共産主義者の隊列の統一を

ソ連共産党(ボ)政治局への手紙
トロツキー/訳 西島栄

【解説】この手紙は、1931年4月におけるスペインの政変(アルフォンソ国王の退位)を受けて、スペイン革命の新たな発展を展望したトロツキーが、できるだけ早急に統一した強力なスペイン共産党の結成を実現するために、ソ連共産党の政治局に宛てて書いたものである。当然ながら、この訴えは無視された。そして、この手紙でトロツキーが「共産主義者の分散と弱体状態が続くかぎり、スペインの革命の敗北は避けることはできないし、それはほとんど自動的に、スペインにおいてムッソリーニ型の真のファシズム体制の確立をもたらすだろう」と予言しているとおり、スペイン共産党が分裂したままスペイン革命は最終的に1939年に敗北し、フランコ将軍によるファシスト的独裁体制が成立することになる。

 この文献の最初の邦訳は現代思潮社の『スペイン革命と人民戦線』に掲載されているが、今回、『反対派ブレティン』所収のロシア語原文にもとづいて訳しなおされている(ただし、現代思潮者版には「原注」部分はない)。なお、表題の「共産主義者の隊列の統一を」は、英語版の『スペイン革命 1931-1939』(パスファインダー社)からとった。

Л.Троцкий, Письмо в Политбюро ВКП(б), Бюллетень Оппозиции, No.21/22, Май-Июнь 1931.

Translated by the Trotsky Institute of Japan


※原注 L・D・トロツキーは4月24日に以下の手紙をソ連共産党(ボ)政治局に出した。手紙に対する返事がなく、スペインにおけるコミンテルンの政策がこれまでと同じままであり続けたので、この手紙を公表せざるをえなくなった。

 スペイン革命の今後の運命は全面的に、来る数ヵ月間のうちに、スペインに戦闘的で権威ある共産党が形成されるかどうかにかかっている。だが、外部から運動に押しつけられている人為的な分裂工作が系統的に行なわれているかぎり、これは実現不可能である。1917年、ボリシェヴィキ党は、自分に近い同系列の諸潮流を自己の周囲に結集した。自己の隊列における統一と行動の規律を慎重に守りながらも、ボリシェヴィキ党はそれと同時に、革命の根本問題をめぐって広範で全面的な討論を行なう可能性を保証した(3月会議、4月協議会、10月前の時期)。こうした手段と方法によってのみスペインのプロレタリア前衛は自己の見解というものを形成し、自らの正しさに対する不動の確信を、すなわちそれだけが人民大衆を決定的突撃に導くことのできる確信を身につけることができるのである。

 公式の共産党が現在の情勢のもとでアンドレウ・ニン(1)を反革命家として規定しているという事実一つとってもすでに――これは一つの例として挙げるだけだが――、途方もない混乱を、とりわけ共産主義者の隊列そのもののうちに引き起こさないわけにはいかない。イデオロギー的混乱のもとでは党は成長することはできない。共産主義者の分散と弱体状態が続くかぎり、スペインの革命の敗北は避けることはできないし、それはほとんど自動的に、スペインにおいてムッソリーニ型の真のファシズム体制の確立をもたらすだろう。ヨーロッパ全土とソ連にとって、その結果がどのようなものになるかは言うまでもない。しかし他方では、世界恐慌が終結したというにはほど遠い状況のもとで、スペインの革命が成功裏に発展すれば、壮大な可能性が開かれるであろう。

 諸君とのあいだにはソ連と世界の労働者運動に関わる一連の諸問題をめぐって深刻な意見の相違が存在するが、それがスペイン革命という舞台の上で統一戦線を誠実に試みる妨げになってはならない。まだ手遅れではない! スペインにおける人為的な分裂政策をただちに中止し、スペインのすべての共産主義組織に向けて、できるだけ早急に統一大会を開くよう勧告する――勧告であってけっして指令ではない――ことが必要である。この大会はさまざまな潮流に対して、規律ある行動の義務という条件のもとで、少なくとも1917年にロシア・ボリシェヴィズムのさまざまな潮流が持っていたのと同じ程度の批判の自由を保証しなければならない。ロシアのボリシェヴィズムは当時、はるかに高度な経験と訓練を積んでいたのである。

 公式のスペイン共産党が自らの弱さと自己に課せられた壮大な課題とのあいだにある不均衡を理解し、共産主義者の隊列の統一を真剣に試みるならば、革命的共産主義者の側から全面的な支持を受けるであろうことは、疑いのないところである。これらの革命的共産主義者は現在、諸君もご存知のとおり、10分の9まではスペイン革命と無縁の原因によって、別個の組織になっているのである。

 よけいな問題を引き起こさないよう、私は以上の提案を出版物を通してではなく、この手紙によって行なう。スペインにおける事態の歩みは、一日ごとに共産主義者の隊列を統一する必要性を強めるだろう。このことにはいかなる疑いもない。分裂の責任は、今や巨大な歴史的責任となっている。

1931年4月24日

『反対派ブレティン』第21/22号

新規

  訳注

(1)ニン、アンドレウ(アンドレス)(1892-1937)……スペイン共産党の創始者、スペイン左翼反対派の指導者。最初はサンディカリストで、10月革命の衝撃で共産主義者に。左翼反対派の闘争に参加し、1927年に除名。スペインの左派共産党(国際左翼反対派のスペイン支部)を結成。その後トロツキーと対立し、1935年にホアキン・マウリンらを指導者とするカタロニア労農ブロックと合同して、マルクス主義統一労働者党(POUM)を結成。1936年の人民戦線に参加。カタロニアの自治政府の司法大臣に。スターリニストの策謀で閣僚を解任され、1937年、スターリニストの武装部隊に誘拐され、拷問の挙句、虐殺される。


  

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