ジェノヴァとウラジオストクにおける日本

トロツキー/訳 西島栄

【解説】日本は、ロシア革命に干渉するためにシベリアに出兵して以降、なかなか軍隊を引き揚げようとせず、他の列強諸国が基本的に軍隊を引き揚げた後も、東シベリアに軍隊を駐留させ、極東共和国という緩衝国家に対して繰り返し武装侵略を行なっていた。本稿は、ジェノヴァでの国際会議で日本の代表者が平和を説きながら、東方で武力攻撃している事実を取り上げ、日本帝国主義の偽善を暴いた短い論稿である。

Л.Троцкий, Япония в Генуе и Владивостоке, Как вооружалась революция, Том.3, кн.2, Мос., 1924.

Translated by Trotsky Institute of Japan


 日本政府はジェノヴァ会議(1)に代表を出している。そこでは、日本政府はヨーロッパおよび全世界の平和と繁栄を吹聴している。それと同時に、ウラジオストクでも日本政府は「代表」を出している。日本政府は、同地での秩序と文明が十分に守られていないという口実のもと、ロシアの労働者と農民の土地の上に自国の軍隊を維持している。秩序と文明の名のもとに、日本政府は極東において、腐敗した匪賊団、アタマン [コサック団の首領]、黒百人組の雇われ頭目たちを援助し、彼らをロシアの勤労住民にけしかけ、彼らに武器と食糧を与え、労働者と農民による武力反撃から彼らを守ってやっている。この不誠実で下劣な体制は、もう何年も続いている。極東において流血の無政府状態を人為的に維持している日本政府は、それによって、ロシアの労働者と農民の土地の一部に自国の軍隊を引き続き維持する口実を作り出し、他方ではこの軍隊を使って、同地に蔓延している無政府状態を維持し助長させているのである。さらにつけ加えておかなければならないのは、極東共和国が形式的民主主義の方法によって統治されているのに対し、日本が、カースト体制にもとづいた官僚的絶対主義の国であるという事実である。これこそ、ジェノヴァの外交官たちと第2インターナショナルおよび第2半インターナショナルの外交官たちが思いめぐらせるにふさわしい絶好のテーマだろう。

 極東共和国の軍隊は再び白軍を打ち負かし――すでに何度目のことだろう――、破竹の勢いで前進し、日本がロシアの領土に送り込んだ白衛派の残党を掃蕩しつつある。しかし、今では日本の軍隊が舞台裏から表舞台に登場するようになった。極東共和国は、(1)革命軍を近いうちに前方に移動させること、(2)この軍隊は日本軍に対するいかなる敵対行為にも従事するつもりがないこと、このことを日本軍に対して前もって知らせておいたにもかかわらず、日本軍は、ライフル、マシンガン、大砲でもって、凶暴な形で戦端を開いた。革命軍は一発も打ち返すことなく、30人もの死傷者を出し退却した。

 秩序と民主主義と文明の維持という名目のもと、日本の部隊、すなわちカースト的君主制の軍隊はまたしても、ロシアの地で、小さな民主共和国の地で、ロシアの労働者・農民を30名も殺害したのである。われわれはこの代償を彼らに払わせるだろう。そしてわれわれは、この勘定を、遅かれ早かれ、ジェノヴァやその他の場所で提示するであろう。

1922年4月11日

『イズベスチヤ』第82号

『革命はいかに武装されたか』第3巻第2分冊所収

『トロツキー研究』第35号より

 訳注


  

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