「超人」の哲学について若干

トロツキー/訳 志田昇

【解説】この論文は、トロツキーがシベリアに流刑中に『東方評論』に書いた初めての本格評論である(短い評論はいくつか書いていた)。この論文は当時非常に好評を獲得し、『東方評論』で定期的に書くことになる。

 トロツキーはこの論文の中で、当時ロシアで流布していたニーチェの哲学を批判的に検討している。トロツキーのニーチェ論の特徴については、『トロツキー研究』第9号の特集解題「トロツキーとニーチェ」を参照していただきたい。ニーチェの哲学は後にナチズムの思想的基礎となるが、トロツキーが1930年代前半にナチズムに対する精力的な批判を行なっていた時、若かりし頃に自分が書いたニーチェ批判の評論を思い起こしたかどうかは定かではない。しかし、いずれにしても、このニーチェ批判のうちには、後のナチズム批判に相通じる要素がたしかに存在していると言えるだろう。

 本稿はすでに『トロツキー研究』第9号に掲載済みであるが、今回本サイトにアップするにあたって、訳注を多少充実させるとともに、表題を原題により近いものにしておいた。

Л.Троцкий, Кое-что о философии 《сверхчеловека》, Сочинения, Том20, Культура старго мира, Мос-Лен., 1926.

translated by Trotsky Institute of Japan


 最近、わが国の新聞雑誌は、「死の報に接して」過度にうやうやしい態度をとるようになった。文筆家の中には何かを要求したり期待したりすることができないような者もいる。理由は簡単だ。彼らから受けとるべきものが何もないからである。こうした文筆家は、必要な場合に自分の裸体を隠すためのイチジクの葉さえ身につけていない…。彼らに対する称賛や非難に関しては、われわれは十分な根拠をもって無視することができる。死体が死体を埋葬しているのだから…。

 しかし今回の場合、問題になっているのは、このような死体ではなく、死という「調停者」が影を落としているとはいえ、あらゆる文学的現象や社会現象に対して完全に生きた関係を期待できる文筆家たちである。

 最近、ロシアではジャンシーエフ(1)とソロヴィヨフ(2)が葬られ、「ヨーロッパ」ではリープクネヒト(3)とニーチェ(4)が亡くなった。もちろん、ミハイロフスキー(5)の表現によれば、誰の「死体」であれ「足でけとばす」のはあまりにも乱暴すぎる。しかし、敵の陣営から度外れた賛辞を送るよりも、これらの死者たちの一人一人にその社会的・文学的特質に応じた然るべき地位を割り当てる方が、おそらく、一定の信念体系の代表者である人たちに対していっそう大きな敬意を表することにさえなるだろう。たぶん、リープクネヒトは、『モスクワ報知』(6)や『新時代』(7)に称賛されても喜ばないだろう。それはちょうど、ニーチェが『フォアヴェルツ』や『ロシアの富』(8)に称賛されても喜ばないのとまったく同じである。たしか、スカンジナビア人のキエラン(9)が断言していた――そして、われわれは彼の誠実さを確信している――ように、急進派の新聞雑誌によるどんな賛辞も、反動派による悪意のこもった非難ほどにはうれしくないし、精神的な満足を与えないものである。

 もし、死者について何も語るべきでないか、さもなくば「良く」言うべきだとすれば、無意味な甘ったるい賛辞の洪水によって死者の真の社会的意義を曖昧にするよりも、何も言わないことによって雄弁に語る方がましである。われわれは、社会的な敵の人格に対して公正な態度を取り、彼らの誠実さやその他の個人的な美徳に然るべき敬意を――時間と場所があれば――払うことができるし、払わなければならない。しかし、敵は――誠実であろうとなかろうと、生きていようと死んでいようと――やはり敵であり、特に文筆家の場合には、死んだ後でさえその著作の中で生きているだけになおさらそうである。そして、このことに口を閉ざすならば、われわれは社会的犯罪をおかすことになる。高名なロシアの思想家が言っているように「積極的に反対しないことは消極的に支持することである」。このことは、死の悲報に接した場合にさえ忘れるべきではない。

 以上のような理由から、われわれは最近死去した哲学者フリードリヒ・ニーチェについて――とくに彼の学説が社会的見解や判断、共感と反感、社会批判と社会的理想にかかわっている諸側面について――若干論じたいと思う。

 ニーチェの哲学を彼の個人的性格や彼の生涯から説明する人が多い。非凡な人間だったので、彼は病気のために陥った境遇に受動的に甘んじることができなかったと言うのだ。社会生活から隔絶することを余儀なくされていたので、ニーチェは、このような状況下で彼が生きていくことを可能にするだけでなく、こうした生活に意味を与えることも可能にするような理論をつくり出すことに取り組まなければならなかった。彼の病気の結果として苦しみに対する崇拝が生じた。「諸君はできるなら苦悩を完全に無くしたいと願うが、われわれは、むしろ、苦悩をかつてなく大きくひどくしようと思うのだ!……苦悩、しかも大いなる苦悩という鍛練だけが、これまで人間を高みに到達させたということを諸君は知らないのだろうか」

※原注 われわれは『ニーチェ選集』の該当するページを示さない。といのは、補巻を除いても8巻にもなる『ニーチェ選集』のページを示すことは、新聞の論文にはあまりにも荷が重い仕事だからである。

 アロイス・リール(10)は、「こうした言葉の中からは、苦しみを意志の教育手段に変えた病人の声が聞こえる」と述べている。

 しかし、苦しみに対する崇拝は、若干のニーチェ批評家や解釈者によって根拠もなく前景に押し出されているが、ニーチェの哲学体系の枝葉末節にすぎず、しかも独自のものではまったくない。彼の哲学体系全体の社会的基軸となっているのは(ただしニーチェの書いたものを、「体系」といった、彼の目から見れば卑俗な用語で侮辱することが許されるならば)、若干の「選ばれた者」に生活のすべての恵みを自由に利用する特権を承認することである。つまり、この幸福な選ばれた者は、生産労働から解放されているだけでなく、支配という「労働」からさえ解放されているのである。

「諸君のためには信仰と隷従(Dienstbarkeit)!――ツァラトゥストラ[ゾロアスター]が理想社会においてあまりに多数すぎる者たち(den Vielzuvielen)に与える運命は、かくのごときものである」。

 この人々の上には管理者、法の番人、秩序の守護者、戦士のカースト(ママ)が立っている。その頂点には「戦士、裁判官、法の維持者を表す最高形式」である王がいる。このすべてが「超人」に奉仕する人々である。彼らは「支配にまつわる粗野な労働」を引き受けるのであり、「立法者の意志」を奴隷大衆へ伝えるために奉仕するのである。最後に、最高のカーストは、「主人」「価値創造者」「立法者」「超人」のカーストである…。このカーストが社会有機体全体の活動に方向を示すのである。このカーストは、キリスト教において神が宇宙で果たしているのと同じ役割を地上の人々のあいだで果たすだろう…。

 このように、統治の「労働」さえ最も高等な人々にではなく、下等な人々のうちの高等な人々に委ねられる。それに対し、「選ばれた者」「超人」はといえば、あらゆる社会的・道徳的義務から解放され、冒険と快活さと哄笑に満ちた生活をいとなむのである。「生まれたその瞬間から……私は、生命が満ちあふれ、私の内部でも外部でも可能なかぎり浪費的で情熱的であることを欲する」とニーチェは述べている。

 苦しみに対する崇拝についてはすでに述べた。「奴隷」がどんなに献身しても免れえないような肉体的苦しみが「超人」にもしばしばあると暗示されている。社会的な無秩序と結びついた苦しみに関しては、もちろん、「超人」は、そのようなものから完全に自由でなければならない。「超人」(それも生成中の im Werden 場合だけだが)にまだ何らかの義務的な労働が残っているとすれば、それは自己完成の労働であり、その課題は「同情」に類するいっさいのものを徹底的に一掃することに帰着する。同情、哀れみ、思いやりの感情に屈した「超人」は没落する。古くからの「価値の一覧表」によれば、同情は美徳であるが、ニーチェは同情を最大の試練であり最も恐るべき危険であると考えた。ツァラトゥストラの「最後の罪」、すなわち彼が耐えなければならない災いのうちでも最も恐ろしいものは、同情である。もし彼が不幸な人々に同情するならば、もし彼が悲しそうな様子に心を動かされるならば、彼は敗北したのであり、彼の名は「主人」カーストの名簿から抹消されなければならない。ツァラトゥストラは次のように語っている。

「死を説教する者たちの声が、至るところに響いている。そして大地は死を――あるいは『永遠の生命』を――説教されなくてはならないような者たちに満ちているのだ」。

 さらに彼は露骨な冷笑をこめて、次のように付け加えている。

「それは私にとってどうでもよいことだ――彼らが速やかに去って行って(dahinfahren)くれさえするならば!」。

 自分の積極的な理想を構築する仕事にとりかかる前に、ニーチェは現在支配的な社会的諸規範――国家的規範や法的規範やとりわけ道徳的規範――を批判しなければならなかった。彼は「いっさいの価値の転換」が必要だと考えた。一見すると、何と極端な急進主義であり、何と驚くべき大胆な思想であろうか! 「彼以前には何びとも道徳の価値を検討しなかったし、何びとも道徳的原理の批判を企てたりしなかった」とリールは言っている。リールの見解は特異なものではない。しかし、だからといって、リールの意見に根拠があるわけではまったくない。人類が従来の道徳を根本的に修正する必要を感じたのは1度や2度ではないし、多くの思想家がフリードリヒ・ニーチェよりもさらに徹底的にいっそう深くこの仕事を遂行した。ニーチェの体系に何か独創的なものがあるとすれば、それは「価値転換」という事実そのものでなく、むしろ、価値転換の出発点、すなわち、「超人」になりたいという志向・欲求・願望であり、その基礎にある「権力への意志」である。これが、過去、現在、未来の評価基準である…。

 しかし、この独創性も疑わしいものである。ニーチェ自身が言っているように、過去に支配的であった道徳や現在支配的である道徳を研究した際に彼は2つの基本的な潮流に出会った。すなわち、主人の道徳と奴隷の道徳がそれである。「主人の道徳」こそが「超人」のふるまいのための基礎である。道徳のこうした二重性は実際に人類史全体をつらぬく赤い糸であり、それを発見したのはニーチェではない。われわれがすでに聞いたように、「諸君のためには信仰と隷従」とツァラトゥストラは「あまりに多数すぎる者たち」に向かって語っている。最高のカーストは「価値創造者」たる「主人」のカーストである。主人のために、そして、主人のためにのみ超人の道徳はつくられているのである。これは何と新しいことだろうか! きわめて少ししか物を知らなかった農奴制時代のわが国の地主でさえ、貴族と平民がいて、貴族に要求されることは平民がすれば厳しく非難されるということを知っていた。したがって、天才的な風刺家の言葉によれば、「貴族が商業や工業に従事したり、ハンカチを使わずに鼻をかんだり、等々のことをすることはふさわしくない、と考えられているが、一つの村をまるごと賭けてカードをしたり、女中のアリーシカをボルゾイ犬の子犬と交換することは、貴族にふさわしくないとは考えられておらず、そして、農民が髭をそったり、お茶を飲んだり、長靴をはいたりすることは、ふさわしくないと考えられているが、マトレーナ・イワノーヴナがアヴドーチャ・ヴァシリエーヴナの名の日に心からのお祝いを述べ、おかげさまで元気ですと伝える手紙を届けるために、100ヴェルスタ歩かされるのは農民にふさわしくないとは思われていない」(サルトゥイコフ(11)=シチェドリン『散文による風刺』)ということを、地主たちはちゃんと知っていたのである。

 ニーチェのある無批判的な批評家でさえ認めているように、「ニーチェの思想は彼のペンによって表現される逆説的または高度に詩的な形態をとりのぞくなら、最初に受けた印象ほどには新しくはないということが、非常にしばしばある」(リヒテンバーガー『フリードリヒ・ニーチェの哲学』)。

 しかし、ニーチェの哲学が一見したほど独創的ではなく、もっぱらその著者の複雑な個性によって説明される程度の独自性しかないとすれば、いったい何によってこの哲学がきわめて短期間にかくも多数の信奉者を獲得したことを説明すべきであろうか。すなわち、アロイス・リールの表現によれば「ニーチェの思想が多くの人の信条となった」ことを何によって説明すべきだろうか。このことは、ニーチェ哲学が育った土壌が何ら特別なものではないという事実によってのみ説明することができる。社会的な諸条件によって、このうえなくニーチェ哲学がふさわしいような立場に置かれた人々の広範な集団が存在しているのである。

 わが国の文献では、すでに何回かゴーリキーとニーチェが比較された。一見すると、このような比較は奇妙なものと思われるかもしれない。最も虐げられ辱められた人々、墜ちるところまで墜ちた人々の歌い手と「超人」の使徒との間に、いったいどんな共通性があるというのか、と。もちろん、両者の間には巨大な相違がある。しかし、両者の一致点は最初に受ける印象よりはるかに大きいのである。

 ゴーリキー(12)の主人公たちは、作者の構想の上では、またいくらかはその描写の上でも、虐げられ辱められた人々ではまったくなく、墜ちるところまで墜ちた人々でもない。彼らもまた一種の「超人」である。彼らのうちの多くは――大多数でさえ――彼らがこのような状態にあるのは、彼らが苛酷な社会闘争において敗北して決定的に軌道からたたき落とされたからではまったくなく、彼ら自身が現代の社会組織の窮屈さやこの社会の法律や道徳等々に甘んじることができず、社会から「去った」からである…。このようにゴーリキーは語っている。このような説明は全面的に彼の責任に委ねることにしよう。われわれはこの点については、独自の見解に固執することにしよう。一定の社会集団のイデオローグであるゴーリキーは、違ったように論じることができなかったのである。物質的またはイデオロギー的な絆によって一定の集団と結びついているあらゆる個人は、自分の集団の総体を何かクズのようなものとみなすわけにはいかない。彼は自分の集団の存在に何らかの意義を見いださなければならない。基本的な社会層にこのような意味を見出すことは――現代社会とそれに固有の生産システムのきわめて表面的な分析にもとづく場合でさえ――困難ではない。というのは、これらの基本的な諸階層はこの生産システムの不可欠な参加者だからである。ブルジョアジー、プロレタリアート、「精神労働者」の場合がこれにあたる…。だが、ゴーリキーがその歌い手となり弁護者となっている集団の場合は違っている。たとえ社会の領土内で社会の負担で暮らしているにせよ、社会の枠外で生活しているので、彼らは自分の存在の正当化を組織的な社会の成員に対する優越感の中に求める。この社会の枠は、生まれつき特別の、ほとんど「超人的な」資質に恵まれた人々にとっては、あまりにも狭すぎるというのだ。ここで、われわれは現代社会の規範に対するニーチェのペンから出たのと同じような抗議に出会うのである

※原注 この2人の作家に共通したもう一つの特徴をついでに挙げておこう。それは2人とも「強者」に尊敬を抱いていることである。ゴーリキーは否定的な(ゴーリキー自身にとってさえ)性質のあらゆる行為を、もしそれがあふれるばかりの力によって呼び起こされたものならば、人間に許す。彼はこうした行為をきわめて愛着をこめ美しく描くので、まったく別の見地に立っている読者でさえ「力」に魅惑され惚れこんでしまうのである…。これがゴルジェーエフ老人やゴーリキーの若干の他の主人公たちである。

 同じく、社会の負担で略奪的に生きているが、哀れなルンペン・プロレタリアートよりも幸運な境遇にいる集団が、ニーチェを自分たちのイデオローグとみなした。この連中は高級な寄生的プロレタリアートである。現代社会におけるこの集団の構成は、かなり多様であり幅のあるものである。というのは、ブルジョア階層の諸関係の組み合わせはきわめて複雑で多様だからである。しかし、この一種のブルジョア騎士団の全構成員に共通しているのは、生産と分配の組織的過程に何ら系統的に参加していないのに(このことをとくにわれわれは強調する)、社会的消費ファンドからきわめて広範囲に、ほとんど公然と、それでいながら――もちろん、これは例外ではなく通例そうなのだが――罰せられることなく略奪することである。このようなタイプの代表者として、ゾラの小説『金』の主人公サッカールをあげることができる。もちろん、すべての金融的冒険家のスケールがゾラの作品の有名な主人公ほど大きいわけではない。より小型の金融的冒険家のタイプとしては、シュトラッツの(下手な)小説『究極の選択』(『「ロシアの富」選集』に翻訳がある)に登場する投機家の伯爵を挙げることができる。

 しかし、この違いは単に量的なものであって質的なものではない。一般的にいえば、この種のタイプは現代文学には非常に多いので、誰を挙げたらよいかわからないほどである。

 もちろん、前述したことを、ニーチェ主義者はすべて金融的な冒険家や取引所の略奪者だという意味に理解する必要はない…。何といっても、ブルジョアジーは自分の社会と有機的に結びついているおかげでブルジョア個人主義を自らの階級の限界を越えて広く普及させることができたからである。同じことが、前述した高級な寄生的プロレタリア集団の多数のイデオローグに関しても言える。だからといって、こうした集団の全員が自覚的なニーチェ主義者であるわけではけっしてない。おそらく、彼らの大多数はニーチェの存在すら知らないであろう。というのは、彼らはまったく別の領域に自分の関心を集中しているからである。しかしそのかわり、彼らはみな自分の意に反して(malgre lui meme)ニーチェ主義者なのである…。

 しかしながら、若干の純粋にブルジョア的なイデオローグたちもすでに一度ならず、多くの点でニーチェの思想に近い思想を展開したという事実を指摘することも無駄ではない。最も通俗的なブルジョア思想家の一人であるイギリスのご託宣家ハーバート・スペンサー(13)を例に挙げよう。大衆に対するニーチェと同じ軽蔑的な態度がスペンサーにも見られる。もっとも、ニーチェほどには情熱的なものではないが。また、彼はニーチェと同じように闘争を進歩の手段として称賛している。いわゆる自己責任で没落した人々を助けることにも同じように抗議している。このブルジョア的な博識家は次のように断言している。

「人は、どんな利益であれ、それを手に入れるためには、生産的労働によって獲得された金銭で買わねばならない。これこそ自発的な(!)協業の基本法則である。だが、彼らは(「彼ら」とは誰のことか明らかである――L・T)この法則を支持するかわりに、多くの利益を、それを獲得するためになされた努力とは無関係にすべての人の手に届くようにしようとしている。無料の図書館、無料の博物館等々は、社会の負担で設置されざるをえず、その人の功労とは独立にあらゆる人の手に届くようにされている。このようにして、より立派な人の貯蓄が収税人によって奪い取られ、何も貯蓄していないより劣った人々に一定の便宜を提供するための手段とされている」。

 何びとも赤貧と悪徳とそれらの当然の帰結の邪魔をしてはならないというスペンサーの要求に対するミハイロフスキーの反論を想起し、この要求とわれわれにはすでにおなじみのツァラトゥストラの言葉と比較してみよう。ツァラトゥストラは「……この世は死を説教されなくてはならないような者たちで満ちている」と言っている。彼らを援助するのではなく、彼らが速やかに立ち去るように突き落としてやる必要がある。「これは偉大なことである(das ist gross, das gehoert zur Groesse)」というわけだ。

 しかし、ここでスペンサーとニーチェとの一致点――しかもまったく条件つきの一致点――は終わる。スペンサーは、ブルジョアジーから支配の「労働」を取り上げたいとはまったく思っていない。同時に、彼にとって最高のタイプは本能のままに生きる人間ではない。階級としてのブルジョアジーと、生産関係の歴史的に規定されたシステムとしての資本主義体制とは、一方がなければ他方も考えられない2つの現象である。そして、ブルジョアジーの思想的代表者であるスペンサーは、ブルジョア的な規範に異議を申し立てるわけにはいかない。弱者に対する援助にスペンサーが異議を申し立てるのは、彼のいとしく思っている社会秩序やまさにこの秩序によってしっかり守られている彼の平和な書斎の中に、こうした弱者が押し寄せて来るのを恐れるからにほかならない。

 ニーチェの場合は違っている。彼は自分をとりまく社会のすべての社会規範に異議を申し立てる。彼はすべての美徳やすべての俗物的なものに敵対している。ニーチェにとっては平均的ブルジョアは、あらゆるプロレタリアと同じく最低のタイプにほかならない。まったく、それも当然である。平均的なブルジョアは感傷的な生き物である。ブルジョアは、労働の神聖な使命というテーマに関する感傷的な金言を語ったり、道徳的教訓を垂れたり、センチメンタルな熱弁をふるったりしながら、ゆっくりと隅々まで肉をしゃぶる。だが、ブルジョア的な「超人」は、まったく違ったふうに行動する。彼は手あたりしだいにつかみ、捕らえ、強奪し、肉ごとひきちぎり、こう付け加える。「説明は不要だ」

※原注 農奴の組織的な搾取者である中世の領主と封建社会の「超人」である「盗賊騎士(Raubritter)」とのしかるべき類比を行なうならば、おもしろいであろう。盗賊騎士たちは「盗みは恥ならず、国の最高の者もそれをなす(Rauben ist keine Schande, das thun die besten in Lande)」と宣言していた。これは「超人」ではないだろうか。

 「健全な」ブルジョアジーに対して否定的な態度をとったので、ニーチェは、彼らの側から否定的な扱いを受けている。たとえば、われわれは、落ちついたブルジョア的中庸の代表者の一人であるマックス・ノルダウ(14)――彼は深遠というよりは言葉づかいが仰々しいだけであるが、瑣事にいたるまで貪欲で、精力的表現を惜しまない人物である――がニーチェに対してどんな態度をとっているか知っている。ノルダウは次のように述べている。

「高踏派や耽美派によってペンや色彩や音響の助けをかりて称賛した人間のくずと下劣な行為を体系化するためには、悪魔主義者やデカダン派の代表者がほめたたえた犯罪と不潔さと病気を総合するためには、イプセンを手本にした自由で完全な人間を崇拝するためには、理論家が必要であり、このような理論を、ないしはそう自称するものを最初に唱えたのがニーチェである」(『退化』)。

 ノルダウがニーチェの支持者に対してとっている態度もこれよりましなものではない。彼の言葉によれば「『何ものも真実ではなく、いっさいが許されている』と説く賢明なる金言が、道徳的に錯乱した学者の口から発せられると、それは、道徳的な欠陥のために社会的規範に深い憎しみを抱いているすべての人たちから巨大な反響を得た。とくに、大都市の知的プロレタリアートは、これを大発見とみなして勝ち誇ったのである」(同前)。

 内閣崩壊や政府要人の死、新聞の恐喝、政治的スキャンダル、といったことの上に、また相場の「下落」や「上昇」の上に、豊かな生活を建設しつつある人々は、小市民的な美徳を身につけたブルジョアやそのイデオローグから是認されるはずはなかった。前述したルドルフ・シュトラッツの小説に出てくるすべての「高潔な」登場人物が――そして登場人物を通して俗物的な気分の作者が――冷笑的な伯爵に対してとっている態度も、ノルダウのニーチェに対する態度よりましなものではない。なにしろ、この伯爵は、どうやら「何ものも真実ではなく、いっさいが許されている」という思想にもとづき、ベルリンの人々を伯爵に刈り込まれるためにいる羊とみなしているらしいのだ。高潔なベルリンの人々が悪徳伯爵に対して厳しい態度をとるのはまったく当然のことである。

 ブルジョア社会は道徳や法等々の一定の決まりを作成しており、こうした決まりを犯すことは固く禁じられている。ブルジョアジーは、他人を搾取するが、搾取されることは好まない。ところが、さまざまな種類の超人(Uebermensch)たちは「剰余価値」というブルジョア基金からおいしいところを奪い取る。すなわち、直接的にはブルジョアジーの負担で暮らしているのである。当然ながら、この超人たちは、ブルジョアジーの倫理的な法の庇護のもとに置かれるはずがない。したがって、彼らは自分の生活様式に役立つ倫理的な原則をつくらなければならない。最近までこの高級な部類の寄生的プロレタリアートは、自分の略奪的活動を「高尚な」動機で正当化しうるいかなる一貫したイデオロギーももっていなかった。「健全な」産業ブルジョアジーは、その歴史的功績や組織力によって略奪行為を正当化し、彼らの組織力なしに社会的生産は存在しえないと称しているが、もちろん、こうした正当化は、相場の上昇・下落(hausse u baisse)の騎士や金融的冒険家や取引所の「超人」や政界と新聞の良心なき(sans scrupule)恐喝屋など、一言でいえば、ブルジョア的な有機体にぴったり吸いつき社会の負担で、そして社会に対して代わりに何も提供することなく、あれこれの仕方で暮らしている――そして、普通は悪くない生活をしている――すべての高級な寄生的プロレタリアートには役に立たない。この集団の個々の代表者は、羊のような人々に対する知的優越感で満足していた。何しろ、自分たちは彼らを「刈り込むこと」が許されているのだから(どうして許されないことがあろうか!)。しかし、この集団全体(かなり多数であり、ますます増加している)は、知的に優越した人々に「大胆にふるまう」権利を与えるような理論を必要としていた。彼らは自分たちの使徒を待望し、ニーチェのうちにその使徒を見いだしたのである。露骨に冷笑的で高度な才能をもったニーチェが「いっさいが許されている」という「主人道徳」をたずさえて彼らのところにやってきた。そして、彼らはニーチェを誉めたたえたのである…。

 ニーチェは次のように教えている。あらゆる崇高な人の生活は、冒険という危険に満ちた一連の切り離しがたい連鎖である。崇高な人が求めるのは幸福ではなく、遊戯の刺激である。

 ブルジョア社会の湯垢のような質(たち)の悪い連中は、あやうい社会的均衡の中に置かれ、今日は世間的な幸福の絶頂にあっても、明日は裁判にかけられかねない。この連中にとっては、月並みで平凡な俗物であるスマイルズ(15)――発展し始めたばかりの小市民の教父――の中庸と几帳面に関するプチブル的説教や、厳密に合理主義的な前提にもとづいたベンサム(16)――「健全」で、こやかましく公正な(もちろん、商人の意味で)イギリス・大ブルジョアジーの精神的指導者――の功利的道徳に関する説教よりも、冒険に満ちた生活を説くニーチェの説教の方がはるかに自分にふさわしいと感じられたにちがいない。

 ニーチェによれば、人類が「超人」にまで高まるのは、現代の価値ヒエラルキー、とりわけキリスト教的・民主主義的理想を放棄するときである。ブルジョア社会は――少なくとも名目上は――民主主義の原理にしたがっている。だが、すでに見たように、ニーチェは道徳を主人道徳と奴隷道徳にわける。民主主義に抗議して彼は口角泡を飛ばして語る。彼は、平等に熱中し人間を醜悪で軽蔑すべき畜群に変えようとする民主主義に対する憎悪に燃えている。

 もし奴隷が超人の道徳を抱いていたら、もし社会が鈍重な建設的労働をあまりにも屈辱的なものだと感じたら、それは「超人」にとって都合が悪い。これこそ、ニーチェ自身がある私的な手紙の中で彼特有の露骨な冷笑をこめて次のように語っている理由なのである。自分の学説を公表することは、「おそらくこれまでで最も危険な冒険(Wagnis)である。ただし、この学説にもとづいて大胆にふるまう人々にとってではなく、自分がこの学説について語る人々にとってだが」。彼は次のようにつけくわえている。「私にとって慰めなのは、私の大いなる知らせを聞いて理解する耳が存在していないことである」…。この危険の結果こそが道徳の二重性なのである。主人のために、そして主人のためにのみつくられた「主人道徳」を実行する必要性が人類全体にはないだけではない。反対に、超人ではない普通の人々すべてに要求されるのは、高級な生活のために生まれてきた人々に服従し「群れをなして共同事業を行なうこと」である。普通の人に要求されているのは、ごく少数の「超人」を頂点とする社会によって課せられた義務を良心的に果たすことが幸福なのだと考えることなのである。低級な「カースト」が高級なカーストに奉仕することに道徳的な満足を見出すべきであるという要求は、これもまた、周知のように格別新しいものではない…。

 この輝かしいブルジョア的プロレタリアートの一員が、権力を握ることも稀ではないが、一般的に言えば、ブルジョア社会の政府権力は彼らの手中にはない。ある種の社会的な思い違いの結果として、政権が彼らの手中に落ちることもあるが、彼らの支配は、パナマ疑獄(17)やドレフュス事件(18)やクリスピ事件(19)などの大スキャンダルで終わるのである。彼ら自身が権力を握るのは、彼らがきわめて否定的な態度をとっている社会を再編成するためではまったくなく、単に社会的な宝庫を利用するためにすぎない。したがって、「超人」を支配の労働からさえ解放したニーチェは、この点でも彼らの側からの生きた反響を見いだすことができたのである。ルンペン・プロレタリアート、すなわち、最低の部類の寄生的プロレタリアートは、否定という点ではニーチェの崇拝者よりも徹底している。彼らは社会全体を否定している。彼らにとっては、社会の精神的な枠組みだけでなく、その物質的な組織体も狭すぎるからである。だが、ニーチェ主義者たちはブルジョア社会の法律的な規範や倫理的な規範を否定するが、社会の物質的組織体がつくりだす快適さには何ら異存がない。ニーチェによれば、「超人」は、人類が長期にわたる多大な努力によって得た知識や富や新しい力を放棄する気はない。にもかかわらず、ニーチェ主義者の世界観(もしここで、そういう言葉が適切であれば)全体は、彼らが形式的にさえ何ら創造に参加していない富の利用を正当化することに役立っているのである。

 ニーチェは、選ばれし者の一員となる以前に、あらゆる人に「君にはくびきを脱する資格があるのか」という問いに答えることを要求しているが、この問題を解決するいかなる客観的基準も与えなかったし、与えることができなかったので、肯定的に答えるか、それとも、否定的に答えるかは、各自の自由意志と略奪能力の問題なのである。

 ニーチェの哲学体系は、すでに一度ならずとりわけニーチェ自身によって指摘されたように、少なからぬ矛盾をかかえている。若干の例を挙げよう。ニーチェは現代の道徳に否定的な態度をとっているが、それは主として「あまりにも多数すぎる者たち」に対する態度の基本となっている――たしかに形式的にすぎないが――諸要素(同情や慈悲など)に関することである。だが、「超人」同士の相互関係に関しては、超人は道徳的な義務からまったく解放されていない。こうした関係について語るとき、ニーチェはとか敬意感謝といった言葉さえ使うことをはばからない。

 「いっさいの価値の転換」をめざすこの道徳の革命家は、特権階級の伝統には大いに敬意をはらっており、ニーツキーとかいう伯爵の家系の出身であることを――これは非常に疑わしいが――誇りにしている! このきわめて高名な個人主義者は、「個性」にごくわずかな余地しか与えられなかったフランスの旧体制にきわめて愛情のこもった共感を抱いている。ニーチェにおいては、貴族に対する非常に明確な社会的共感の代弁者の側面が、個人主義という抽象的な原理の布告者の面よりも、常に優位に立っている。

 こうした矛盾を考慮すれば、まったく対立しているように見える社会的要素が、ニーチェ主義の旗のもとに結集できるということは何ら不思議ではないのである。「素性も知れぬ」ような冒険家は、貴族的伝統に対するニーチェの敬意をまったく無視することができる。彼はニーチェから自分の社会的地位にふさわしいものだけを取る。「何ものも真実ではなく、いっさいが許されている」というモットーは、このうえなく彼の生活様式にふさわしい。このアフォリズムのなかに含まれている思想の発展に役立つすべてのものを、ニーチェ選集から引き出して、フランスのパナマ疑獄とか、わが国のマーモントフ事件※ (20)の勇敢なヒーローたちに、哲学的なイチジクの葉として完全に役立つかなり首尾一貫した理論をつくり出すことができる。しかし、われわれは、ニーチェの崇拝者の中に、全面的にブルジョア社会の産物であるこの集団と並んで、まったく別の歴史的な発展段階の代表者である古い系図をもつ人々も見出す。われわれは、騎士的な美徳よりも株券の方を選ぶシュトラッツの小説に出てくる伯爵のような人たちのことを言っているのではない。こうした人たちは、すでにもはや自分の身分には属していない。階級から脱落している彼らは、あらゆる平民と同様に「高尚な伝統」にはほとんど注意を払わない。われわれが言っているのは、かつて自らを社会的階梯の頂上に立たしめた時代の遺物にまだしっかりとしがみついている人たちのことである。彼らは社会生活の軌道から脱線しているので、現代の社会制度、その民主主義的傾向、その法律や道徳に、不満を抱く特別な理由をもっている…。

※原注 ガリン氏が自分の証言のなかでゲーテを利用したように、プレヴァコ氏がニーチェを自分の弁論のなかで利用したかどうかは、われわれの知るところではない。もし、マーモントフがロシアのファウストであるとすれば、どうして彼がモスクワの「超人」の役に適しないことがあるだろうか!

 有名なイタリアの詩人であり生まれからしても信念からしても貴族であるガブリエーレ・ダンヌンツィオ(21)という人物がいる。われわれは、彼がニーチェ主義者であると自称しているかどうか知らないし、一般に、彼の世界観の起源がニーチェの思想に対して、いかなる関係にあるかも知らない。それに、われわれにとっては、今のところ、そうしたことは重要ではない。ここで重要なのは、ダンヌンツィオのウルトラ貴族主義的な思想が、ニーチェの思想の多くとほとんど一致しているということである。ダンヌンツィオは次のように語っている。

「ローマで私はかつてなかったような最も恥じ知らずな冒涜を見た。決壊した下水溝のように、低劣な欲情の波が広場や通りを水びたしにしている。王や好戦的な種族の末裔は、平民どもの法令が指示する低級で退屈な義務を果たすことに、忍耐の驚くべき模範を示している」。

 彼は、詩人たちに向かって、次のように言っている。

「今、われわれの使命はいったい何であるのか。われわれは、普通選挙権を讃えたり、不自然なヘクサメーターの詩行で王政の廃止、共和国の到来、俗衆による権力掌握を促進したりするべきだろうか。[もしそうであれば]われわれは、すべての力、権利、知恵、光が、群衆のなかにあるということを、平均的な賃金を得るために、不信心者に保証することもできるだろう」。

 しかし、こんなことに詩人の課題はない――

「すべての人間の頭を、仕上げ工の金づちで打たれた釘のように画一化しようとする人々の無思想な額に烙印を押せ。集会で諸君は馬丁、すなわち、俗衆の言葉を聞いたならば、とめどない高笑いを天までとどろかせよう」。

 貴族主義的な過去の時代の無力な遺物に向かって、彼は大声で叫ぶ――「待機して事態に備えよ。群れを服従させるのは、諸君にとって難しいことではない。平民は常に奴隷のままである。というのは、彼らには鎖に手を差し出す生まれつきの欲求があるからだ。群衆の精神はパニックに陥りやすいということを忘れるな」。

 ニーチェと完全に一致して、ダンヌンツィオはいっさいの価値を転換することが必要だとみなしている。そして、これは次のようにして行なわれる。

「生まれつき支配することを使命としている新しいローマ皇帝がやって来て、さまざまな空論家によってあまりにも長い間承認されてきたいっさいの価値を一掃するか配置換えするであろう。この新しいローマ皇帝は、将来、理想的な橋をかけることができるであろう。そしてついに、この橋を通って特権的な血筋の人々が、今はまだ、待望されている支配から彼らを隔てているように見える深淵を渡ることができるだろう」。

 この新しいローマ皇帝となるのは、「美しく強い残酷で情熱的な」貴族だろう(ダンヌンツィオからの引用は『生活』第7号、1900年に掲載された老ウクラインカ氏にしたがった)。この野獣に似た存在は、ニーチェの「超人」とあまり違わない。ニーチェのいう「猛獣=貴族」は人間とあらゆる物に価値を与える。この猛獣=貴族に有益なものはそれ自体でよく、有害なものはそれ自体で悪いのである…。

 予定より長くなってしまったので、もうこの辺で終わりにしよう。もちろん、われわれは、詩人哲学者であり、哲学詩人であるこのフリードリヒ・ニーチェの奇抜な作品を、あますところなく批判したと自負しているわけではない。それに、そんなことは新聞評論の枠内では不可能である。われわれは、ニーチェ主義を――何巻かの著作に含まれ、多くの点で、作者の純粋に個人的な特徴によって説明される哲学体系としてではなく、それが今日の潮流であるということによって特別に注意をひく社会的潮流として――生み出すことができた社会的土壌を一般的に描き出そうと思ったにすぎない。ニーチェ主義に対する純粋にイデオロギー的な態度は、ニーチェの道徳的命題やその他の命題に対する共感や反感という主観的契機によって制約されてしまい、ろくな結果にならない。それだけに、ニーチェ主義を文学的・哲学的な高みから社会的諸関係という純粋に現世的な基礎へこのように引きおろすことは、われわれにとってなおさら必要である。わが国のジャーナリズムにおけるこの最新の実例となっているのが、『生活』紙上で定期的にヒステリックな発作を起こしているアンドレーヴィチ(22)である。

 もちろん、文脈から切り離せば、先入観にとらわれたどんな立場にも例証として役立つような数ページを何巻もある『ニーチェ選集』の中から探しだすのには、大した努力はいらないかもしれない。とくに、その先入観にしたがって解釈している場合にはそうである(ついでにいえば、そのような解釈のためには、深遠というよりも曖昧な『ニーチェ選集』が大いに有用なのだ)。たとえば、西欧のアナーキストたちはこのようなやり方をして、早まってニーチェを「仲間」に数えいれたために、ひどい幻滅を味わった。主人道徳の哲学者は、これまでになかったようなきわめて粗暴な言動によってアナーキストの反発をかった。読者にはすでに言うまでもないことであろうが、この最近死んだドイツの逆説家――彼のアフォリズムはしばしば相互に矛盾し通常10とおりの解釈の余地がある――の著作に対して、このように純粋に言葉やテキストの上でのみかかわることが生産的であるとは思われない。ニーチェ哲学を正しく説明し解明するための唯一の道は、この複雑な社会的産物を生み出した社会的土壌を分析することである。これこそがこの種の論文にふさわしい分析である。この土壌は腐っており、悪質で、伝染性がある…。ここから、次のような教訓が引き出される。ニーチェ主義を信頼してそれにどっぷりひたり、ニーチェの著作から誇り高い個人主義の自由な空気を深々と吸いこもうと、われわれに勧めたければ好きなだけ勧めるがいい。われわれはこのような呼びかけには従わないし、一面的で偏狭だという安っぽい非難を恐れず、福音書のナタナエルとともに「あのナザレから何か善いものが出るだろうか」と懐疑的に異議を唱えるものである。

『東方評論』284、286、287、289号

1900年10月22、24、25、30日

ロシア語版『トロツキー著作集』第20巻『旧世界の文化』所収

『トロツキー研究』第9号より

  訳注

(1)ジャンシーエフ、G・A(1851-1900)……自由主義派の歴史家で社会主義政治評論家。アレクサンドル2世紀の改革を論じた『偉大な改革の時代から』を執筆。

(2)ソロヴィヨフ、ウラジーミル(1853-1900)……ロシアの神秘主義哲学者、評論家、詩人。歴史家であったセルゲイ・ソロヴィヨフの息子。ペテルブルク大で教鞭をとっていたが、皇帝を暗殺したナロードニキの死刑に抗議して辞職、著述に専念。

(3)リープクネヒ、ヴィルヘルム(1826-1900)……マルクス、エンゲルスの友人で、ドイツ社会民主党の初期の指導者。

(4)ニーチェ、フリードリヒ(1844-1900)……ドイツの実存主義哲学者。ショーペンハウアーの影響を受け、ワーグナーの文化運動に共鳴。『反時代的考察』でヨーロッパ文明の退廃を批判し、新しい天才の出現による価値転換を唱え、『ツァラトゥストラはかく語りき』『善悪の彼岸』において、俗人の倫理に縛られない超人の理想を主張。未完の大著『権力への意志』では、権力意志を生の原理とする思想を展開。ニーチェの思想は、19世紀末のロシア知識人そうに大きな影響力を与え、また、後には、ナチスの哲学的基礎にもなった。

(5)ミハイロフスキー、ニコライ(1842-1904)……ロシアの社会学者、ナロードニキの理論家。農民社会主義を唱えてマルクス主義と対立した。

(6)『モスクワ報知』……反動派の新聞。1756年創刊。他の反動派の新聞と比べてもとりわけ徹底し、断固とした態度をとる。

(7)『ノーヴォエ・ブレミャー(新時代)』……ペテルブルグの保守系の日刊紙。1876年創刊。編集発行はスヴォーリン。

(8)『ロシアの富』……革命前の最影響力のある月刊誌の一つで、ナロードニキ系。1880年創刊。10月革命後に停刊。

(9)キエラン、アレクサンダー(1849-1906)……ノルウェーの作家。ノルウェーの自然主義リアリズム作家の代表的人物。働くものを主題にした印象主義的な短編が多い。

(10)リール、アロイス(1844-1924)……オーストリアの新カント派哲学者。『現代哲学入門』など。

(11)サルトゥイコフ、ミハイル(1826-1889)……ロシアの作家、地主貴族の子。シチェドリンという筆名で、農奴制を批判する風刺的作品を多く書いた。

(12)ゴーリキー、マクシム(1868-1936)……ロシアの革命作家。『母』『どん底』など。初期の作品のなかで、浮浪者たちの生活を描いた。

(13)スペンサー、ハーバート(1820-1903)……イギリスの哲学者・社会科学者。ダーウィンが『種の起源』で主張した生存競争と進化の概念を社会に適用。『総合哲学体系』(全10巻)など。

(14)ノルダウ、マックス(1849-1923)……ハンガリー生まれのドイツの作家で、シオニズム運動の指導者。

(15)スマイルズ、サミュエル(1812-1904)……スコットランド出身のイギリスの著述家。エジンバラ大学で医学を学び、鉄道会社に勤めながら、『リーダー・タイムズ』を編集。全世界で愛読された『自助論』(『西国立志伝』)の著者。

(16)ベンサム、ジェレミー(1748-1832)……イギリスの哲学者で、功利主義の提唱者。最大多数の最大幸福が社会の究極目標であるとした。

(17)パナマ疑獄……1892年に起こった、フランスのパナマ運河会社をめぐる疑獄事件。

(18)ドレフュス事件……1894年にフランスで起こったスパイでっち上げ事件。ドレフュス大尉(1859-1935)がドイツ陸軍の機密を売った疑いがかけられた。

(19)クリスピ事件……フランチェスコ・クリスピ(1819-1901)はイタリアの政治家で、1887〜91年、首相。ドイツと接近して、帝国主義膨張政策をとり、アフリカに繰り返し侵略。1893〜96年に第二次内閣を組閣し、アフリカ侵略を続行。在任中、イタリアの大銀行との癒着など多くのスキャンダルが取りざたされた。

(20)マーモントフ事件……サッヴァ・マーモントフ(1841-1918)は、ロシアの大工業ブルジョアジーで、マーモントフ事件とは、モスクワ〜ヤロスラヴヴリ〜アルハンゲリスク鉄道会社の管理運営における乱脈事件のことで、1900年に7月23〜31日にその裁判が行なわれ、その主要な被告がマーモントフであった。

(21)ダンヌンツィオ、ガブリエール(1863-1938)……イタリアの詩人、作家で、ニーチェ主義者。第一次世界大戦では熱烈な参戦論を唱えて従軍。戦後は軍事行為を賛美し、ファシズム運動に影響を与える。

(22)アンドレーヴィチ(1867-?)……エフゲニー・アンドレエーヴィッチ・ソロヴィヨフの偽名。ロシアの文芸批評家。

  


  

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