スターリニスト官僚の外交政策について

トロツキー/訳 湯川順夫・西島栄

【解説】本稿は、ヒトラー勝利後のソヴィエト政府の外交政策を検討したものである。ヒトラーが政権に就くはるか以前の1926年にドイツとソ連は不可侵条約を結び、その延長協定が1933年に成立するが、それを批准するかどうかがこの時期に両国に問われた。結局、両国はそれぞれの思惑にもとづいて条約を延長することに決定するが、このことは、ヨーロッパの多くの左派陣営から轟々たる非難を巻き起こした。トロツキーは、こうした屈服政策の責任は全面的にスターリニスト官僚にあるとしながらも、彼ら自身の誤った製作によってソ連の立場は著しく弱体化しているため、現在の力関係では、条約の更新はやむをえないという立場をとった。

 本稿は『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)にはじめて訳出され、今回アップするにあたり『反対派ブレティン』第35号所収のロシア語原文に添って修正した。

Л.Троцкий, По поводу внешней политики сталинской бюрократии, Бюллетень Оппозиции, No.35, Июль 1933.

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 東方において、ソヴィエト政府は、東支鉄道の権益を売却する準備を進めている。西方において、この政府は古い独ソ条約をヒトラーの署名をえて更新しようとしている。スターリン=モロトフの政府は、このまったく正反対の方面での外交政策において、帝国主義とファシズムの前に屈服しつつあるのだ。

 東支鉄道の譲渡は、単に労働者国家にとって重要な経済的、戦略的地歩の損失を意味するだけでなく、明日にはソヴィエト連邦のみならず中国にも矛先を向けられるであろう重要な武器を日本帝国主義の手に直接譲り渡したということをも意味する。

 スターリンとヒトラーの協定は、ヒトラーの立場を強め、ドイツ・プロレタリアートの自信に痛ましい打撃を与えざるをえない。「もし強力な労働者国家がファシスト・ドイツとの友好を求めざるをえないとすれば、それは、ナチスの立場が確固としていることを意味する」と。思慮深いドイツ・プロレタリアなら誰しもそう考えるのは必然的だろう。コミンテルンの官僚がヒトラーの勝利を束の間のエピソードであると描き出し、ゼネストと蜂起を(紙の上で)日程にのせているときに、ソヴィエト官僚は、ドイツにのファシスト独裁とのあいだに「正常な」関係を樹立することが必要だとみなしているのだ。リトヴィノフ=ヒンチュクの行動は、マヌイリスキー=クーシネンの安っぽい著作よりもずっと正確にスターリニストの真の立場を特徴づけている。

 外交政策におけるスターリニスト官僚の最近の動きをめぐって、ヨーロッパの革命陣営の中で憤激が巻き起こっている。それは、反対派グループの中だけでなく、公式の党の中においてもである。「裏切り」という言葉が、論文の中ではないとしても、少なくとも手紙や会話の中ではより頻繁に見られるようになっている。

 心理的には、このような抗議を理解するのは難しいことではない。だが、政治的には、われわれはそれを支持することはできない。ソヴィエト国家と帝国主義との関係は、基本的に力関係の問題である。東方において中国革命が、そして西方においてヨーロッパ・プロレタリアートの強力な前衛が圧殺されてしまった後では、力関係はソヴィエト国家にとって不利なものへと一気に変わってしまった。これに致命的な国内政策をつけ加えなければならない。さらにまたプロレタリアートと農民とのあいだの、党とプロレタリアートとのあいだの、機構と党とのあいだの、1人の独裁者と機構とのあいだの、結びつきがぐらついているという事実もつけ加えなければならない。これと同じ政治的諸要因が、中間主義官僚をして、反対派を粉砕し天皇とヒトラーの前に退却することへと追いやっているのだ。

 この日和見主義的・冒険主義的政策に全面的な責任があるのは、スターリニスト官僚である。だが、この政策の結果は、もはや官僚の意志のままにならなくなっている。この不利な力関係から勝手に引き揚げることはできないのである。ファシスト・ドイツに対するソヴィエト政府の政策としてどのようなものが期待しうるだろうか、あるいは要求しうるだろうか? 関係の断絶か? ボイコットか? こうした手段は、軍事作戦の準備として意味しかもたないだろう。われわれは2年前に、この種の展望を提起したが、孤立的にではなく、ソ連邦とドイツにおける政策の根本的変更と密接に結びつけて。すなわち、労働者国家とドイツ・プロレタリアートが強化されることを想定して提起したのである。事態の発展は正反対の道をたどった。ドイツ・プロレタリアートが粉砕され、ソヴィエト国家が弱体化した今日、革命戦争の路線は純然たる冒険主義となろう。

 このような路線を取ることなく、つまり、革命戦争やドイツでの蜂起を直接に準備することなく、外交関係の断絶や経済的ボイコットを行なっても、それは無力でみじめなジェスチャーにしかならないだろう。たしかに、ソ連からのドイツへの注文がなくなれば、ドイツでの失業者数がいくらか増大するだろう。だが、今日まで、革命情勢に失業が不足していたことがあっただろうか? 足りなかったのは革命党と正しい政策であった。今日では以前にもましてそれらが不足している。われわれは今日、経済的復活が直接的にドイツ国内で誰の利益になるのか、ファシストかプロレタリアートか、という問題の検討を避けて通ることはできない。景気に関する一般的問題がソ連からの発注によって決定されないことは明白である。他方、ドイツとの経済関係の切断は、ソ連経済に強力な打撃を与えるだろうし、したがってまた労働者国家をなおのこと弱体化させるだろう。

 もう一度繰り返す。中国革命の挫折やドイツ・プロレタリアートの壊滅や労働者国家の弱体化は、スターリニスト分派の直接の責任である。スターリニストに対する闘争はこの基本路線に沿って遂行されなければならない。世界の労働運動からスターリニズムという業病を取り除く必要がある。だが、その症状やその不可避的結果に対してではなく、この病気の根源に対して闘争することが必要である。

 マルクス主義者としてわれわれは、官僚的中間主義に対する闘争において革命的現実主義の土俵にとどまり続ける。もしボリシェヴィキ=レーニン主義者(左翼反対派)が今日のソヴィエト国家の指導部の地位につけば、その直接的な実際上の行動において、スターリンのエピゴーネンたちの10年間の政策の結果としてつくり出された現在の力関係から出発しなければならないだろう。とりわけ、ヒトラーのドイツとの外交的・経済的関係を維持せざるをえないだろう。同時に、反対派は報復を準備するだろう。それは、大がかりで長期的な課題である。この課題は、はなばなしいジェスチャーによって解決することはできず、すべての分野での政策の根本的変更を要求する。

プリンキポ、1933年5月12日

『反対派ブレティン』第35号

『トロツキー著作集 1932-33』下より


  

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