新聞とその読者

トロツキー/訳 湯川順夫・志田昇

【解説】この論文は、トロツキーの非常に興味深い大衆ジャーナリズム論である。彼は、ジャーナリストとして、あるいは新聞の編集者としての長年の経験を生かして、きわめて具体的にソヴィエトのメディアの問題点を指摘している。ここで指摘されている論点は、印刷技術の問題を別にすれば、今日でもなお有効であろう。とりわけ、左派のメディアに対するアドバイスとして、今なお、多くの人が首肯できるようなことが書かれているのではなかろうか。

 なお、今回、アップするに際しては、読者の便宜を考えて、適当に小見出しを入れておいた。

Л.Троцкий, Газета и её читатель, Сочинения, Том21, Культура переходного период, Мос-Лен., 1927.

Translated by Trotsky Institute of Japan


   メディアの課題

 一方では、わが党が党員数の点でよりもむしろ非党員大衆に対するその影響力の点で強化されたことによって、他方では、われわれが革命の新たな時期に入ったことによって、ある面では新しい課題が、別の面では新しい形態のもとでの古い課題が、党に提起されている。その中には宣伝・扇動の分野における課題も含まれる。われわれは慎重に注意深く、われわれの宣伝の道具と手段を点検しなければならない。その射程は十分か? すなわち、解明すべきすべての問題を含んでいるか? 読者にとって近づきやすく興味を引くような適切な叙述形式をとっているか?

 この問題は、他の一連の問題と並んで、モスクワの25人の宣伝組織者が一堂に会したときに論議の対象とされた。ここで出された意見、判断、評価は議事録に記録された。私は新聞のためにこのすべての資料を近いうちに利用したいと思っている。ジャーナリストの同志たちは、そこに少なからぬ厳しい叱責を見いだすだろうし、私の意見によれば、これらの叱責の大半は正当であると率直に認めざるをえない。わが国のメディア、とりわけ新聞における宣伝を正しく方向づける問題はきわめて重要なので、ここで見過ごすことは許されない。われわれは腹蔵なく語らなければならない。

 

   印刷の問題

 諺にも「人は最初は体裁によって判断される」と言われているので、新聞の技術から話を始めよう。新聞の技術はもちろん、1919〜20年に比べて向上したが、まだきわめて劣悪である。組版のずさんさと印刷の汚れは新聞を読むのを著しく困難にしている。これは読み書きの得意な読者にとってさえそうなのであるから、読み書きの苦手な読者にとってはなおさらである。『ラボーチャヤ・モスクワ(労働者のモスクワ)』や『ラボーチャヤ・ガゼータ(労働者新聞)』のような、労働者の間での広範な販売を目指している新聞の印刷はきわめて劣悪である。号ごとの出来ばえの差は非常に大きい。ほとんどすべてを判読できることもあるが、その半分すら判読できないこともある。そのため、新聞の購買はくじ引きのようなものになってしまった。『ラボーチャヤ・ガゼータ』の最近の号の一つを無作為に取り出して、子供欄の「賢い猫の話」にざっと眼を通してみると…、まったく読むことができない。それほどまでに印刷が汚い。しかも、この欄は子供向けなのだ!

※原注 ところで、『ラボーチャヤ・ガゼータ』はなぜ縦にではなく、横に折りたたまれているのだろうか? これはある人には便利かもしれないが、読者にとってはまったくそうではない。

 率直に言わねばならない。われわれの新聞技術は恥ずべきものである。われわれは貧しく、教育を必要としているにもかかわらず、印刷インクで紙面を汚して、しばしば紙面の4分の1、あるいは半分もわざわざ読めなくしてしまっている。このような「新聞」は何にもまして読者を苛立たせるものである。それは、それほど教育を受けていない読者の中に徒労感と無関心を生み出し、他方、より教育を持つより厳しい読者の中には、読者を愚弄するに等しい行為を行なう者に対する噴まんやるかたないあからさまな軽蔑を生み出している。何といっても、誰かがこれらの記事を書き、誰かがそれらを組み、誰かが印刷しているのだから。そして、その結果、読者は、指で行をたどって読んでも、ところどころしか判読できないのだ。不名誉で不面目なことだ! わが党の先の大会は、この印刷技術の問題に特別な関心を払った。そして、問題は、これから先いったいどれだけの期間こうしたことに我慢しなければならないのかということである。

 

   校正の不正確さ

 「人は最初は体裁によって判断されるが、最後には中身によって判断される」。われわれは、劣悪な印刷という体裁のために時として中身の理解が困難になっているのをすでに見てきた。さらに記事の配置や組版や校正が妨げとなっているので、もっと理解しにくくなっている。校正の問題だけ少し詳しく論じよう。わが国では、校正が特にひどいからである。

 新聞だけでなく、学術雑誌でも――とくに、『マルクス主義の旗の下に』!――、まったくひどい誤植と間違いがしょっちゅう起こっている。レフ・トルストイはかつて、出版は無知を広めるための道具であると言ったことがあった。もちろん、この傲慢で尊大な主張は根本的に間違っている。だが、残念なことに、この主張は、われわれの印刷物の校正によって…部分的には正当化されているのだ。こうしたことにも我慢していてはならない。

 もし印刷所が、完璧に読み書きのできる、自分の職務に通暁した校正係の必要なカードルを配置できないのであれば、これらのカードルを特別に訓練しなければならない。現行の校正係には、政治教育コースを含む再訓練コースが必要である。校正係は自分の校正しているテキストを理解していなければならない。そうでなければ、その人は校正係ではなく、客観的には無知の普及者である。だが、トルストイの主張にもかかわらず、出版物は啓蒙の道具であるし、そうでなければならない。

 

   新聞の外電

 ここで新聞の内容をもっと詳しく見てみよう。

 新聞は何よりも、何がどこで起こっているかを知らせることによって人々を互いに結びつけるために存在する。したがって、新鮮で豊富な興味深い情報が新聞の魂である。今日の新聞報道において最も重要な役割を果たしているのが、電信と無線である。そのために、これまで新聞に慣れ親しみその役割を知っている読者は、まず第1に外電から眼を通し始める。しかし、外電がソヴィエトの新聞で正当にも第1級の地位を占めるようにするには、重要で興味深い事実を、しかも一般読者に理解できる形で提供しなければならない。しかし、われわれにはこれが欠けているのである。

 われわれの新聞の外電は、ブルジョア「大」新聞にとってお決まりのやり方で編集され、印刷されている。もし諸君がわが国のいくつかの新聞に掲載されている外電を日々追うなら、この欄を担当する同志たちが最新の外電を活字に組むとき、自分たちが昨日活字にしたことを完全に忘れているという印象を受ける。仕事に関する毎日の継承性がまったく存在しない。それぞれの外電はある種の偶然の断片のように見える。それらに付けられている説明は行き当りばったりで、その大部分は十分練り上げられていない。せいぜい、その欄の編集者が何人かの外国のブルジョア政治家の名前に括弧付きで「自」とか「保」とつけ加えるだけである。これは、「自由主義派」や「保守派」を意味するものとされている。しかし、読者の4分の3がこれらの編集上の略語を理解しない以上、その説明は読者をますます混乱させるだけである。たとえばブルガリアやルーマニアで起きた出来事を伝える外電は通常、ウィーンやベルリンやワルシャワ経由でわれわれのもとに届く。外電の冒頭に記載されているこれらの町の名前は、それでなくても地理にきわめてうとい一般読者を完全に混乱させる。

 なぜ私がこうした細かいことを持ち出すのか? すべて同じ理由からである。これらの事実は、われわれが新聞を作るとき、いかにわれわれが末端の読者の立場やその要求やその無力さについてほとんど考えてないかを何よりもよく示している。労働者新聞に載せる外電を推敲するのは、最もむずかしく、最も責任ある仕事である。それには、注意深く骨の折れる作業が必要である。重要な外電を、あらゆる角度から十分に検討して、一般読者が多少ともすでに知っていることと直接結びつけた形にしなければならない。必要な説明を外電の前につけて、それらを一つにまとめたり、いっしょの記事にしたりしなければならない。

 もし見出しが外電の中で言われていることを繰り返しているだけだとすれば、2、3行以上をとる太字の見出しに、いったいどんな意味があるというのか? こうした見出しはたいてい読者を混乱させるだけである。第二義的なストライキについての簡単な報道にしばしば「いよいよ始まった!」とか「山場が近づきつつある」との見出しがつけられている一方、外電自体の記述は、鉄道員のストライキ運動について、その原因や目的を指摘することもなく、漠然としか述べていない。その翌日にも翌々日にも、この出来事に関する記事は何もない。その後にまた外電の上に「いよいよ始まった!」という見出しを見ると、読者は、そこにすでに物事に対する不真面目な態度、安っぽい新聞のセンセーショナリズムを見るのであり、外電と新聞への読者の関心は薄れていく。

 外電担当デスクの責任者が前日と前々日に自らが印刷したことをはっきりと覚えていて、出来事と出来事との、事実と事実との相互のつながりを理解して、読者に対してそのつながりを明確にしようと努めるならば、外電の情報は、たとえそれがはなはだ不完全なものであっても、はるかに大きな教育的価値を持つだろう。事実にもとづくしっかりとした情報が徐々に読者の頭の中に浸透していく。読者が新しい事実を理解するのがますます容易になり、読者は新聞の中にまず何よりも最も重要な情報を探し求め、それを見いだすことを学ぶようになる。このことを学んだ読者は、同時に文化的発展の道において長足の進歩を遂げる。われわれの新聞編集部は外電欄に全力を傾注し、それがきちんと編集されるようにしなければならない。このようにしてはじめて――新聞それ自身からの圧力と模範によって――、ロスタ[タス通信社以前のソ連の通信社]の通信員もまたしだいに訓練していくことができるのである。

 1週間に1回――もちろん、日曜版、すなわち、労働者の時間が空いている日が一番望ましい――、その週の最も重要な出来事をまとめた論評を掲載すべきである。この仕事は、同時に新聞の各欄の責任者を教育するすばらしい手段となるだろう。責任者たちは個々の出来事の相互の結びつきをより慎重にさぐることを学ぶだろうし、それがひるがえっては、各欄の日々の担当業務にたいへん有益な影響を与えるだろう。

 

   地理の知識

 国際的な新聞報道を理解することは、少なくとも基本的な地理的知識なしには不可能である。たまに新聞に掲載される簡単な地図は――たとえそれが判読できるものであっても――、世界の諸部分および諸国の相対的位置を知らない読者にはほとんど助けとはならない。地図の問題は、われわれの状況――帝国主義による包囲と世界革命の成長という状況――のもとでは、社会教育の非常に重要な問題である。すべての、あるいは少なくとも講義や会議が行われる最も重要な施設の内部には、国境線がはっきりと描かれ、経済と政治の発展を明らかにするその他の指標が記載された特製の地図が置かれるべきである。あるいは、内戦時のように、そうした略図をいくつかの通りや広場にも設置すべきかもしれない。

 このための資金は見つけようと思えば、見つけられるはずである。昨年、われわれはさまざまな理由から膨大な量の旗を作った。これらの資金を使って、工場と職場に、さらには農村にも政治地図を備えつけた方がよかったのではなかろうか?…そうすれば、すべての講師や演説者や宣伝員がイギリスとその植民地について言及するときには、地図上でそれらの地点をただちに指し示すことができるようになるだろう。ルール地方について言及するときも同じである。それはとりわけ演説者のためになるだろう。演説者は、どこに何があるか事前に自分でチェックすることになるので、自分の話していることをより明確にしっかりと知るようになるだろう。

 そして、聴衆は、この問題そのものに関心がわくと、必ず示されているものを認識するようになるものである――最初からそうならなくても、5回目ないし10回目からそうなるだろう。そして、ルール地方やロンドンやインドといった言葉が読者に単に空虚なものとして響かなくなるその瞬間から、読者は外電にまったく異なった態度をとり始めるだろう。読者はインドがどこにあるかを知っていれば、新聞でインドを見つけだすのが喜びになるだろう。読者はより確固として自分の足で立ち、外電と政治論文をよりよく理解するようになるだろう。読者はより文化的な人間になるし、自らもそう感じるだろう。こうして、図解的地図は一般的な政治教育の初歩的な要素となる。国営出版局はこの問題に真剣な注意を払わなければならない。

 

   無意味な略語の犯罪性

 だが、新聞に話を戻そう。国際ニュースの分野で先ほど指摘したのと同じような一般的欠陥が国内ニュースでも見られる。とりわけソヴィエトや労働組合や協同組合やその他の機関の活動面で見られる。不注意でぞんざいで読者への思いやりに欠ける態度がここでもまたしばしば「些事」に表現されているが、このような些事は本質的に事業全体を台無しにしてしまう。

 ソヴィエトやその他の機関は、ここでは略称がつけられ、ときにはイニシャル(頭文字)だけで示される。機関そのものの内部では、あるいは近接機関では、時間と紙の節約になるという意味でこうした方法には一定の便利さがある。しかし、広範な一般読者はこうした人為的な略語を知ることができない。わが国のジャーナリストや記者や記録者は、球をもった道化師よろしく、あらゆる種類の理解不可能なソヴィエト用語を振り回している。たとえば、紙面の目立つ場所に、ある同志、「オ・カ・ハの議長」とのインタビューが掲載されている。この頭文字は説明抜きでこの論文に数十回繰り返されている。これが「自治体公共事業部」のことであると推察できるには、根っからのソヴィエト官僚でなければならない。一般読者はけっしてこの略語の意味を察したりしないし、それどころか、当然のことながら、むかついてこの記事を――もしかすると新聞全体を――放り出すだろう。わが国の新聞労働者は、次のことを肝に命じておくべきである。すなわち、略称や通称は、それらが確実に理解できる限度内で使われる場合には悪くないし、許容できるものだが、人々を混乱させるだけであるような場合にそうした名称を用いることは犯罪的で無意味であるということを。

 

   事実をきちんと伝えよ

 すでに述べたように、新聞はまず何よりもきちんと情報を提供すべきである。興味深く適切に配置されたよいニュースを通じてはじめて新聞は役に立つことができる。とりわけ、事実を明確にわかりやすくしっかりと、すなわち、「どこで、何が、どのように」が分かるように説明すべきである。

 わが国ではしばしば次のようにみなされている。すなわち、出来事や事実そのものは読者に知られている、あるいはほのめかすだけで理解される、あるいはそもそも何の意味を持たないものである、と。そして、新聞の任務は、(読者には未知であるか理解できない)この事実に「関して」、昔から人をうんざりさせてきた多くの教訓話を長々と論じることであるとみなされている。こうしたことはまた、論文や論評の筆者自身が確実なことを知らないがゆえに、そして率直に言うと、それについて問い合わせ、確認し、調べ、情報を求めて電話をかけてみるという労をとりたくないがゆえに起こることもある。彼はわざわざそうした作業を回避したうえで、事実に「関して」、ブルジョアジーはブルジョアジーであり、プロレタリアートはプロレタリアートであるとのたまうのである。

 ジャーナリストの同志諸君、読者が諸君に望んでいるのは、自分たちに忠告したり、教訓を垂れたり、勧告したり、せき立てたりすることではなく、「何が、どこで、どのように」をわかりやすく明瞭に語り、叙述し、説明してくれることなのだ! そうすれば教訓や勧告は自ずと出てくる。

 

   読者から出発すること

 著述家は、とりわけ新聞の書き手は、自分自身からではなく読者から出発しなければならない。これは非常に重要な違いであり、このことは個々の記事や紙面全体の構成に如実に示される。自分自身から出発する場合、(自分の仕事を理解していない未熟な)筆者は、読者に自分自身を、自分の見解、自分の考え、そしてしばしば単なる決まり文句を提供するにすぎない。それに対して、読者から出発する場合、自分の任務に適切にアプローチする筆者は、読者自身を必要な結論へと導いていくのに大衆の日常的経験を利用する。

 モスクワの宣伝担当者の討論の際に挙げられた例を使って自分の考えを説明しよう。今年、わが国では、周知のように、マラリアが猛威をふるっている。昔からあるわが国の伝統的伝染病――チフスやコレラなど――は最近いちじるしく減少し、戦前水準さえ下回っているのに、マラリアはかつてないほど大規模になった。都市や地域や工場がこの病いにかかっている。その突然の発生、その満ち干、その発作の周期性によって、マラリアは健康にだけではなく、想像力にも影響を及ぼす。人々はそれについて語り、思案している。それは迷信の基盤にもなるが、科学的宣伝の基盤にもなる。しかし、わが国のメディアは、一般に、この事実にあまりにもわずかな関心しか示さなかったし、今も示していない。ところが、マラリア問題について論じたどの論文も、モスクワの同志たちが語ったように、読者の最大の関心事だった。その論文の載っている新聞は人々の間で次から次へと手渡しされ、声に出して読まれた。わが国の新聞が保健人民委員部の衛生・宣伝活動でよしとせずに、この問題に関してもっと独自の活動を発展させなければならないことは、まったく明白である。その活動は、感染がとりわけひどい工場などを挙げていって、この伝染病の感染経路、この病気が広がっている地域を報道することから始めるべきである。そうするだけですでに最も後進的な大衆との生きた結びつきを確立し、大衆に対して、自分たちが認知されていること、関心を寄せられていること、忘れられていないことを示すだろう。

 さらに必要なのは、マラリアを自然科学的、社会的観点から解明すること、その流行を一定の生活条件と生産条件に結びつけて説明すること、このことを数十の例を使って説明すること、所轄の国家機関によってとられている措置を正確に報道すること、必要な忠告を与えること、毎号それらを執拗に繰り返し掲載すること、等々である。このような具体的な基礎にもとづいて、さまざまな宣伝を展開できるし、展開しなければならない。

 たとえば、宗教的偏見に反対する宣伝などがそれである。もし伝染病――病気一般と同じく――が罪に対する罰であるとすれば、なぜマラリアがある工場でより多く別の工場でより少ないのか、なぜ乾燥した場所でより多く湿った場所でより少ないのか? 必要な説明をつけた事実にもとづくマラリアの分布図は、反宗教宣伝のすばらしい武器である。この問題が広範な労働者層に同時に、しかも非常に先鋭な形で影響を及ぼしているだけに、この武器の威力はなおさら強力である。

 

   大衆の興味関心に注意を

 新聞は、大衆や巷の労働者が興味を抱いていることに無関心でいる権利はない。もちろん、われわれの新聞は、事実を解明することができるし、そうしなければならない。何といっても、大衆を教育し、向上させ、発展させる使命が新聞にはあるからである。しかし、この目標に到達することができるのは、一般読者に実際に影響を与える事実、思考、気分にもとづく場合のみである。

 たとえば、明らかに、裁判やいわゆる「事件」――人身事故、自殺、殺人、嫉妬のドラマなど――は庶民の思考と感情を大いにかきたてる。そして、これは意外なことではない。それらはすべて生きた生活の精彩に富む断片である。しかし、わが国のメディアは、概して、この点に対してはなはだしく無関心であり、せいぜい数行のベタ記事扱いである。その結果、庶民はより低俗な出所からニュースを、そしてニュースとともに低俗な教育を得ることになる。家庭のドラマ、自殺、殺人、厳しい判決を伴った裁判は、想像力をかきたてるし、今後もかきたてるだろう。「コマロフ裁判のために一時期カーゾン(1)の影さえ薄くなった」、と(「赤い星」タバコ工場の)ラグチンとカザンスキーの両同志は書いている。わが国のメディアは、これらすべての事実に対して、最大限注意深くアプローチして、それらについて記述し、解明し、説明しなければならない。

 この点では、心理的、日常生活的、社会的アプローチが必要である。ブルジョアジーのブルジョア性に関する、あるいはプチブル的家族構造の愚鈍さに関する「お役所的」決まり文句を繰り返す何十、何百もの抽象的な論文は、読者の琴線には触れない。それらはまるで単調な秋の長雨のようである。しかし、家庭のドラマから生まれた裁判を巧みに描写し解明した記事は、何千人もの読者を魅了し、彼らの中に、新しくより新鮮で広範な思考と感情とを目覚めさせる。ことによると読者の一部がその後、家族問題に関する一般的論文も読むようになるかもしれない。全世界のブルジョア大衆紙は、殺人や毒殺をもうけ本位のセンセーションの的にし、不健全な好奇心と一般に最悪の人間本能をかきたてている。しかし、だからといって、われわれが人間の好奇心やその本能一般にまったく背を向けるべきだということにはならない。これはまったくの偽善であろう。われわれは大衆の党である。わが国は革命国家であり、けっして宗教団体や僧院ではない。われわれの新聞は、最高の知識欲だけでなく、自然な好奇心をも満たすべきである。必要なことは、報道のさいに、素材の適切な選択と問題の解明によって大衆を引き上げ、品位を高めることだけである。この種の論文や記事は、常に至るところで非常に広く読まれる。しかしながら、ソヴィエトのメディアには、その種のものはほとんど見当たらない。

 このために必要な書き手の人材がいないと言われるだろう。これにはいくぶんかの真実が含まれているにすぎない。課題が正しくはっきりと設定されるならば、書き手は生まれてくる。何よりも必要なのは、われわれの関心を本格的に転換することである。どこに向けてか? 生きた、あるがままの読者に、すなわち、革命によって目覚めたが、まだ読み書きが苦手で、文化水準が高くなく、多くのことを知ろうと努力しているが、たいていは力不足である読者、人間的なもので無縁なものが何もないような生身の人間で常にあり続けている一般読者に向かうのである。この読者は、自分たちに関心を寄せることを一貫して求めている。もっとも、常にこのことを表明できるとはかぎらないのだが。しかし、わが党のモスクワ市委員会の25人の宣伝・組織者は、この点を読者に代わってきわめて明確に表現した。

 

   青年とジャーナリズム

 わが国の若い執筆者や宣伝員は、理解できるように書く完全な能力を持つところからはほど遠いところにいる。たぶん、これは、これらの人々が無知と無理解の野蛮な殻を打破する機会がなかったためであろう。彼らは、ある程度の思想や言葉や表現が労働者のかなり広い層にしっかりと行き渡ったときに、党文献と宣伝の世界に入って来た。宣伝の分野における党と非党員大衆との間の断絶の危険性は、宣伝の内容と形式の閉鎖性のうちに、そして農民だけでなく労働者さえその10分の9までが理解できないような、ほとんど人為的な党内用語の作成のうちに示されている。だが、何といっても、生活は1時間たりとも停止しない。新しい世代が次々に生まれてくる。ソヴィエト共和国の運命は今では、帝国主義戦争およびそれに続く2月革命と10月革命の時期に15、16、17歳であった人々によってかなりの程度、決せられつつある。われわれに取って代わりつつある若者のこの「支配」は、ますます強く感じられていくことだろう。

 これらの若者に対して、われわれ「老人」にとっては意味がある出来合いの公式や決まり文句や言い回しで話すことはできない。なぜなら、それらはわれわれの経験から来たものであっても、若者にはたいてい空虚に聞こえるからである。われわれは若者に対して若者の言葉で、すなわち、若者の経験にもとづく言葉で語りかけなければならない。

 ツァーリ体制との闘争、1905年の革命、帝国主義戦争、1917年の2つの革命――これらはわれわれにとって、個人的な体験、思い出、われわれ自身の活動の生きた諸事実そのものである。これらのことについてわれわれはほのめかしで語り、最後まで言わなくても何を言っているか想像がつくし、頭の中で言葉を補っている。だが、若者はどうか? 彼らはこうしたほのめかしを理解しない。なぜなら、そもそも事実を知らないし、体験してもいないし、本や正確に構成された小説が存在しないがゆえに、そこから知識を得ることもできないからである。旧世代にとってほのめかしで十分であるが、若者は教科書を必要としている。今や若者に革命的政治教育をほどこすための一連の教科書と参考書を作成すべきときである。

                    1923年、6月29日

1923年7月1日付『プラウダ』

ロシア語版『トロツキー著作集』第21巻『過渡期の文化』所収

『トロツキー研究』第19号より

  訳注

(1)カーゾン、ジョージ(1859-1925)……イギリスの反動政治家。1899〜1905年、インド総督。典型的な帝国主義的支配を推進。1905年、ベンガル分割令により全インド的な反英民族運動の高揚をつくり出す。1919〜24年、外相。1920年のソヴィエト・ポーランド国境を決めるカーゾン・ラインを提案。


  

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