ドイツとソ連邦

トロツキー/訳 湯川順夫

【解説】本稿は、トロツキーが国際書記局に宛てた手紙である。トロツキーは、1931年11月の論文「国際情勢の鍵はドイツにある」と1932年はじめの論文「ドイツとの戦争の可能性」の中で、ヒトラーが権力に就いたときには、赤軍はドイツとの戦争を予測して赤軍を動員するよう訴えた。ヒトラーがソ連に対する戦争を開始するのは必然なのだから、敵が力を蓄えるのを傍観しておくべきではない、という論拠にもとづいていた。これは、ドイツ・プロレタリアートがヒトラーの権力掌握の際に長期の武力抵抗を行なうだろうとの予測にももとづいたものだった。だが実際にはそうはならなかった。トロツキーは、この手紙と、その数日後に『反対派ブレティン』に発表された論文「ヒトラーと赤軍」の中で、1年半〜1年前の見解の変更を余儀なくされた。

 しかし、この手紙でも「ヒトラーと赤軍」でも、ドイツ・プロレタリアートの武力抵抗の不発という側面はほとんど語られておらず、もっぱらソ連における経済・政治情勢の悪化という問題が前景に押し出されている。しかし、1年前にトロツキーが赤軍の動員を提言したときには、ソ連における経済情勢がそれまでに劇的な改善を見るだろうというような予測は何も語られていなかったし、実際、当時の情勢からしてそのような予測をすることは非現実的であった。ヒトラーの権力掌握に際してソ連が赤軍を動員するという提言そのものが、1年前の時点でも、ヒトラーが権力を掌握した時点でも非現実的であったのではないだろうか。たしかに、実際に、ドイツ・プロレタリアートが重大な武力抵抗をするような事態になれば、そうしたプロレタリアートにソ連が軍事援助をすることはなんら問題ではないし、いかなる意味でも冒険主義ではない。それはちょうど、武装決起したスペイン・プロレタリアートにソ連が軍事援助したことがいかなる意味でも冒険主義だとは考えられなかったのと同じである。しかしながら、そのような内戦がないもとでもソ連が最初に軍事行動を起こすということは、ソ連内部の情勢がいかに有利であったとしてもやはり冒険主義だったろう。トロツキーは適切にも自らの過去の見解を変更したが、その変更はあまり潔いものではなかったと言える。

 今回アップしたのは、『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)に所収のものを、『ドイツにおける反ファシズムの闘争』所収の英訳にもとづいて若干修正したものである。

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 ドイツ労働者の側からの抵抗がまったくなかったことは、われわれの隊列の内部に一定の混乱を引き起こした。われわれは、ファシストの危険性が押し寄せてくるならば、改良主義者の裏切り的政策のみならず、スターリニストの最後通牒主義的サボタージュさえも克服されるだろうと期待した。この期待は実証されなかった。われわれの期待は間違っていたのだろうか? 問題をこのような形式的なやり方で提起することはできない。抵抗の可能性に依拠した路線に沿って進み、その実現のために全力をあげる義務がわれわれにあったのだ。あらかじめ抵抗が不可能だと認めることは、プロレタリアートを前に駆り立てるのではなく、彼らを士気粗相させるもう一つの補足的要因をつけ加えることを意味しただろう。

 事態そのものがこのことを実証した。最初の教訓はトロツキーの論文「ドイツ・プロレタリアートの悲劇」において導き出されている。今やほぼ確信をもっていうことができる。景気の転換のみが真の大衆運動のためのはずみを作りだすだろう、と。そのときまで、任務は主として批判と準備である。ファシスト恐怖政治の体制はわれわれのカードル全体にとっても、個々のメンパーにとっても本当の試練となるだろう。革命家を鍛えあげ、教育するのはまさにこうした時期なのである。ファシストたちが労働組合の存続を許しているかぎり、左翼反対派はいかなる犠牲を払ってもそこに浸透しその内部で断固たる非合法活動を開始する必要がある。非合法活動への移行は、単に地下にもぐること(外国での機関紙の発行、秘密文書の密輸と配布、国内での非合法的中核の確立など)だけではなく、大衆組織が存続するかぎりにおいてその内部で非公然活動を遂行する能力をもつことをも意味する。

 赤軍の果しうる役割の問題が多くの同志たちに鋭く提起されている。明らかにそれはわれわれの原則的立場を修正するといった問題ではない。もしソ連の内部情勢が許せば、ヒトラーが権力に手をかけるやいなや、ソヴィエト政府は、当然にもソヴィエト国境を防衝するという名目で、何個師団かを白ロシアとウクライナに動員すべきであったろう。一部の同志たちは、赤軍はただ他国の革命を助けることができるだけであってこの革命を代行することはできないという反駁しがたい考えから出発して、ドイツに公然たる内戦が存在しないかぎり、ソ連邦が軍隊の動員に訴えるのは許しがたいという結論に傾いている。このような形で問題を提起するのはあまりにも抽象的すぎる。当然のことながら、赤軍は革命の遂行にあたってドイツ労働者に取って代わることはできない、それはドイツ労働者の革命を助けることができるだけである。しかし段階が異なれば、この支援は異なった表現をとりうる。たとえば赤軍は、ドイツ労働者が革命を開始するのを助けることができるのである。

 ドイツ・プロレタリアートを麻痺させているのは、分裂、孤立、絶望の感情である。外部からの武装支援という見通しだけでも、前衛層を大いに鼓舞していただろう。ドイツ労働者の側がヒトラーに対する最初の重大な抵抗行動を起こせば、ファシスト・ドイツとソ連邦とのあいだに亀裂を引き起こし、軍事的解決に向かわせる可能性もある。ソヴィエト政府は侵略者として行動することにいかなる利益も持ちえない。それは、原則の問題ではなく、政治的に引き合うかどうかの問題である。農民大衆には、ドイツ・プロレタリアート支援のための戦争というのはほとんど理解できないだろう。けれども戦争が、差し迫る脅威からのソヴィエト領の防衛として始まるならば、農民を戦争に引き込むことができるだろう(トロツキーの『ロシア革命史』の中で革命の防衛と攻勢の問題について述べられていることはすべて、戦争の問題にもあてはまる)。

 ドイツの事態に対して赤軍がとる行動形態は、当然にも、事態の進展およびドイツ労働者大衆の意識状況に完全に合致したものでなければならない。だが、まさにドイツ労働者自身が自分たちで受動性の鎖を打ち破れないと感じているがゆえに、闘争のイニシアチブは赤軍に属することもありえたのである。たとえその闘争がすでに述べたような準備段階のものであってもである。しかしながら、このイニシアチブの障害はドイツの現情勢にではなく、ソ連内部の情勢にある。外国の多くの同志たちは問題のこの側面に十分な注意を払っていないように思われる。ファシズムが権力につく場合には、赤軍の介入が必要であるとわれわれが語ってから1年以上経っている。こう語った時、われわれは、ドイツだけでなくロシアでも必要な政治的変化が起こり、経済状態が改善され、その結果ソヴィェト権力が、必要な行動の自由を獲得するだろうという期待にもとづいていた。しかしながら、実際には、この1年間の国内情勢は極度に不利な形で展開された。大衆の意識状態のみならず経済情勢もまた、戦争突入を困難きわまりないものにしている。ソ連邦からのすべての情報は、現在の条件のもとではドイツ・プロレタリアートに対する軍事的支援のスローガンが先進的なロシア労働者にとってさえ実現不可能で、非現実的で、空想的なものに見えているということを示している。

 われわれれは自らの原則的立場をいささかも譲らない。能動的な国際主義の立場は、今日ではとりわけ、決定的な局面で労働者国家を麻痺させているスターリニスト官僚に対する仮借なき批判を遂行するうえで重要な意味を持っている。だがわれわれは、客観情勢を無視することはけっしてできない。誤りの諸結果はすでに客観的要因に転化してしまっている。現在の条件のもとで赤軍の動員を要求するとすれば、それはまったくの冒険主義となろう。だがそれだけになおさら、われわれは、プロレタリア独裁の強化と赤軍の積極的役割のためにも、断固としてソ連の政策の変更を要求しなければならないのである。

1933年3月17日

『ドイツにおける反ファシズムの闘争』(パスファインダー社)

『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)より


  

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