ドイツ共産党か新党か

トロツキー/訳 水谷驍・西島栄

【解説】ファシズムの進撃に対して、ドイツ共産党がまともな抵抗闘争を組織することができず、統一戦線政策を拒否しつづけ、おめおめとファシズムの勝利を許したことは、ドイツ共産党の改革という旧来の路線に対する根本的な変更をトロツキーに迫った。トロツキーは、ファシズムの勝利を受けて、ただちに、ドイツにおける共産党との決別と、新党結成に向けたイデオロギー的・政治的準備の開始という立場を主張した。この転換は、この時点はまだ第3インターナショナルとの決別と第4インターナショナルの創設という立場とは異なっていた。トロツキーは、ドイツの党はすでに屍であると宣言したが、他のコミンテルン支部がこの破滅的な敗北からしかるべき結論を引き出して、新しい根本的な変化がコミンテルンの中に生じる可能性をあらかじめ否定することをしなかった。しかし、この可能性も次の数ヵ月のうちに消滅したことをトロツキーは理解し、新しいインターナショナルへの道を模索しはじめるのである。

 今回アップしたのは、(T)(U)に関しては、『トロツキー著作集 1932-33』上(柘植書房)掲載のものを、パスファインダー社の『トロツキー著作集 1932-33』所収の英語原文を参考に部分的に修正したものであり、(V)に関しては、『反対派ブレティン』掲載のロシア語原文にもとづいて修正したものである。

Л.Троцкий, КПГ или новая партия?, Бюллетень Оппозиции, No.34, май 1933.

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 ドイツ共産党か新党か(T)

 ドイツ共産党か新党か(U)

 ドイツ共産党か新党か(V)

 


ドイツ共産党か新党か(T)

 

 国際書記局宛

 親愛なる同志諸君

 ドイツのスターリニズムは、ファシストによる打撃というよりもむしろその内部の堕落によって今や崩壊しつつある。まだ息のある患者を医者が見捨てないのと同様に、われわれは、わずかでも望みがあるかぎり、この党の改革をわれわれの課題としてきた。だが、死体にしがみつき続けるのは犯罪的であろう。ドイツ共産党は今や屍である。

 労働者を欺いた官僚に対するドイツ労働者の前衛の軽蔑の意識は非常に強く、改革のスローガンは彼らにとって、誤った滑稽なものに見えるだろう。彼らは正しい。刻の鐘は鳴った! 新しい党の結成を準備する問題が公然と提起されねばならない。

 この活動はどのような形をとるのだろうか。それは言うまでもなく、これまでの事態の発展によって作り出された諸要素にもとづかなければならない。だが、この新しい展望と新しいスローガンは左翼反対派に新たな可能性を切り開くことになるだろう。言っておかなければならないが、ドイツではスターリニスト官僚との分裂はすでに一つの事実となっている。われわれの政策におけるこの急転換は情勢の転換によって引き起こされたものであるが(「8月4日」は既成事実である)、それはわれわれの同志全員にただちには受け入れられないだろう。それゆえにこそ、この問題をわれわれの隊列内部、とりわけドイツの同志たちの間で分析する必要があるのである。この課題は、書記局がしっかりした断固たる立場をすみやかに採択すればより容易になるだろう。

 スターリニスト官僚は、新たな「アムステルダム大会」を、ただし今度は反ファシズムのそれを組織しつつある。もしこの大会が召集されれば、われわれはアムステルダム反戦大会よりも有利な形でこれを利用しなければならない。例外なくすべての支部が大会に代表を送る道を探らなければならない。大会が開催される国の同志にその準備の権限を移すこともその一つである。諸原則を宣言したものがすべての支部から寄せられなければならない(支部自身の名前ではなく、さまざまな労働者諸組織の名において)。

 問題になっているのは、中間主義官僚やリペラルな反ファシスト派に対する反対者として大会の前に登場するということであるのだから、オランダのスネーフリート(1)の党(および労働組合)、ドイツの社会主義労働者党(SAP)、その他同種の組織との合意を形成するよう努めなければならない。この目的のために、ドイツ労働者に新党の結成を呼びかけるわれわれ自身の宣言と並んで、予備討論をへてわれわれの同盟者が支持できるようなより短くて簡潔な文書を前もって作成する必要があろう(その基本的テーマはこの大会の誤りを暴露することである)。これは、われわれの同盟者の政治的自決を促進し、ドイツにおける新党の結成を有利にするという点で、非常に重要な戦術的一歩である。

 もしわれわれが、原則に関して、すなわちドイツ共産党に対するわれわれの態度を急転換させる必要性に関して合意に達するならば、あれこれの特殊な点での意見の相違は重大なものとはなりえないし、仕事が進むにつれて脇へと押しやられてしまうだろう。

 この転換はもちろん、われわれ自身を新党であると「宣言」することにあるのではない。それは問題とはなりえない。われわれはこう宣言するのである。公式のドイツの党は政治的に清算され、再生は不可能である、ドイツ労働者の前衛は新たな党を建設しなければならない、われわれボリシェヴィキ=レーニン主義者は協カを申し出る、と。

 ここで、コミンテルンの他の支部や第3インターナショナル全体に対してわれわれがどのような態度をとるべきかという疑間が当然にも出てくる。われわれは彼らとただちに決別するのか? 私の意見では、「そうだ、われわれは彼らと決別する」といった断定的な解答を与えるのは正しくない。ドイツ共産党の崩壊はコミンテルンの再生のチャンスを滅らしてしまった。だが、他方でこの破局それ自体はいくつかの支部で健全な反応を引き起こすかもしれない。われわれにはこの過程を促進する構えがなければならない。ソ連邦については事態はまだ決定されていない。そこでは第2の党のスローガンを宣言することは正しくないだろう。われわれは今日、スターリン官僚制の手からコミンテルンを奪い取るためにドイツにおいて新しい党の結成を呼びかけるのである。それは、第4インターナショナルの創設の問題ではなく、第3インターナショナルを救済する問題である。

 ドイツの国内情勢、そしてとりわけドイツ共産党の情勢はわれわれにこの結論を出すことを命じている。われわれは、細部にこだわって時間を費やすことなく、照準を遠方に定めなければならない。このことは、実践的には、われわれが何よりもまず国外で、左翼反対派のためのドイツ語の理論・政治機関誌を作らねばならないことを意味する。この全般的な混乱期において、先進的労働者の思考に拠って立つ支点を与えるために、これはただちに実行されなければならない。われわれはこの出版に関してできるだけ早急にドイツの同志たちとの合意に達しなければならない。

1933年3月3日

『国際ブレティン』第2/3号、1933年4月

『トロツキー著作集 1932-33』(パスファインダー社)所収

『トロツキー著作集 1932-33』上(柘植書房)より

 

トイツ共産党か新党か(U)

 

 国際書記局宛(手紙からの抜粋)

 ……

 一定の期間は、党内の多くの要素がこの党を再生させようと試みるだろう。地下活動に向けた試みがすでに存在している。だが、これは死にかけている有機体の痙攣にすぎない。この党に対するヒトラー一派のポグロムはまだほとんど始まっていない。細胞は生きており、それらが生に固執し自己を維持しようと試みるのは自然である。だが、その努力は失敗することを運命づけられている。なぜなら、それは、原則・方法・人選の古い基礎の上で行なわているからである。この不可避的な失敗の後に(それはあまり先のことではない)、非常にゆっくりとした非常に苦難に満ちた新たな結晶化の過程が始まるであろう。

 多少なりともそれと平行した類似の過程が、社会民主党や社会主義労働者党(SAP)などの組織内の労働者の間でも進行するだろう。労働者運動は動揺と混乱の時期に入るだろう。こうした情勢の中で、われわれ自身がスターリニスト組織の棺の守り手として登場することは、まったくもって致命的な誤りであろう。反対に、時機を失せず「8月4日」の到来を宣言することは、党内の最良の分子が党再生の試みに失敗した後に、彼らとわれわれとの合流を準備することを意味するだろう。

1933年3月

『国際ブレティン』第2/3号、1933年4月

『トロツキー著作集 1932-33』(パスファインダー社)所収

『トロツキー著作集 1932-33』上(柘植書房)より

 

ドイツ共産党か新党か(V)

 

 公式のドイツ共産党の「改革」というスローガンを放棄することは、多くの同志たちの心に疑問を呼び起こすかも知れない。起こりうる異論のいくつかを予測してみよう。

 (a)われわれは公式の党への自らの献身を繰り返してきたが、今や私たちはそれに背を向けようとしている。それは共産党員をわれわれから遊離させることになるだろう。

 (b)この党は今や非合法状態に移行したが、多くの場所でこの組織と中核は能動性を発揮している。われわれはそれらを援助しなければならない。

 (c)ウルバーンス(2)やその他の連中は、自分たちがドイツ共産党は死んだと宣言したことは正しく、そのときそれに反対したわれわれは間違っていたのだ、と言うだろう。

 (d)われわれは新党を建設する任務に着手するにはあまりにも弱すぎる。

 以上の異論はすべて根拠がない。情勢の鍵はドイツ共産党の手中に握られている、という命題からわれわれは出発した。これは正しかった。ドイツ共産党が時機を失することなく転換することのみが情勢を救うことができた。こうした条件のもとで、この党に反対し、あらかじめそれが死んでしまっていると宣言することは、ファシズムの勝利が不可避であるとアプリオリに宣言することを意味しただろう。そうすることはできなかった。われわれは、このかつての情勢のあらゆる可能性を完全に使い尽くさなければならなかったのである。

 今日、情勢は根本的に変わった。ファシズムの勝利は事実であり、ドイツ共産党の崩壊もまたそうである。今や問題になっているのは、もはや予測したり、あるいは理論的批判を加えたりすることではなく、重大な歴史的事件――それは共産党員を合む人民大衆の意識の中にかつてなく深く浸透するだろう――が問題になっているのだ。何らかの第二義的な考慮にもとづいてではなく、事件の不可避的な結果にもとづいて全般的展望と全般的戦略を打ち立てなければならない。

 古い党にとどまっている主観的には革命的な多くの分子が、旧来の原則的基礎を放棄することなくこの党を救おうと試みるだろう。このことに疑う余地はない。最初の茫然自失状態が過ぎ去ったばかりのごく近い時期には、共産党員の非合法活動が展開されるだろうと予想することができる。にもかかわらず、いっさいのイデオロギー的装備の根本的な刷新、新しい方法の練り上げ、新たな人選等々を行なわないかぎり、これらの活動には全体としてまったく未来はない。そして、古い基礎にもとづく努力と犠牲は、再生の現れではなく、死の痙攣のようなものとなろう。合法的時期には、官僚的中間主義の政策は、虚偽と機構と財政にもとづくことによって、人々を長期にわたって見かけの強さで欺くことができた。だが、非合法組織は、メンバーの最大限の献身によってのみ自らを維持することができるし、この献身は、指導部の政策の正しさと思想的誠実さによってのみ培うことができる。これらの条件が存在しない場合、非合法組織は不可避的に死滅するだろう(例:イタリア)。

 スターリニスト機構による非合法活動の展望に対して何らかの幻想を抱いたり、あるいはそれに対して政治的・革命的考慮ではなくセンチメンタルな考慮にもとづいたりすることは許しがたい。この機構は、有給の官僚、冒険主義者、出世主義者、さらには昨日ないし今日のファシズムの手先などによってむしばまれている。誠実な分子は羅針盤を持っていない。スターリニスト指導部は、この非合法党の中に、合法党の場合よりもはるかに下劣で忌まわしい体制を確立することだろう。こうした状況のもとでは、非合法活動は、たとえ英雄的なものであっても、一瞬の閃光のようなものにすぎない。その結果は、たった一つでしかあえりない。すなわち、腐敗である。

 左翼反対派は、今や、ファシズムの勝利によって生み出された新しい歴史的状況に全面的に立脚しなければならない。歴史が鋭く転換する時期においては、旧来の慣習的で心地のよい公式にしがみつくことほど危険なことはない。これは自らの破滅への確実な道である。

 ウルバーンス一派は言うだろう、われわれは常々新しい党が必要であると宣言してきた、と。だが、いわゆる「ドイツ共産主義労働党」(3)はウルバーンスよりもはるか以前から、すなわちウルバーンスがまだ、われわれに反対して公式の党を堕落させるのに手を貸していた頃から、そう言っていたのである。セクト主義の核心はまさに、歴史的過程を自分自身のグループの尺度で評価することにある。ウルバーンスらにとって新党は、自分たちが公式の官僚と仲たがいするようになった瞬間から始まる。しかしながら、マルクス主義者は、すべての組織とすべてのグループを客観的な歴史的過程の尺度によって測る。

 この2年間、われわれは一度ならず、公式の党に対するわれわれの立場がドグマ的な性格のものではないこと、労働者階級の状況を根本的に変えるような歴史的大事件が起これば、われわれの立場も変更を余儀なくされることもありうる、と書いてきた。このような大事件の例として、われわれが最も頻繁に挙げてきたのは、ドイツにおけるファシズムの勝利であり、あるいは、ソヴィエト権力の崩壊であった。したがって、われわれの転換には、主観的ないし恣意的なものはまったくない。それは、事態の発展の歩み――その歩みにはスターリニスト官僚の政策が最重要の要素として入っている――によって全面的に決定されているのである。

 「われわれは新党を宣言するにはあまりにも弱すぎる」という異論についてはどうだろうか。だが誰もそんなこと[新党の宣言]を提起してはいない。新党がどのように、いつ結成されるかは、多くの客観的状況にかかっているのであって、わーにのみかかっているのではない。しかし、われわれに求められているのは、正しい路線をとることである。われわれが古い党の生命力に関する幻想を支えれば、それは新党の結成を妨げることになるだけである。

 さらに、一瞬たりとも忘れてはならないのは、崩壊の過程が今や、公式の共産党の中だけではなく、社会民主党や社会主義労働者党においても、そして、あらゆる組織、グループ、セクトの中でも起こることである。このような状況のもとで、すべての革命的分子をその出身政党にかかわりなく結晶化するための独立した基軸を作り出すことが必要になる。

 次のようは反論が試みられるかもしれない。その場合、論理的に言って、共産主義インターナショナルとの分裂が必要になるだろう、と。形式論理からすればおそらくそうだろう。しかし、歴史的過程は形式論理にしたがって発展するのではなく、弁証法的論理にしたがって発展する。われわれは、スターリニストによって駆り立てられている崩壊からソヴィエト権力を救う希望を捨てはしない。ファシズムの勝利に対してコミンテルンの他の支部でどのような反応が起こるかを、われわれはあらかじめ知ることはできない。ここで必要なのは、現実の事態の検証にかけることである――もちろん、われわれの積極的な関与にもとづいて。

 ドイツにおけるスターリニスト官僚との公然たる分裂の問題は、現在、巨大な原則的意義を有している。革命的前衛は、スターリニストによって犯された巨大な歴史的犯罪を許さないだろう。もしわれわれがテールマン(4)=ノイマン(5)の党の生命力に関する幻想を支えるようなことをすれば、われわれは、この破産者の直接的な擁護者として大衆の前に登場することになるだろう。それは、われわれ自身が中問主義と腐敗の道へと向かうことを意味するだろう。

1933年3月29日

『反対派ブレティン』第34号、1933年5月

『トロツキー著作集 1932-33』上(柘植書房)より

  訳注

(1)スネーフリート、ヘンドリク(1883-1942)……オランダの革命家、インドネシア共産主義運動の創設者。1902年にオランダ社会民主党に。1913年、インドネシアに渡り、マルクス主義の普及に努める。1914年、インド社会民主同盟(インドネシア共産党の前進)を結成。イスラム同盟内に共産主義の影響を広める。1918年に追放。第2回コミンテルン世界大会に参加し、アジアの運動の重要性を訴え、その責任者として中国に渡り、中国共産党の創設にも貢献。1923年、オランダに帰国。投獄中の1933年に国会議員に選出。革命的社会主義労働者党(RSAP)を創設。1933年、4者宣言に署名。その後、革命的社会主義労働者党とともに国際共産主義者同盟に加入。1938年に第4インターナショナルの運動から離れ、第2次大戦中にナチスによって逮捕され処刑。

(2)ウルバーンス、フーゴ(1892-1947)……ドイツの革命家。1924年以降、ドイツ共産党の指導者。1927年にマスロフ、フィッシャーらとともに除名され、レーニンブントを結成。後にこの組織は左翼反対派と合同。1933年、スウェーデンに亡命し、同地で死去。

(3)共産主義労働者党……1919年にドイツ共産党を除名されて1920年に結成された極左主義的セクト主義の党。国会や労働組合内部での活動に反対し、「左翼小児病」の典型的な党。最初はコミンテルンのシンパ組織であったが、その後、反コミンテルンの立場に。数年のうちに、主要なメンバーを失い、極小セクトとなって消滅。

(4)テールマン、エルネスト(1886-1944)……ドイツのスターリニスト、1920年代半ば以降、ドイツ共産党の最高指導者。1932年にヒンデンブルク、ヒトラーと対抗して大統領選挙に立候補。1933年にナチスに逮捕され、1944年に強制収容所で銃殺。

(5)ノイマン、ハインツ(1902-1938)……ドイツ共産党の指導者で、「第三期」の理論家。1927年にはコミンテルンの中国責任者。1933年にモスクワ亡命。1937年にゲ・ペ・ウに逮捕され、翌年に粛清。


  

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