌『コムニスト』編集部に宛てたものである。トロツキーが革命的国際主義の立場をとっていることを理解していたブハーリンは、これまでのトロツキーとレーニンとの確執ゆえに(とりわけ8月ブロックの時のそれ)生じていた両者の距離を埋めて革命的国際主義者の共同をつくりだそうと、あえてトロツキーに『コムニスト』編集部に参加するよう呼びかけた。しかし、トロツキーは、レーニン指導下の『ソツィアル・デモクラート』が『ナーシェ・スローヴォ』に対し「破産した」との宣告を突きつけていたことに、ボリシェヴィキ派のあいかわらずのセクト主義を感じとり、自分が『コムニスト』編集部の中で人質のような立場に置かれることを警戒して、その誘いをきっぱりと拒否した。レーニンはそれ以降、なおいっそう『ナーシェ・スローヴォ』とトロツキーに対して激しい攻撃を加え、「カウツキー主義の下僕」などという悪罵さえ投げつけるまでになった。

 この公開状は、当時において、革命的国際主義者の間でどのような意見の相違があったかを明瞭に示している。その後の歴史は、ここでトロツキーが述べている見解が大筋で正しかったことを示している。結局、ボリシェヴィキも、「平和のための闘争」のスローガンを採用し、祖国敗北主義という立場を――否定しないまでも――後景に押しやり、また、他の政治グループに対するその判断基準を広げ、『ナーシェ・スローヴォ』を革命的国際主義の陣営に数えることになったからである。だが、同時に、トロツキー自身もいくつかの点で、ここで表明している意見を変えることを余儀なくされた。トロツキーが礼賛したメンシェヴィキ派の国会議員はその後、多くの点で日和見主義を暴露し、トロツキーは、1916年にはチヘイゼを手厳しく批判せざるをえなくなった。また、組織面でも、中間主義派と手を切らざるをえなくなった。こうして、トロツキーとレーニンは、その後の歴史の中で、しだいに接近していくのである。

 なお、レーニンに対する厳しい批判を含んだこの公開状は、ロシア革命後に編集された『戦争と革命』(全2巻)――大戦中のトロツキーの諸論文をほぼ集大成した論文集――にも、また『トロツキー著作集』の一部である『大戦中のヨーロッパ』にも収録されなかった。

Л.Троцкий, Открытое письмо въ редакцию журнала ”Коммунистъ”, Наше Слово, No.105, 1915.6.4.


 諸君は、諸君によって創刊される雑誌『コムニスト』において協力するよう私を誘っている。非常に残念だが、私は諸君の提案をお断わりせざるをえない。私は、戦争とインターナショナルの危機によって提起された新しい諸問題に理論的に取り組むことがきわめて重大で緊急なものであると考えており、しかも、われわれロシアの国際主義者の間には、共同の事業にとって、とりわけロシア労働運動とインターナショナルの両方における社会愛国主義に対する闘争にとって、まったく十分な共通の理論的・政治的基盤があると深く確信している。それだけになおさら残念である。

 こう言ったからといって、私は、われわれを分かつ深刻な意見の相違に目を閉じるつもりはない。たとえば、平和のための闘争というスローガンのもとにプロレタリアートを動員するという問題に対して諸君がとっている曖昧で回避的な立場に、私はまったく同意できない。何といっても、このスローガンのもとで、すべての国の労働者大衆は現在、実際に政治的に目覚めつつあり、社会主義の革命的勢力が結集しつつあるのだ。そして、まさにこのスローガンのもとで、社会主義プロレタリアートの国際的絆を回復しようとする試みが、現在遂行されているのである。

 さらに、私は、諸君の決議のうちに確立されている見解、すなわちロシアの敗北は「より小さな悪」であるという見解にもまったく同意できない。この立場は、基本的に、戦争とそれが生み出した状況とに対する革命的闘争を――現在の状況のもとでまったく恣意的にも――「より小さな悪」をめざす方針にすり替えている社会愛国主義の政治的方法論に対する、まったく不必要でまったく正当化されない原則上の譲歩である。私はまた、諸君が社会愛国主義の問題を組織的な形で提起していることにも同意できない。それは、私にはまったくもって不明瞭で曖昧なもののように思える。それが正確で明瞭なものに見えるのは単に、その立場が、労働者大衆に影響を及ぼすための社会愛国主義者との闘争において国際主義者の前に提起されるすべての実践的諸問題を回避しているからにすぎない。

 しかしながら、これらの深刻な不一致は、ここでは言及しなかった他の不一致と同じく、共通の理論誌において諸君と協力することをけっして妨げるものではない。それどころか、このような理論誌は、社会愛国主義との共通の闘争戦線において戦闘的であろうとするならば、国際主義者の間で一致した意見がない、あるいは意見の相違が存在する諸問題に関しては、討論に開かれたものでなければなければならないと私は思っている。

 しかし、このような協力は、私の観点からすれば、すべての国際主義者を――その分派的出自やその国際主義におけるあれこれのニュアンスの相違とはかかわりなく――真に統一することに共通の関心を持っていることを前提にしている。このような政策は明らかに次のような試みをすべてあらかじめ排除するだろう。すなわち、労働運動における危機を、労働運動の要求からは出てこない、ないし、それに対して革命的国際主義の方向で影響を及ぼす必要性からは出てこない、分派的ないしグループ的な課題のために利用するという試みである。しかしながら、『コムニスト』誌の発行に関する諸君の発表文は、私見によれば、社会愛国主義に対する諸君の闘争を、私がとうてい責任を負えないような別の考慮と目的とに従属させていることを示すきわめて憂慮すべき証拠を提供している。

 諸君は、社会愛国主義に対する闘争において自分たちは孤立していないと感じていると述べ、この闘争における同盟者として諸君は次の名前を挙げている。ドイツの『リッヒトシュトラーレン(光線)』(1)誌と『インテルナツィオナーレ』誌(2)、フランスにおける同志ニコ、モナット(3)、メレーム(4)、イギリス社会党の少数派、イギリス独立労働党の多数派、等々である。ロシアに関して、諸君が言及しているのは、中央委員会の宣言と、逮捕された5人の国会議員(ボリシェヴィキ)だけである。それ以外では、諸君はもっぱら「国際主義に対する共感を表明しており、そのかぎりで歓迎すべき萌芽的反対派」しか見ていない。

 このリストとその特徴づけはともに、明らかに実際の状況を分派的観点から歪曲するものである。逮捕された5人の国会議員だけでなく、社会民主党の他のすべての国会議員もまた、同一の宣言書にサインし、それを一致して擁護している。逮捕された5人の国会議員の態度は、原則的な問題に関して、議員団の残りの5人の態度と少しも違わない。言うまでもなく、逮捕された5人の議員は誰一人として、裁判におけるその声明の中で、社会民主党国会議員団の共同声明と比べて、原則の点で何か前進したことを言うことはできなかった。

 この最初の宣言――それは真に勇気ある政治的行為であったとはいえ――が必要な明瞭さを必ずしも完全に備えていたわけではなかったことに私は同意する。しかし、その責任は――あえて責任を問うならばだが――議員団をそれぞれ半分ずつ構成している2つの分派の両方にある。この間、わが党議員団の最近の行動(チヘイゼ(5)、チヘンケリ(6)、トゥリャコフ(7)の演説)と彼らの投票は、明らかに、政治的明瞭さと革命的非妥協性の方への一歩前進を示すものである。プレハーノフと『ナーシャ・ザリャー』(8)の恥べき態度のあとには、国会議員団の声は、労働者の隊列の中に愛国主義的堕落を導入しようとするあらゆる試みをきっぱりと拒絶する声に聞こえる。

 組織委員会[メンシェヴィキ派の中央指導部]が、その隊列の中の有力な社会愛国主義者――彼らは、組織委員会の頭越しに、ヴァンデルヴェルデ(9)とコペンハーゲン会議に声明書を送った――から自らを全面的かつ断固として分離することを必要とも可能ともみなさなかったことに対して、われわれは抗議することができるし、抗議しなければならない。組織委員会の在外書記局が、インターナショナルの前でこれらの社会愛国主義者をかばったことに対しては、もっとずっと激しく抗議しなければならない。しかし、国会議員団が、プレハーノフと『ナーシャ・ザリャー』の立場から実践的結論を引き出した一議員[マニコフ]を隊列から除名した事実を看過することはできない。

 私は、インターナショナルのすべての革命分子と同じく、わが党議員団のこのふるまいを誇りに思うものである。この議員団は、ロシアのプロレタリアートを国際主義的に教育するうえで今日最も重要な機関である。だからこそ、私は、彼らをできるだけ援助しインターナショナルにおける彼らの権威を高めることを、すべての革命的社会民主主義者の義務とみなしているのである。諸君はいちばんいい場合でも彼らを無視している。まるで彼らがロシアの政治生活の中に存在していないかのごとくである。諸君の派閥に属する5人の議員(私は彼らをわれわれの議員とみなしている)が逮捕された後には、もはやロシアの国会には、ロシア労働者階級の有力なしかるべき代表者が1人も残っていなかのごとくである。ニコやモナットやイギリスの独立労働党の社会主義者については、諸君は自分たちの同盟者として名前を挙げ拍手喝采しているが、チヘイゼやトゥリャコフや彼らの同志たちを、諸君は回避し、沈黙し、無視している。こうしたやり方は、政治的正確さの要請から出てきたものでも、国際主義の利益から出てきたものでもない。そうした態度の根底にある思惑を私は支持することができない。

 諸君が、自分たちの同盟者リストの中に、『リッヒトシュトラーレン』、ニコ、モナット、メレーム、イギリスの独立労働党の社会主義者と並んで、『ゴーロス』と『ナーシェ・スローヴォ』を含めようとしなかったのは、言うまでもないことである。諸君が完全な意見の一致を表明している『ソツィアール・デモクラート』が、すでに『ナーシェ・スローヴォ』の「破産」を宣告していたからである。この手紙の限界内では、諸君が『ナーシェ・スローヴォ』の「破産」を云々する根拠について評価することはできない。しかし、『ナーシェ・スローヴォ』を諸君の立場から引き離している諸問題に関して、諸君が列挙したインターナショナル内の諸グループはすべて、諸君とはなおさらかけ離れた立場をとっていると言っておけば十分だろう。

 そして、ここから導きだされてくるべき結論は2つに1つである。まず、イギリスの独立労働党の社会主義者やニコやメレームが諸君の同盟者なら、『ナーシェ・スローヴォ』はなおいっそうそうである。ところが諸君は、このことについて、まったく無原則的な理由から沈黙している。次に、彼らが諸君の同盟者でないとしたら、インターナショナル内部に諸君の同盟者は1人もいないことになる。私は完全に『ナーシェ・スローヴォ』の立場と意見が一致しており、したがって、われわれの新聞を、「インターナショナルへの共感を表明」し始めるやいなやすでに「破産」してしまったものと評価することにもとづいた諸君の事業に、私の名前をお貸しするわけにいかないのは明白である。

 最後に結論として、私の固い確信を表明させていただく。インターナショナルの革命分子との密接なつながりは――そしてわれわれは、このようなつながりを確立することに向けて進んでいるのだが――、諸君が自らの基準を広げその評価の多くを変更するよう促すだろう。あるいは、そうすることを余儀なくするだろう。そして、この新しい基盤にもとづいてこそ、共通の政治的諸組織における協力と同じく、共通の文献的事業における協力が、可能となり有益なものとなるのである。

同志的あいさつをもって

N・トロツキー

『ナーシェ・スローヴォ』第105号

1915年6月4日

新規、本邦初訳

  訳注

(1)『リッヒトシュトラーレン(光線)』……ドイツ社会民主党の左派グループが1913〜1921年までベルリンで出していた雑誌。

(2)『インテルナツィオナーレ』……ローザ・ルクセンブルクとメーリングが創刊したドイツ社会民主党左派の機関誌。1915年4月創刊。

(3)モナット、ピエール(1881-1960)……フランスの労働組合運動家でサンディカリスト左派。1909年に『労働者の生活』を創刊。第1次大戦中は反戦の立場を堅持。1923年にフランス共産党に入党したが、1年後に離党。1924年に『プロレタリア革命』グループを旗揚げ。1926年に「サンディカリスト連盟」を創設。

(4)メレーム、アルフォンス(1881-1925)……フランスのサンデリカリスト。第1次大戦当初はツィンメルワルト派に属していたが、その後、平和主義陣営に移り、1918年には排外主義者に。

(5)チヘイゼ、ニコライ(1864-1926)……ロシアの革命家、メンシェヴィキの指導者。第3国会、第4国会の議員。第1次大戦中は左翼中間主義的立場。1917年2月革命直後、ペトログラード・ソヴィエト議長。ソヴィエト政権と闘争。1921年に亡命。26年自殺。

(6)チヘンケリ、アカキイ(1874-1959)……グルジア出身のメンシェヴィキの指導者。第4国会の議員。第1次世界大戦中は愛国派。1918〜1921年のグルジア政府の内閣議長、外務大臣などを歴任。

(7)トゥリャコフ、イ・エヌ(1877-?)……メンシェヴィキ指導者。第4国会議員。第1次大戦中はツィンメルワルト派。

(8)『ナーシャ・ザリャー』……解党派メンシェヴィキの機関誌で、1910〜1917年までペテルブルクで発行。

(9)ヴァンデルヴェルデ、エミール(1866-1938)……ベルギー労働党と第2インターナショナルの指導者。1894年、下院議員。1900年に第2インターナショナルの議長。第1次大戦中は社会排外主義者。戦時内閣に入閣した最初の社会主義者の一人であり、国務相、食糧相、陸相などを歴任。ベルサイユ条約の署名者のひとり。1925〜27年に外相としてロカルノ条約締結に尽力。


  

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