新たに共産党とインターナショナルを

建設しなければならない 
トロツキー/訳 湯川順夫・西島栄

【解説】本稿は、ドイツにおけるファシズム勝利後の情勢とコミンテルンの方針、各国等の共産党の態度などをふまえて、各国共産党とコミンテルンの「改革」と党内分派という立場を根本的に転換して、新しい共産党と新しいインターナショナルを目指すという立場を鮮明にし、その実現に向けた討論の開始を呼びかけたものである。当初トロツキーは、ドイツでのファシズム勝利直後、ドイツにおける「新党」という立場を唱えたが、他の各国支部およびコミンテルン全体については、この世界史上最大級の敗北に対する態度および力関係の変化を確かめるまでは、分派か新党かという問題については保留していた。しかし、コミンテルンはこの敗北にもかかわらず、自分たちの政策が完全に正しかったと宣言し、それに対してコミンテルンのどの支部からも抗議や批判の声は出なかった。トロツキーは、コミンテルンは死んだとの判断を下し、新しい共産党とコミンテルンを結成することへと足を踏み出すのである。この路線は左翼反対派内部でも大きな論争の的となったが(ポーランドの左翼反対派であったドイッチャーは、最後まで反対した)、結局は、この5年後に第4インターナショナルとして結実するのである。

 本稿は『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)に訳出されているが、今回アップするにあたって、『反対派ブレティン』所収のロシア語原文にもとづいて全面的に点検修正しておいた。

Л.Троцкий, Нужно строить заново Коммунистические партии и Интернационал, Бюллетень Оппозиции, No.36-37, Октябрь 1933.

Translated by the Trotsky Institute of Japan


   コミンテルン改革の路線

 左翼反対派はその成立以来、マルクス主義的批判と内部分派活動を通じてコミンテルンを改革し再生するという任務を自らに課してきた。多くの国々、とくにドイツにおけるこの数年間の諸事件は、官僚的中間主義の政策が致命的なものであることを大々的に暴露した。しかし、巨大な資源で武装したスターリニスト官僚は、歴史的発展の要求に抗して、自分たちのカーストの利害と偏見を押し通すことができた。この結果、コミンテルンは再生の道ではなく、解体と崩壊の道へと入った。

 しかしながら、「改革」の路線は、全体としては誤りではなかった。それはコミンテルン内のマルクス主義派の発展にとって必要な段階であり、ボリシェヴィキ=レーニン主義派のカードルを教育する機会を与えた。それは労働者運動の全体に痕跡を残さずにはおかなかった。この間ずっと、スターリニスト官僚の政策は左翼反対派の圧力を受けつづけた。ソ連邦政府によって採用された何らかの進歩的政策――それはテルミドールの攻勢を阻んだ――は左翼反対派からの部分的で遅ればせの借り物に他ならなかった。類似の現象は、より小さい規模で、コミンテルンのすべての支部の生活にも見られる。

 つけ加えておかなければならないが、一般に革命党の堕落の程度は、その種々の徴候だけでアプリオリに判断することはできない。諸事件による生きた検証が不可欠なのである。理論的には、去年の時点ではまだ、ボリシェヴィキ=レーニン主義者が階級闘争の先鋭化に依拠してコミンテルンをファシズムとの真の闘争の道へと押しやることが絶対にありえないとみなすことはできなかった。同時期にドイツで社会主義労働者党(SAP)が独自の立場を取ろうとしたが、この試みは事態の進行に影響を及ぼすことはなかった。その理由はまさに、大衆が決定的瞬間において、自らの古い諸組織から政治的指導が降りてくるのを待っていたからである。しかし左翼反対派は、分派闘争の政策を遂行しこの政策にもとづいて実地にカードルを教育をしながら、もしプロレタリアートが中間主義的政策の結果として新たな敗北を喫するならば、それは不可避的に決定的な性格を帯びるだろうし、分派か党かという問題に対するわれわれの立場を根本的に再検討することが必要になるだろうということを、自分自身に対しても他人に対しても隠しはしなかった。

 

   路線の転換

 政治において最も危険なことは、昨日まで有効だったが、今日にはすべての意味を失ってしまった自分たちの定式にとらわれることである。

 理論的にはドイツ共産党が崩壊した時、スターリニスト官僚にはまだ2つの可能性が残されていた。その政策と体制を全面的に見直すか、それとも反対にコミンテルン各支部の生きている最後のあかしをも完全に絞殺してしまうかである。左翼反対派はこの理論上の可能性に導かれて、ドイツにおいては新しい党というスローガンを提起した時も、コミンテルンの運命という問題についてはまだ未決定なままにしておいた。しかしこのときすでに、数週間のうちに答えは出るだろうし、好ましい答えが出るという期待がほとんど持てないことは明白だった。

 3月5日以後に起こったすべてのこと(ドイツ情勢に関するコミンテルン執行委員会常任幹部会の決議、この恥知らずな決議に対するすべての支部の沈黙と服従、パリの反ファシスト大会、ドイツ共産党の亡命中央委員会の公式の路線、オーストリア共産党の運命、ブルガリア共産党の運命など)が、ドイツ共産党だけでなくコミンテルン全体の運命もドイツで決定されてしまったことを最終的に立証した。

 モスクワの指導部は、ヒトラーの勝利を保証した政策を完全に正しかったと宣言しただけでなく、起こった事態についてのいっさいの討論を禁止した。そしてこの破廉恥な禁止措置は破られることも覆されることもなかった。全国大会も世界大会も開催されなかったし、党の集会や機関紙上での討論も皆無だった! ファシズムの雷鳴によって目覚めることもなく、官僚のこのような屈辱的措置にも唯々諾々と従うような組織は、そのことによって、自分がもはや死んでおり、もはや何ものもそれを再生することができないことを示したのである。このことを公然と大声で語ることは、プロレタリアートとその未来に対するわれわれの直接の義務である。われわれの今後のあらゆる活動は、公式のコミンテルンの歴史的崩壊を前提としなければならない。

 

   現実主義対悲観主義!

 社会民主党と共産党という2つの党――結成の時期は半世紀を隔てているが、どちらもマルクス主義の理論とプロレタリアートの階級的利益から出発した――が、一方は卑劣な裏切りによって、他方は破産によって、このような惨めな形で自らの道を終えたという事実は、先進的労働者のあいだにさえ退廃的な気分を生み出している。「新しい革命党が同じ運命に陥らない保証がどこにあるのか?」。そもそも何らかの保証を前もって要求する人々は、革命的政策を断念した方がよい。社会民主主義と公式の共産主義の破産の原因は、マルクス主義の理論の中にあるわけでも、それを適用した人々の資質の悪さの中にあるわけでもなく、歴史的過程の具体的諸条件の中にある。問題になっているのは、抽象的原則を対置することではなく、生きた社会的諸勢力の闘争である。そこには不可避的に上昇と下降があり、組織の堕落があり、一世代全体がゴミ箱に投げ捨てられてしまうという結果や、そのことから新たな歴史的段階のために新しい勢力を動員する必要が生じることもある。誰もプロレタリアートのために革命的高揚の舗装された道をあらかじめ切り開いてくれはしない。停滞や部分的後退を不可避的に伴いながら、無数の障害物が立ちふさがり過去の残骸で覆われた道を前進しなければならない。それにおじけづくような人々は脇に退く方がよい。

 だが、われわれのグループの分析と予測の正しさが事態の全過程によって裏づけられたにもかかわらず、こんなに遅々としてしか成長していないことをどのように説明するのか? その原因は、階級闘争の全般的な歩みの中に求めなければならない。ファシズムの勝利は数千万人の人々を巻き込む。政治的予測は、たかだか数千人もしくは数万人の耳にしか届かない。しかもその人々も数百万人からの圧力を受けている。革命的潮流は、プロレタリアート全体が最大の敗北を喫している時に、嵐のような勝利を記録することはできない。しかしこれは、手をこまねいていることを正当化するものではない。革命が引き潮の時期にこそ、カードルが形成され鍛えられる。そしてこれらのカードルが後に、新たな上げ潮が来たとき大衆を導く使命を帯びるのである。

 

   新たな予備部隊

 過去において一度ならず、「第2の党」あるいは「第4インターナショナル」をつくり出そうとする試みがなされたが、それは、ボリシェヴィズムに「幻滅」したと称する個々のグループやサークルのセクト主義的な経験にもとづいたものであり、それゆえ、そのたびに破綻をこうむってきた。われわれは、自分自身の主観的な「不満」や「幻滅」ではなく、階級闘争の客観的歩みから出発する。プロレタリア革命の発展のすべての条件が、新たな前衛組織を差し迫った要求としており、同時に、そのための必要な前提条件を提供している。

 いまや社会民主党の分解が、コミンテルンの崩壊と平行して進んでいる。プロレタリアートのあいだでの反動がいかに深刻なものであっても、全世界で数十万人の労働者がすでに、今後の闘争の方向について、新たな勢力の組織化について自問しないわけにはいかないだろう。さらに数十万人が近い将来そうした動きに加わるだろう。これらの労働者たちの一部は憤慨してコミンテルンを見捨てた人たちだが、その多数派はコミンテルンの最良の時期にさえそこに参加していなかった人々であろう。これらの人々に、何も忘れず何も学ばなかったスターリン主義官僚の指導を公式に受け入れよと要求することは、ドン・キホーテ的空想にとりつかれることを意味するだけでなく、プロレタリア前衛の形成を妨げるだけであろう。

 スターリニスト組織の隊列の中にいる真面目な共産主義者の中には、われわれの新しい組織に恐怖または敵意さえ示す者もいることは疑いない。彼らの一部はおそらく、一時的に、われわれに対して共感から敵意へと態度を変えるかもしれない。しかし必要なことは感傷的・個人的な考慮ではなく、大衆的基準にもとづいて方向を定めることである。

 数十万人ないし数百万人の労働者が、とりわけイツで、共産主義から離れて、一部はファシズムヘ、そして大部分は無関心状態へと向かっている時、数千人ないし数万人の社会民主党労働者が、まったく同じ敗北の衝撃のもとで、左へ、共産主義の側へと向かいつつある。しかし、彼らが絶望的なまでに信用を落としたスターリニスト指導部を受け入れるなどということは、問題にもならない。

 これまで、これらの左翼社会主義組織は、われわれがコミンテルンと決別して独立した党をつくろうとはしていないと非難してきた。今やこの先鋭な意見の相違は、発展の成り行きによって取り除かれた。まさにそのことによって、形式的・組織的問題をめぐる討論は綱領的・政治的問題をめぐる討論に移行した。新しい党は古い党を凌駕することができるのは、コミンテルンの最初の4つの大会の決定にしっかりと立脚することによって、その綱領、戦略、戦術、組織の中に、この10年間の恐るべき教訓を生かすことができる場合のみだろう。

 ボリシェヴィキ=レーニン主義者は、革命的な社会主義諸組織との公然たる交渉を開始しなければならない。討論の土台としてわれわれは、われわれの準備会議で採択された11項目を提案する(このテーゼをふまえて「分派と党」の項目を変更した上で)。もちろんわれわれは、他のあらゆる綱領的提案について、真剣に同志的方法で討論する用意がある。われわれは、原則上の非妥協性がセクト的排除主義とは無縁であることを示さなければならないし、示すだろう。マルクス主義的政策の目的は、改良主義的労働者を革命の陣営に引き入れることにあるのであって、彼らをファシズムの陣営に突き飛ばすことにあるのではない。

 いくつかの国々で、改良主義的および中間主義的官僚の犯罪と誤りに対する責任も負っておらず、マルクス主義的綱領と明確な革命的展望によって武装された強力な革命組織が形成されるならば、それは世界のプロレタリアートの発展の新しい時代を切り開くだろう。この組織は、今日なおスターリニスト官僚と決別できないでいる真の共産主義分子のすべてを引きつけるだろう。そしてより重要なことには、それはしだいに労働者の若い世代をその旗の下に引きつけるだろう。

 

   ソ連邦とソ連共産党

 ソ連邦の存在は、労働者国家のあまりにひどい堕落にもかかわらず、今なお測りしれない革命的意義をもっている。ソヴィエト連邦の崩壊は、全世界に、おそらく今後数十年間にわたって、恐るべき反動をもたらすだろう。最初の労働者国家の維持・再生・強化のための闘争は、社会主義革命のための世界プロレタリアートの闘争と不可分に結びついている。

 スターリニスト官僚の独裁が台頭したのは、ソ連の後進性(農民の圧倒的比重)と西方におけるプロレタリア革命の遅延(プロレタリアートの独立した革命政党の不在)の結果である。スターリニスト官僚の支配は、それはそれで、ソ連邦におけるプロレタリア独裁の堕落をもたらしただけでなく、全世界におけるプロレタリア的前衛の恐るべき弱体化をももたらした。ソヴィエト国家の進歩的役割とスターリニスト官僚の反動的役割とのあいだの矛盾は、「不均等発展の法則」の一つの現われである。われわれはその革命的政策において、歴史によって与えられたこの矛盾から出発しなれけばならない。

 いわゆるソ連邦の「友」たち(左翼民主主義者、平和主義者、ブランドラー派など)は、スターリニスト官僚に対する闘争、つまり何よりもその誤った政策に対する批判が「反革命を助けている」というコミンテルン官僚の議論をおうむ返しにしている。これは官僚の政治的従僕の立場であって、革命派の立場ではありえない。ソヴィエト連邦は国内的にも国際的にも、正しい政策によってのみ防衛される。それ以外の配慮はすべて二義的であるか、もしくは単なる偽りの空文句にすぎない。

 現在のソ連共産党は党ではない。それは、無統制の官僚の手に握られた統治機構である。ソ連共産党の内部およびその周辺では、分散した諸分子が基本的に2つの党へと結集しつつある。プロレタリアートの党とテルミドール的ボナパルチストの党である。この両者の上に立って、中間主義官僚はボリシェヴィキ=レーニン主義者に対する絶滅戦を遂行している。スターリニストたちは、時には自分の半同盟者であるテルミドール派と激しく対立するが、実際にはボリシェヴィキ党を粉砕し絞殺し解体することによって、テルミドール派への道を掃き清めているのである。

 西方におけるプロレタリア革命がなければ、ソ連が社会主義に到達することができないとすれば、真のプロレタリア・インターナショナルの再生がなければ、ロシアのボリシェヴィキ=レーニン主義者は、自分たちの力だけでは、ボリシェヴィキ党を再生しプロレタリアートの独裁を救出することはできないだろう。

 

   ソ連邦とコミンテルン

 ソヴィエト連邦を軍事介入の脅威から防衛することは今や、これまでのどの時期よりも先鋭な課題となっている。コミンテルンの公式の支部はこの分野でも、他のあらゆる分野と同じく無力である。彼らの口にのぼるソ連邦の防衛は、無内容な儀式的空文句と化している。コミンテルンの破産は、アムステルダムの反戦大会やパリの反ファシズム大会などの軽蔑すべき喜劇によって隠蔽されている。帝国主義の軍事介入に対するコミンテルンの現実の抵抗力は、ヒトラーに対する抵抗力よりもなお取るに足りないものだろう。この点について幻想を育むことは、目を見開いて新たな破滅に向かってつき進むことを意味する。ソヴィエト連邦を積極的に防衛するためには、真に革命的な組織が、すなわちスターリニスト官僚から独立し、自らの脚で立ち、大衆の中に基盤を有している組織が必要である。

 このような革命的組織が再建され成長すること、この組織がソ連邦のために闘争すること、軍事介入と反革命に反対してスターリニストと統一戦線を組む用意が常にできていること――以上のすべてがソヴィエト共和国の内的発展にとって巨大な意味を持つことだろう。スターリニストは、権力にとどまっているかぎり、国内的・国際的危険性が先鋭化するにつれて、世界のプロレタリア前衛の独立した組織が大きな勢力になるにつれて、ますますこの統一戦線から逃げることができなくなるだろう。新しい力関係は、官僚の独裁を弱め、ソ連邦内のボリシェヴィキ=レーニン主義者を強化し、この労働者共和国全体の前にはるかに有利な展望を開くだろう。

 スターリニスト官僚から完全に独立し、これと政治的に対抗するマルクス主義的インターナショナルを創設することだけが、ソ連邦の今後の運命と世界プロレタリア革命の運命とを結びつけることによって、ソ連邦を崩壊から救うことができるのである。

 

   「解党主義」

 官僚的ホラ吹きたち(およびブランドラー派のような従僕たち)はわれわれの「解党主義」について語っている。彼らはボリシェヴィズムの古い用語集から取ってきた用語を、無意味かつ不誠実に繰り返している。解党主義とは、「立憲的」ツァーリ体制のもとで、非合法党の必要性を否定し、革命闘争を反革命的「合法性」に順応させようとした潮流に与えられた呼び名である。われわれとこの解党主義者とのあいだにどのような共通性があるというのか? この問題では最後通牒主義者(ボクダーノフその他)を想起する方がはるかに適切だろう。彼らは非合法組織の必要性を十分に認識していたが、それをまったく誤った政策の道具へと変えてしまった。彼らは革命が粉砕されたあとで、武装蜂起の準備が緊急の課題であると提起した。レーニンはためらうことなく彼らと決別した。彼らの中に非の打ち所のない革命派も少なくなかったにもかかわらずである(その最良の分子は、後にボリシェヴィズムの隊列に復帰した)。

 スターリニストとブランドラー派的従僕たちは、左翼反対派が「ボリシェヴィズム」に反対する「8月会議」をつくろうとしていると非難しているが、これも同じように嘘である。ここで言及されているのは、1912年の試みで、ボリシェヴィキとメンシェヴィキを合同させようとする多くの企図の一つであった(スターリンがこのような企図を、1912年の8月ではなく1917年の3月に試みたことを想起しておこう!)。このアナロジーが少しでも意味を持つためには、まず第1に、スターリニスト官僚をボリシェヴィズムの担い手であると認めることが必要であり、第2に、われわれが第2インターナショナルと第3インターナショナルとの合同という問題を提起していることが必要である。どちらについてもまったく問題にならない! このようなインチキなアナロジーが持ち出されたのは、ボリシェヴィキ=レーニン主義者が、帝国主義の時代における最も重大な戦闘、その勝利と敗北の中で試された原則的基盤にもとづいてプロレタリア党建設の任務を提起している一方で、ブランドラー派的日和見主義者が相互大赦にもとづいてスターリニスト中間主義者の恩寵を得ようとしていること、この事実を隠すためである。

 

   新しい道へ

 本テーゼの課題は、同志たちに、すでに終わった歴史的段階に終止符を打ち、新しい活動の展望を指し示すことである。しかし以上述べたことは、当面の実践的措置や具体的な政策変更、新しい道への転換のテンポと方法をあらかじめ決定するものではいささかもない。新しい方向性に関して原則的な合意が確認されたあとではじめて――これまでの経験からして、こうした合意は勝ちとれるだろうと思う――、個々の国の状況に適合した具体的な戦術上の諸問題が議題にのぼるだろう。

 いずれにせよ、現在問題になっているのは、新しい党と独立したインターナショナルをただちに宣言することではなく、その準備をすることである。新しい展望は何よりもまず、公式の党の「改革」について語ったり、公式党内での反対派の復権を要求したりすることが今や空想的かつ反動的なものとして完全に放棄されなければならないことを意味する。日常の活動は、「分派」という形式上の基準によってではなく、われわれ自身の可能性と力量によって規定された独自の性格を持たなければならない。左翼反対派は「反対派」として振る舞い行動することを完全にやめる。それは、自らの道を自分で切り開いていく独立した組織となる。われわれは社会民主党およびスターリニスト党の中に独自の分派を建設すると同時に、無党派および未組織の労働者のあいだで独自の活動を展開する。われわれは労働組合の中に、スターリニスト官僚の労働組合政策から独立して、独自の支持基盤をつくり出す。われわれは有利な条件がある場合は必ず、われわれ自身の旗のもとで選挙に参加する。改良主義的および中間主義的な労働組合組織(スターリニストのものを含む)との関係では、われわれは統一戦線政策の一般的原則を指針とする。とりわけ、そして何よりも、この統一戦線政策を、ソ連邦を外部の介入と内部の反革命から防衛するために適用する。

1933年7月15日

『反対派ブレティン』第36/37号

『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)より


  

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