資本主義の発展曲線

(編集部への手紙――約束した論文に代えて)
トロツキー/訳 西島栄

【解説】本稿は、トロツキーが『社会主義アカデミー通報』編集部の要請で書く予定であった論文の代わりに書かれた覚書である。これはコンドラチェフの長期循環論を批判したものとして有名である。トロツキーは、コンドラチェフ流の自動的に自己展開される長期循環という仮説を退けたが、長期波動の存在そのものは認めており、その研究が、史的唯物論的な社会研究にとっても革命運動にとっても、きわめて大きな意義を持っていることを承認している。

 この論文は従来、コンドラチェフの長期波動「内因説」に対して「外因説」をとったものとして解釈されているが、よく読めばわかるように、トロツキーの立場はけっして「外因説」ではない。ただ、10年周期の景気循環のような資本主義の自動的メカニズムにもとづいて長期波動が起こるのではないとしているだけである。資本主義の長期的傾向が大事件(戦争や革命や新市場の発見など)を引き起こし、その大事件が今度はその長期的傾向に転換をもたらす、というのがトロツキーの長期波動論である。すなわち、コンドラチェフの長期波動論は、純経済的な自動的循環説であったのに対し、トロツキーにあっては、資本主義の長期的傾向を究極的規定者としつつも経済と政治の相互作用によって長期波動が生じるという立場である。

 なお、もともとの論文には、長期波動を図式化した図表が添付されていたが、ここでは割愛させていただいた。また、この論文を訳載した『トロツキー研究』第10号には強調が欠落していたので、今回、原文通りに強調を入れておいた(太字部分)。

Л.Троцкий, О кривой капиталистического развития, Вестник социалистической академии, No.4, Апрель−июль 1923.

Translated by Trotsky Institute of Japan


 エンゲルスは、マルクスの『フランスにおける階級闘争』への序文の中でこう書いている。

「日々の歴史の諸事件やそれらの連鎖を考察しても、究極の経済的原因にまで至ることはとうていできないだろう。しかるべき専門書がかくも豊富な資料を提供してくれている今日においても、しかもイギリスにおいてさえも、世界市場における商工業の動きや、生産方法に生じる諸変化を日々追跡していって、複雑にからみあい絶えず変化するこれらの諸要因から、一般的な結論を随時引き出せるまでに至ることは不可能であろう。しかも、これらの諸要因の中で最も重要なものは、たいてい、長期にわたって潜在的な形で作用したのちに、突如として強力に表面に現われるものなのである。ある任意の時期の経済史を包括する明確な概観を得ることは、同時代においてはけっしてできないのであって、ただ事後に、材料を収集し精選してはじめて可能になる。統計はそのさい必要不可欠な補助手段であるが、それは常に遅れて手にはいる。それゆえ、現在進行中の歴史を書く場合には、最も決定的な要因を不変なものとみなしたり、その時期の最初に形成された経済情勢を所与のもの、全時期にわたって変化しないものとみなしたり、あるいは、経済情勢における変化のうち、目の前ではっきりと生じたもの、したがってまたはっきりと目に映るものだけを考慮せざるをえない場合が、あまりにも多い。したがって、この場合の唯物論的方法はしばしば、次のことに限定されざるをえない。すなわち、政治的闘争を、経済発展の結果から生じる現存の社会階級および階級分派間の利害の闘争に還元すること、そして、個々の政党が、これらの階級や階級分派の多少なりとも適当な表現であることを示すこと、これである。

 言うまでもなく、経済情勢の日々の変化、すなわち、研究すべき諸事件の本来の基礎をこのように無視せざるをえないことは、誤謬の一つの源泉となるにちがいない」(『マルクス・エンゲルス全集』第3巻、6頁、国立出版、1921年。強調L.T.)。 

 エンゲルスが死ぬ直前に定式化したこの思想は、さらに発展させる必要があったにもかかわらず、それはなされなかった。記憶するかぎりでは、引用されることすらめったになかった。引用されてしかるべき回数よりもはるかに少なかった。そのうえ、多くのマルクス主義者は、その意義に気づかないでいたように思われる。この事実は、またしてもエンゲルスが示した原因によって説明されるだろう。すなわち、現在進行中の歴史を何らかの形で完全に経済的に解釈することは不可能であるということである。日々の政治が経済から受けている隠された動因を明らかにすることは、非常に困難な課題であり、全面的に解決することは不可能である。にもかかわらず、政治現象は即座に説明されなければならない。なぜなら闘争は待ってはくれないからである。それゆえ、日々の政治活動においては、長く使用しているうちに陳腐な決まり文句と化した一般的な説明に頼らざるをえなくなる。政治が同じ姿で、同じ岸を、ほぼ同じ速度で流れているかぎりでは、すなわち、経済的量の蓄積が政治的質に転化しない間は、この種の抽象的な説明(「ブルジョアジーの利益」「帝国主義」「ファシズム」)はまだ多少なりとも役立つことができる。つまり、政治的事実を全面的に具体的な形で解釈するのではなく、それを周知の社会的類型に還元するのである(もちろん、これは測りしれない意義を有している)。だが、状況に深刻な変化が生じたとき、そして急激な転換が訪れたときにはなおさら、このような一般的な説明はその無力さを全面的に露呈し、完全に空文句と化す。その場合、必然的に、分析の探針をより深く降ろして質的な諸側面を明らかにし、できるならば量的にも、経済が政治に与えている動因を計測することが必要となる。この動因は、動的な土台から生じ上部構造の領域において解決されなければならない「諸課題」の、弁証法的形態なのである。

 経済的な景気変動(好況−不況−恐慌)はすでにそれ自身が周期的な動因であり、政治の領域に量的ないし質的な変化を引き起こし、新しい事象を生み出す。有産階級の所得、国家の予算、プロレタリアートの賃金や失業、外国貿易の規模、等々は、景気変動と密接に結びついており、他方、景気変動は、それはそれで、政治に直接的な形で影響を及ぼす。以上のことだけでも、資本主義の発展サイクルにしたがって、政党や国家機関等々の歴史を一歩一歩追うことがいかに重要で有益であるかが理解できよう。だが、だからといって、景気循環によってすべてが説明できると言いたいのではない。景気循環自身が基本的な経済現象ではなく派生的な経済現象にすぎないということからしても、そのようなことは不可能である。景気循環は、生産力の発展にもとづいて、市場関係を通じて形成される。しかし、景気循環は多くのことを説明する。それは、資本主義社会のメカニズムにおける必要不可欠な弁証法的動力の自動的脈拍である。商工業循環における転換を通じて、われわれは、政治動向や法律、すべてのイデオロギー形態における発展の決定的な結節点に最も近く接近するのである。

 しかし、資本主義はその循環の周期性によってのみ特徴づけられるわけではない。もしそうだとしたら、それは単なる複雑な繰り返しであって動態的な発展ではなかったろう。商工業循環には、はっきりと区別することのできる異なった諸時期がある。その主要な区別は、個々の循環における恐慌と好況との量的相互関係によって規定される。もし好況が、先行する恐慌期に破壊ないし縮小された以上に埋め合わせるならば、資本主義的発展は上昇している。もし、生産力の破壊、ないしは、少なくともその収縮を意味する恐慌が、それに対応する好況を、その活動力の点で凌駕するならば、結果として資本主義は下降している。最後に、もし恐慌と好況がほぼ同じ力を有しているなら、経済は一時的に停滞的な均衡状態にある。これがだいたいの図式である。歴史的には、同種の循環が一つの系列をなして集まっている。すなわち資本主義的発展の一時代においては、きわだった好況と弱く短命の恐慌によって特徴づけられる一連の循環が見られる。この結果として、資本主義的発展の基本曲線は急激な上昇運動を描く。停滞の時期には、この曲線は、部分的な循環的変動を通じて、何十年にもわたってほぼ同一の水準を維持する。そして最後に、若干の歴史時代においては、基本曲線は、いつものように循環的変動を行いつつも全体として下降し、生産力は衰退する。

 すでにして、資本主義の精力的な発展時代は、経済の停滞時代や衰退時代と――政治、法、哲学、文芸において――鋭く区別される諸特徴を有しているとア・プリオリに言うことができる。だがそれだけではない。このような一時代から別の時代への移行は、必然的に、階級間、国家間における最大級の大変動を引き起こす。この点については、現在進行しつつある資本主義の解体に関する純粋に機械論的な理解に反対する闘争が行なわれたコミンテルン第3回大会において、すでに述べられている。「正常」の好況と「正常」の恐慌が周期的に交代する時でさえ、社会生活のあらゆる分野にその交代が反映されるとすれば、上昇の一時代が衰退の時代に移行するとき、ないしはその逆の移行が起こるときには、必然的に最大級の歴史的変動がまき起こるだろう。そして、多くの場合、経済発展の2つの異なる時期の境界線上には、すなわち資本主義的曲線の2つの異なった線分の接点には、革命と戦争が存在すると言うことができる。こうした観点から見れば、新しい歴史はどれも、弁証法的唯物論にとってまことに取り組みがいのある課題であるとみなせる。

 コンドラチェフ教授は、コミンテルン第3回大会後にこの問題にアプローチしたが、例によって入念に、大会それ自体において行なわれた問題設定を回避し、10年を包括する「小循環」と並んで、約50年を包括する「大循環」なる概念を設定しようとした。この均斉のとれた概念構築物においては、経済の大循環は、およそ、5つの小循環より構成され、その半分は全体として激しい好況の性格を有し、もう半分は恐慌的性格を帯び、必要なあらゆる過渡的諸段階をともなう、とされている。コンドラチェフが提出している大循環の数字的諸規定については、個々一国のレベルでも、世界市場全体のレベルでも、疑いの目を持って綿密に検証するべきであろう。だが、彼が大循環と呼んでいる諸時代に、小循環におけるのと同じ「厳密に法則的な規則性」を付与しようとするコンドラチェフ教授の試みに関しては、形式的なアナロジーにもとづいた誤った一般化として、あらかじめ拒否することができる。小循環の周期性は、資本主義的諸力の内的な発展力学によって条件づけられており、市場があるかぎりいつでもどこでも現象する。だが、資本主義的曲線の大区間(50年)――コンドラチェフ教授は軽率にも同じ循環という言葉で呼ぶよう提案しているのだが――に関して言えば、その性格や長さは、資本主義的諸力の内的作用によってではなく、資本主義的発展の流れを方向づける外的諸条件によって決定される。新しい国や大陸の資本主義化、新しい天然資源の発見、そしてそれに加えて、戦争や革命といった「上部構造」的性格をもった大事件こそが、資本主義的発展の上昇・停滞・衰退の諸時代の性格、およびそれらの交代を決定するのである。

 では、どのような方法によって研究を進めるべきだろうか?

 まず、わが国に利害関係のある個々の国と世界市場全体について、非周期的(基本的)な曲線および転換点と、周期的(2次的)な曲線および転換点とを区別して資本主義の発展曲線を確定すること――これがわれわれの第一の課題である。記録された曲線がひとたび与えられれば(その記録の方法は、もちろん特殊な問題であり、けっして単純なものではない。それは経済的統計技術の分野に属する)、われわれはその曲線を、それが座標の横軸に対して(図表参照)上向きか下向きかにしたがって、いくつかの時期に分けることができるだろう。こうした方法によって、経済発展の視覚的な図式、すなわち「研究すべき諸事件の本来の基礎」(エンゲルス)の構図が得られるだろう。研究が具体的で詳細なものであれば、いくつものこのような図表――農業に関するもの、重工業に関するもの、等々――が必要となるだろう。こうした図表と、同時期に起こった政治的諸事件(最も広い意味での)とを比較するならば、社会生活におけるそれぞれ独特な諸時代と資本主義の発展曲線におけるそれぞれ特徴的な諸線分との間に照応関係、より正確に言えば、相関関係があることがわかるだけでなく、諸事件の発展を規定している直接的な隠れた動因が明らかになるだろう。

 もちろん、このような方法にもとづいて、容易に、俗流的な図式化におちいったり、とりわけ、イデオロギー的過程の執拗な内的制約や連続性を無視したり、経済は究極的にのみ決定するのだという事実を忘れたりすることもありうる。そして、マルクス主義的方法からこのような戯画化された結論を引き出す人の何と多いことか! だが、だからといって、前述した問題設定(「経済主義の匂いがする」)を拒否することは、マルクス主義の本質の完全な無理解を示すものである。なぜなら、マルクス主義とは、他ならぬ経済的土台の変化のうちにこそ、社会的上部構造の変化の原因を見出すのだから。

 「経済主義」に反対する人々の理論的憤激を買うことを恐れることなく(いくらかは、彼らの怒りを挑発することを直接意図して)、ここで、90年間におよぶ資本主義の発展曲線の図式を任意に描きだしてみよう。基本曲線の一般的傾向が、その部分的な景気変動曲線の特徴を規定する。われわれの図表においては、3つの時期がはっきりと区別されている。すなわち、資本主義がきわめて緩慢に発展する20年(A−B)、精力的に上昇する40年(B−C)、長引く恐慌と衰退の30年(C−D)、である。この図表に同時期に起こった最も重要な歴史的諸事件を書き込むならば、それぞれの政治的大事件と曲線のそれぞれの曲線との比較を見るだけで、史的唯物論の研究にとってきわめて貴重な出発点となる思想を得ることができるだろう。もちろん、政治的諸事件と経済的諸変化との平行的な関係はきわめて相対的なものである。なぜなら、通常、「上部構造」はただ遅れてのみ、経済の領域における新しい事象を記録し反映するからである。しかし、この法則は、私がここで与えた示唆的な図表の基礎となっている複雑な相互関係を具体的に研究すれば明らかとなるにちがいない。

 第3回大会の報告の中でわれわれは、1848年の革命期に始まり、第1次ロシア革命(1905年)を経て、現在の時期にいたる若干の歴史的実例を使って、われわれの考えを説明しておいた。読者にはその実例を参考にするよう勧めたい(参照『新段階』)。それはけっして完成されたものではないが、しかし、何よりも戦争や革命といった歴史の最も決定的な変動を理解するためにわれわれが示したアプローチの例外的な重要性を十分に特徴づけている。この手紙において、われわれは、歴史における何らかの実際の諸時期を基礎にすえるのではなく、純粋に恣意的な図式を利用しているが、それは次の単純な理由による。すなわち、この種の試みは、ようやく今後の課題であるにすぎない複雑で入念な研究の結果を軽率に先取りしたものになりかねないという理由からである。

 現在のところはもちろん、この唯物論的研究によって歴史のどの部分が、どれぐらい明確に解明されるのかを正確に予見することはできない。だが、こうした研究を基礎として、資本主義の曲線および、それと社会生活の全側面との相互関係をより具体的に研究することができるのである。この線にそって成果が達成されるかどうかは、もっぱら、これまで行なわれてきた大雑把な史的唯物論的研究よりも系統的で体系的な研究が行なわれるかどうかで決まるだろう。そして、いずれにせよ、新しい歴史に対するこのようなアプローチは、唯物論的方法の概念や用語を思弁的にもてあそぶという極めていかがわしいやり方よりも(ちなみに、わが国における若干のマルクス主義者は、このようなやり方を通じて、唯物論的弁証法の領域に形式主義的な手法を持ち込み、定義や分類を修正したり、空虚な抽象を空虚な諸部分に分解することに課題を還元している。一言でいえば、カント主義的亜流の気取った低俗な手法でもってマルクス主義を詭弁に変えている)、史的唯物論にとってはるかに価値ある成果をもたらすことができる。実際、原材料を加工するために道具を用いることが課題であるときに、道具を無限に研磨していって、マルクス主義の鋼鉄を削り取ってしまうとしたら、愚かなことであろう!

 このテーマは、史的唯物論に関するマルクス主義セミナーにおいて最も有益な課題になりうると私は思う。この分野における独自の研究は、疑いもなく、個々の歴史的諸事件と一時代全体に、それを解明する新しい光、ないしは少なくともより明るい光をあてることだろう。最後に、前述したカテゴリーを使って思考する習慣がつくならば、それだけで、現在とるべき政治的方向を決定することが容易になるだろう。なぜなら、現在という時代は、飽和点に達した資本主義経済と完全に抑制がきかなくなった資本主義政治との関係が、かつてなく赤裸々になっている時代だからである。

 このテーマについて論じることを『社会主義アカデミー通報』誌に約束してから、すでにずいぶん月日がたっている。今日まで、諸般の事情からこの約束を果たせないでいた。近い将来においても、この約束を果たせるかどうか自信がない。それゆえ、とりあえずこの手紙を書くことにしたのである。

『社会主義アカデミー通報』第4号

1923年6月21日

『トロツキー研究』第10号より


  

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