農村青年の任務と新しい日常生活

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、1924年4月28日にコムソモール・モスクワ協議会で行なわれた報告をパンフレットにしたものである。この時期、トロツキーは日常生活の問題について精力的に論文を書いたり演説を行なっていたが、これは、その一つであり、とりわけ農村青年の任務という視点から問題が取り上げられている。

 この報告のダイジェスト版は、「コムソモールは経済的・文化的スムィチカの前線に!」という表題で、『クラスナーヤ・ズヴェズダー』の第97号に掲載され、その後、ロシア語版『トロツキー著作集』第21巻『過渡期の文化』に収録された。『トロツキー研究』の第19号でこのダイジェスト版の方を訳出したが、最近、その報告のもとであるこのパンフレット版を入手することができた。このパンフレットには農村青年にとって読みやすいように細かい小見出しがついており、口調もきわめて平易で、非常に身近で具体的な例を用いて日常生活の諸問題について解明している。また、アメリカに亡命していたときの経験をもとに、アメリカニズム(ただし、生産様式ではなく消費生活としてのそれ)についてもあれこれと述べられている。

Л.Троцкий,О задачах деревенской молодежи и о новом быте,Мос.,1924.

Translated by Trotsky Institute of Japan


1、農村青年の任務について

 

   わが国の経済と2つの流れ

 モスクワ郡の中心地には、わが国の最も強力な工業地域がある。またモスクワの周辺には農民がいる。つまり、モスクワ郡においては、わが国の経済、わが国の政治、わが国の文化の多くの多くの問題があり、それが先鋭さを増し、きわめて激しい特徴的な形態をとっているということである。どんな問題を検討するにあたっても、われわれは常にわが国経済の性格を明確かつ正確に理解し、念頭に置いておかなければならない。

 わが国の経済は2つの相対立する流れによって構成されている。資本主義的流れと社会主義的流れである。それらは常に闘争しており、どんな小さな経済的事実も、それがどちらの方向に向かうのか――すなわち、社会主義へか、資本主義へか――という観点から検討することができるし、検討しなければならない。

 あらゆる問題に対してこのようなアプローチをすることは、都市にとっても農村にとっても必要である。

 

   帰休兵と農村

 最も単純で分かりやすい例を取り上げよう。われわれはこの数ヵ月間に、1901年生まれの赤軍兵士に無期休暇を与えた。赤軍兵士は軍隊にいる間に何ごとかを学び、読み書きを学んだ。多くの者は農業に関する講義を聴き、農業博覧会に参加し、旧式の三圃式農業や旧式のソハー[鉄製の鋤]に対する憎悪をもって、そして、ソフホーズという新しいより現代的な形態と新しいより改良された農業設備に関する思想をもって、除隊した。これはプラスであろうか。もちろん巨大なプラスだ!

 農村に帰ったこの赤軍帰休兵について考えてみよう。彼らはそこでどのような暮らしをするだろうか。彼らは2つの線に沿って生活することができる。塹壕を掘って、周囲を囲んでしまうこともできる。すなわち、都市から得た知識を自分のためだけに用いることができる。それでも彼は何ごとかを学び、他の人々よりも知識があり、読み書きができ、抜け目ない人間である。このような赤軍兵士はわが一族のできそこないである。彼のうちに培われたのは、協同体的感情ではなく、利己的感情である。

 彼のような人間は農村でどのように立ち回るだろうか? たまたま赤軍出身であるこの人物がどのような人間になるかは、容易に予測することができる。彼は、1年か2年か3年もすれば、クラークになるだろう。なぜか? 彼はより抜け目がないからであり、赤軍で読み書きを学んだからであり、都市にいたからであり、農業博覧会に参加したことがあるからであり、都市に知り合いやつながりがあるからである。そしてクラークになるには、他の人々に対する優位性がなければならず、他の人々よりも読み書きができ、機を見るに敏でなければならない。

 したがって、たとえば、都市の赤軍の兵営に、その資質、心理、精神からしてクラーク予備軍であるような農村青年がいて、兵営で何ごとかを学んだとしたら、彼は除隊後におそらく正真正銘のクラークになるだろう。

 だが、このような人物と並んで別の赤軍兵士もいる。こちらの方が3倍、いや10倍多い。彼らも赤軍で何ごとかを学んだが、それを農村全体のために用いようとする。どのようにしてか? 模範的な実例を紹介することによって、都市との結びつきを利用することによって、必要な文献を出版することによって、農学者や講師の助けを得ることによって、そして何よりも、自分自身の実例を通じて、農民たちをあらゆる種類の協同組合、アルテリ、共同作業に引き入れることによって、である。

 

   クラークの帰休兵と社会活動家の帰休兵

 すなわち、赤軍の兵営で若い農民に同一の教育が与えられても、それは農村で2つの回路に流れることができるということである。その2つとは、クラーク的・利己的回路と協同体的な協力や協同組合の回路である。この点をコムソモールは両目でしっかり見すえなければならない。

 赤軍帰休兵に対するわれわれの課題は、彼らの中の最良の人々、最も自覚的で、最も協同体的な人々を農村活動の指導者に引き込むことである。もちろん、彼らには優位性がある。彼らには都市とのつながりがあり、読み書きができ、赤軍が彼らに何ごとかを与えた。1924年においてはなおさらそうである。るなぜなら、われわれはより豊かになり、よりしっかりと足場を固め、よりよく組織され、より多く学んだからである。

 したがって、農村の帰休兵、元赤軍兵士は今では最も大きな役割を果たすことだろう。だが、いかなる条件のもとでか?

 それは、彼らがばらばらに分散していない場合であり、農村においても彼らとの結びつきが維持されている場合である。

 

   農村細胞の任務

 このことを行ないうるのは誰か? これこそ、党でありコムソモールである。コムソモールの細胞はすべての赤軍帰休兵を登録し、注意深くかつ暖かみをもって彼らをフォローし、彼らがクラーク的道に進んだ場合には、それを摘発し先手を打たなければならない。農村に帰った帰休兵たちのことを赤軍の新聞に、一般紙に書き、また休暇が与えられるまで彼らが所属していた部隊の新聞に書かなければならない。

 農村において強力な協同体的世論をつくり出し、そのすべての先進的分子が、コムソモールの周囲に団結した自覚的青年の指導下に置かれなければならない。これは、言葉の完全な意味で死活にかかわる問題である。言葉の完全な意味で、というのは、もしわれわれが農村の協同体的な最良の分子をコムソモールに結集させなかったとしたら、そして、コムソモールを通じて党と結びつけなかったとしたら、われわれによって訓練されたずる賢い連中が勝利を収めることになるからである。このような連中は赤軍では少数であるかもしれない。しかし、彼らは農村のクラーク分子に頼るだろう。彼らにはそれなりの資格があるし、このことは、裏から、背後から、クラークを支えるだろう。何といっても、どんな集団にも軽蔑すべき輩はいるし、それも少なからず存在する。だが、われわれがなすべきことをしなかったとしたら、いったい誰が農村を指導することになるだろうか? 1年か2年もたてば、おそらく、このクラークは帰休兵を指導するであろう。そしてその時には、分散しばらばらにされた残りの人々には何もできないだろう。

 

   クラークから目を離すな

 このような農村には、革命的・ソヴィエト的・共産主義的世論は存在しないだろうし、しえないだろう。ここにこそ最大の危険性がある。農村には、さまざまな種類、さまざまな形態の社会主義的・協同体的・協同組合的な建設事業も存在するし、利己的・クラーク的な建設の流れも存在する。そしてどちらも、すべてを自分の側に獲得しようとしている。コムソモールの諸君、われわれの怠慢、無理解、不注意から、わが国の最良の人々がただの1人でもクラーク的・資本主義的流れに奪われるということのないよう、目を光らせよ。

 ここでは一つの例だけを指摘した。本来なら、あらゆる問題に関する報告を最初から最後まですべきなのだろう。おそらく、著作か、あるいはもっと詳細な報告の中でならそうすることもできただろう。だが、ここでは、経済問題に関して、一定の観点からアプローチし、農村の諸個人や諸集団の仕事と活動やいくつかの経済的事実を評価し、われわれが常に理解しておくべきこと、すなわち、わが国経済においては2つの原理の闘争が存在するということを提示することにとどめさせてもらった。

 

2、新しい日常生活について

 

 日常生活の諸問題は、労働者階級と農民の意識的青年の関心をますますとらえつつあるが、それも当然である。日常生活の諸問題を通じて、わが国の勤労青年は、社会――新しいソヴィエト社会――の中で自らの場所を見いだそうとしており、祖父や曾祖父の時代よりも理性的な生活を送ろうと欲している。青年は、現在の状況と今後どうあるべきかを反省し、理性的に吟味している。

 

   教会の儀式と「左翼」

 日常生活の諸問題における活動が何よりも教会の古い儀式との闘争の中で展開されてきたことが、それも驚くにあたらない。この戦線は最も明白で、最も単純である。ここで刷新される必要があるのは、家でもなければ、街頭でも、工場でも、農村でもなく、人間の頭脳、思想が刷新されようとしている。青年は――もちろん、青年だけではないが――何よりもこの戦線で闘っている。すなわち、教会の古い儀式を、新しい革命的でソヴィエト的な儀式に置きかえるための闘争である。

 しかし、私が読んだコムソモールの雑誌には、左翼と最左翼がすでに形成されており、彼らはいかなる儀式も総じて不要であると主張している。「オクチャブリヌィ(10月命名式)」(これは赤軍では時おり「ズベズディーヌィ」と呼ばれている)という儀式――新生児の誕生を祝うために労働者と農民が組織する儀式――や結婚の新しい形態、等々を取り上げてみよう。この分野で君たちコムソモール員は、戦線のささやかな活動領域でだが、古い儀式を一掃することに成功している。すでにこのような言い方がされている。教会儀式の問題においては私はコムソモール的観点を堅持している、と。マルクス主義的観点でも、レーニン主義的観点でも、唯物論的観点でもなく、コムソモール的観点である。しかし、ここで最左翼が登場し、どんな儀式も総じて不要であると言う。私は、これが勇み足になりはしないかと恐れている。実際、わが国ではそうなりがちである。

 儀式という言葉はもちろん、さまざまに理解することができる。この言葉をさまざまな教会儀式の残存物として理解するなら、もちろん、そのような残存物は不快である。だが、一定の確立された厳粛な手順ととらえるなら、そこには悪いものは何もない。

 

   人間を全体としてとらえることが必要だ

 たとえば、われわれは集会の開会と閉会の際に「インターナショナル」を歌う。これはわれわれの革命的儀式である。われわれはそれを通じて自らの気分と感情を表現する。モスクワはイリイチを葬送したが、それは大規模なものであり、上から組織されただけでなく、下からの自然発生的な参列者の波を呼び起こした。それはおそらく歴史上最も重要な参列であった。われわれはこれを拒否するべきだろうか。人々を団結させるような感情や気分の発露を拒否するべきだろうか。感情や気分を表現する歌声や音楽を拒否するべきだろうか。断じて否である! 

 このような革命的儀式に反対することは、最悪の合理主義者として行動することを意味する。この場合の合理主義者とは、人間には抽象的な理性が存在するだけでなく、本能や感情や気分、音楽的要求をはじめとする諸要求が存在することを忘れることを意味する。人間を全体としてとらえることが必要である。そして、儀式は人間の一定の美的要求に応えているのである。

 

   教会の儀式から何を取り入れることができるか?

 教会の儀式には2つの側面がある。一つは神秘主義的側面であり、もう一つは美的側面である。教会は豪華絢爛であろうとし、そのきらびやかさや聖歌の合唱その他を通じて、人間の美的要求にはたらきかけようとし、同時に、この感情を利用している。何のためにか? 意識をぼんやりとさせるためにである。教会で歌われる歌は、単なる歌ではなく、天国のための、神を讃えるための歌である。教会を前にしてわれわれは言う。「神秘主義は去れ! 美の方が教会よりも100倍もわれわれの役に立つだろう」と。

 人民大衆の音楽、最高度に発展した合唱、厳かな参列(お祝い関係のものや、悲しみの参列)――われわれはこれらのものを最も豊かな教会よりもうまくとり行なうだろう。ただし、神秘主義も、天国のベールも、嘘も、虚偽もなしに、である。

 したがって、いかなる儀式もいらないと語る者は、人民大衆の最も手厳しい反発にあう恐れがある。なぜなら、美的なもの――絵画的、感性的、音楽的、視覚的なそれ――は、レフ・トルストイが言っているように、クワス[麦類を原料とするロシアの発酵性飲料]の中の干ぶどうだからである。グラスに注がれたクワスには誰もが干ぶどうを入れたがる。干ぶどうの入っていないクワスはクワスではない。

 音楽や歌声のない生活、厳かな儀式――その時々の事情や理由や原因によって陽気であったり陰欝であったりする――のない生活、これは退屈で味気ない。それはまさに干ぶどうの入っていないクワスである。したがって、われわれ革命家、共産主義者は、人間の生活を削ぎ落とすのではなく、それを豊かにすることを欲している。それを高め、美しいものにし、よりよいものにしたいと思っている。そのようなわれわれがクワスから干ぶどうをはじき出すべきだろうか? 断じて否である!

 

   行きすぎてはならない

 したがって、日常の活動においていかなる儀式もいらないと語る者は――この場合の儀式を、教会のいかさまのことではなく、自らの感情、気分を表現する集団的形式と解するなら――、行きすぎていることになろう。このような者は、古い日常生活との闘争において、額や鼻づらなどの必要な部位にケガをするはめになるだろう。

 しかし、もちろんのこと、古い日常生活と本格的な闘争をするためには、儀式や教会に対するこのような正面攻撃だけでは不十分である。そのための主要な武器を持っていなければならない。すなわち、日常生活の基礎そのものを物質的に刷新することである。そして、言うまでもなく、これこそ最も困難な課題である。なぜなら、われわれは貧しいからだ。したがって、この過程は長期にわたって少しづつ進行し、発展していくだろう。

 

   集団主義とアメリカニズム

 基本的な課題は日常生活のうちに集団主義を持ち込むことである。人々が生活している基本的な単位は、住居であり、アパートである。われわれは日常生活をまず何よりも都市から変革し、その後、何年もたってから、少しづつ農村においても日常生活を変革するだろう。なぜなら、古い家庭にいる、農家にいる最も保守的な人々は、冬眠中の熊のように頑として譲らないからである。それに、われわれの持てる手段も乏しい。力づくや棍棒によって熊の穴から引きずり出すのではなく、自発的に熊の穴のような住居から出てくるようにするには、そして、彼らのために、最も住み心地のよい集団的な蜂の巣をつくり出すには、わが国はまだあまりにも貧しい。

 しかし、われわれはそれを目指さなければならない。そこにおいて、第1にアメリカの建築技術と、第2に集団主義が必要である。アメリカの建築技術とソヴィエトの集団主義を結合すること、これこそ、当面する経済的および日常生活上の課題である。

 

   「アメリカニズム」とは何か?

 アメリカの建築技術ということで私が言いたいことは何か? 私は以前、たまたまアメリカで短期間暮らしたことがある。ニューヨークで2ヵ月少々だ。私が暮らしたアパートは、中上層の熟練労働者によって完全に占められていた。それは、ニューヨークのはずれにある新しいアパートで、2つの明白な特徴が見られた。一つは、アメリカの建設技術の高さであり、2つ目はブルジョア的および小ブルジョア的な個人主義である。それぞれの家庭は他の家庭から孤立していた。以上のことはどの点に現われていたか?

 そこのアパートの家賃は平均して月13ドル、すなわち、わが国の貨幣単位で言うと2六ルーブルであった。しかし、これはアメリカの中上層の熟練労働者にとってはまったく手ごろな値段であり、彼らは月に100〜150ドル以上も稼いでいる。ニューヨークは寒い日が多いが、冬にドアを開けても、階段と玄関ホールは日中も夜も暖かい。もちろん暖房はセントラル・ヒーティングである。昼だろうと夜だろうといつでも、セントラル・ヒーティングのおかげで、すべての部屋で、冬と夏に冷たい水と暖かい水を利用することができる。繰り返すが、そこで暮らしているのはモルガンでもなければロックフェラーでもなく、労働者である。どの部屋にも電気が通っており、ガスや電話が使える。電話料金は部屋代に含まれている。想像してみてほしい。ニューヨークでは一般に、アパートに住んでいるかぎり、誰も電話なしですますことはできないのだ。そこにはガスとガス器具がある。ガスレンジにガス洗濯機だ。

 ゴミは台所から壁のパイプをたどって部屋の外にある特別製トロッコ、特別の鉄製の箱に放りこまれる。1日に1回か2回――よく覚えていないが――特別製のトラックがアパートの外の壁に横づけされる。各部屋から出されるゴミの入ったトロッコは壁のパイプをつたって下に降ろされ、トラックに中身をぶちまける。ゴミの入った各部屋のトロッコを下にいつ降ろせばいいのかを知るために、トラックが横づけされるとスイッチが押され、すべての部屋でベルが鳴る。ゴミをトラックの中に放りこむ合図である。ゴミが回収された後、同じパイプをつたってトロッコは上に引き上げられる。

 別の時間になると、協同組合や小売店が各家庭のために準備した包装された肉やパンなどが、同じ方法を用いて各部屋に運ばれる。そして、商品の受け取りを知らせる特別の合図がある。

 

   アメリカ人から何を取り入れるべきか?

 これらはすべて小さな事実である。しかし、それらは50%の、いやおそらくは75%の主婦の生活を楽にしている。彼女らは、うとましく煩わしい台所仕事をするのに自分の筋肉と神経をつかわなくてもすむ。アメリカにおいては節約が巨大な規模で進んでいる。清潔さについては言うまでもない。1日中いつでも暖かいお湯が利用でき、各部屋にはバスがついている。

 ここに見られるものは何であろうか? ここに見られるのは、第1にアメリカの高度な技術であり、われわれにとってそれはもっぱら魅力的である。第2に個人主義である。なぜなら、本来、各部屋ごとに台所仕事や洗濯がなされる必要はないはずだからである。

 協同体的アプローチにもとづくなら、われわれはアメリカから何を取り入れるべきだろうか? その高度な建築技術である。それはすべてきわめて進歩的な方法であり、主婦の仕事を軽減している。だが、その方法に集団的な性格を与えなければならない。共同の食堂、共同の洗濯所、子供を預ける共同の保育所、等々、等々。われわれは、新しい家庭のためのこのような協同体的・家庭的・経済的施設を建設する計画を練り上げなければならない。

 

   新しい日常生活と住居・食事

 労働国防会議(CTO)で次のような決議が通過した。今後、各工業企業は収益の10%を労働者の日常生活の改善にあてること、何よりもまず住宅建設に振り向けること、である。

 これらの新しい住宅には何よりも労働者の家庭が住むだろうし、もちろんのこと、この事業の中で、新しい形態の協同体的な家族の共同生活が準備されるだろう。そしてコムソモールはその中で重要な役割を演じるだろう。

 第2の強力なてこは、共同の食事である。わが国ではこの事業は前進している。どれほど前進しているのか? 食堂でどのような仕事が行なわれているのか? 私は、この問題に関する反響を新聞の中に探そうと努力したが、ほとんど見つからなかった。

 わが国には共同の食堂があるが、それはどのように運営されているだろうか? どのような仕事がなされているだろうか? 必要な清潔さがあるか、必要な注意が向けられているか、要求に応えているか? 

 コムソモール員は、繰り返し繰り返し共同の食堂、共同の台所を覗き込み、隅々まで観察し、あらゆる点を理解し、注意深く、慎重に、詳しく通信を書くべきである。共同の食事という課題や方法に対する最も細心の注意を向けないかぎり、古い日常生活に対するわれわれのいかなる正面攻撃もシャボン玉のようなものであろう。共同の食堂で夕食・昼食・朝食をとるほうがいいし、より便利で、より好都合で、より清潔であると、普通の主婦、普通の女性労働者が言うような日が来てはじめて、われわれは、古い奴隷的・農奴的家庭に対し真に本格的な打撃を与えることができるのである。

 このことはまた、保育所にも完全にあてはまるし、その他、勤労家庭に奉仕する他のあらゆる施設にもあてはまる。

 

   コムソモールと新しい日常生活

 もちろん、私が指摘した任務は、もっぱらコムソモールに限定された任務というわけではない。この点は言うまでもない。この問題は労働者階級と農民、われわれ全員の生活にかかわっており、今後ますますそうなっていくだろう。コムソモールの力だけではこの課題を解決することはできない。だが、コムソモールは最も活動的で最も能動的な勢力であり、したがってソヴィエト社会において最もイニシアチブを発揮する勢力でなければならない。

 農民諸君は学んで知っているように、自然は真空を嫌う。自然において真空があってはならない。そして、これは正しい。真空があった場合、すぐさまそこに空気が入りこむ(もちろん、大気がある環境のもとでの話だ)。コムソモールもまたわが国に社会的な真空がないように目を光らせなければならない。

 わが国には多くの機関があり、よいものもあれば、悪いものもある。いずれもあらゆる必要や要求に奉仕しているが、その調和性は申し分ないとはとうてい言えない。欠陥、隙間、割れ目はいくらでもある。コムソモールは非常にしなやかな背骨を持ち――何らかの特別な資質のゆえではなく、若さゆえに――、しなやかで活動的な筋肉を持っており、このすべての欠陥、隙間、割れ目を自ら埋める努力をしなければならない。かつてコムソモールは前線においてそうしたものだ。何か問題があれば、大人の共産党員と青年のコムソモール員とは最も重要な作戦区域に飛び込み、自らの身体でもって穴を埋めた。

 現在わが国の軍事分野には、1918年の頃よりも巨大な組織が存在するが、欠陥はなお少なくない。しかし、経済と文化の戦線にはおそらく、征服された他の堅固な戦線よりも多くの欠陥がある。なぜなら、経済と文化の仕事にわれわれが着手したのはごく最近のことだからである。だが、コムソモールとは何か? それは、上昇しつつある労働者階級と農民の世代の持つ若いエネルギーの組織的表現である。すべての欠陥、すべての隙間、すべての不足を埋めるのに、いったい労働者と農民の勤労青年以外の誰がいるだろうか?

 

   頭をしぼり、必要とあらば肩を貸せ

 経済戦線におけるわれわれの課題は巨大である。手っ取りばやく問題を片づけようとする誘惑は、個々人にとって非常に強い。文化戦線においては仕事に着手したばかりである。だが安直な誘惑にのってはならない。問題になっているのは、1億3000万人を有するソヴィエト人民の家庭を向上させることだということを忘れてはならない。下層民衆の文盲、貧困、無知は、わが国では、長期にわたって幾層にも積み重ねられてきた。何世代にもわたる偉大な粘り強い集団的努力によってのみ、ソヴィエト同盟はこの偉大な任務をその肩に背負うことができる。

 この任務において若い世代には二重の仕事が課せられている。学ぶことと、人に教えることである。忘れてはならない。経済建設の分野において、文化建設の分野において、労働者国家は何よりも、君たちコムソモールに依拠しているのだ。

 頭をしぼり、必要とあらば肩を貸すのだ。

1924年4月28日

同名パンフ所収

新規、本邦初訳


  

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