予算と労働者階級

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、第4国会期(1912〜1917年)においてトロツキーが国家の予算について論じた論文であり、その中でトロツキーは、帝政ロシアにおける国会(ドゥーマ)の無力さを詳細に明らかにするとともに、それにもかかわらず予算審議に対し労働者階級が注目しなければならないと訴えている。

Л.Троцкий, Бюджет и рабочий класс, Сочинения, Том.4−Политическая хроника, Мос-Лен., 1926.

Translated by Trotsky Institute of Japan


   1、国家予算とは何か

 どんな国家であっても、専制君主国家であれ、民主共和制であれ、労働者階級の絶え間ない労働のおかげでのみ生き活動している。国家機構は天から降ってくるのでも、役人によって事務室でつくられるのでも、議員によって議会でつくられるのでもない。鉄道、電柱や電線、政府の建物、戦艦、大砲や小銃、将軍の肩章や兵士のゲートル、政令や判決文を書く紙、牢獄や手枷――ひとことで言えば、現代国家の存立を可能にしているすべてのものが生産的人間労働の産物なのである。直接税・間接税という形態でか、国営企業――たとえば国有鉄道――を通じて、すべての国の政府は住民から年収入の一定部分を、すなわち国民労働の一部分を徴収する。そして、この歳入でもって国家の必要とするものをまかなう。

 年々の国家の歳入と歳出は予算と呼ばれており、したがって、その中で、一方では国家権力が人民の財産から吸い上げたものの総額が算出され、他方ではこの総額が国家活動のさまざまな部門――警察、裁判所、陸軍、海軍、学校、鉄道、その他――に分配されている。

 今年度のロシア政府の予算は32億840万6961ルーブルにのぼる。

 たしかに、この総額のうちには、いわゆる「運転コスト」、すなわち国家が資本家としてあらわれる企業――主として、鉄道事業とウオッカとアルコールの国営販売――の生産にかかる費用が含まれている。鉄道企業とウオッカ企業のコストを除外するならば――これは8億200万ルーブルにのぼる――、純粋に国家の必要とするものとして支出される予定なのは1913年は24億600万ルーブルである。ロシアには現在1億6000万人の住民がいる。つまり、陸海軍、警察、裁判所、監獄、学校、等々が存在できるよう、お年寄りから乳飲み子にいたるまで国家の住民一人あたりにつき、今年の間に、あれこれの形態で、国庫に15ルーブル収めなければならないということである。5人家族だと、一家族あたり75ルーブルになる。そして、もちろんのこと、われわれは、国家が誰からどのように徴収するのか、何に、どのように支出しているのか、について無関心でいることはけっしてできない。

 

   2、予算編成権

 32億800万ルーブルをロシア政府は今年のうちに使いきらなければならない。しかし誰がこの額を決定しているのか? 誰が税金を定めているのか? 国家資金の支出項目ごとの配分を決定しているのは誰か? 一言でいえば、誰の意志がわが国の国家予算を決定しているのか?

 この簡単な問題にそれほど簡単に答えることはできない。わが国の国家体制は複雑だからである。

 1905年まで、ロシアの予算は純粋に政府の管轄であり、それに対して人民の側はいかなる統制も及ぼしていなかった。1905年10月17日の宣言は、周知のように、「いかなる法律も国会の承認なしには効力をもつことができない、ということを不動の原理とする」と約束した。これはまず何よりも予算にかかわる。しかしながら、最初の2つの国会は、予算問題にいくまでに解散させられた。1908年になってようやく、大蔵大臣は自分の予算案を、1907年6月3日の選挙法にもとづいて選出された「人民の代表」の審議に毎年かけるようになった。

 では、国家予算の決定における国会の役割とはどのようなものか? その予算編成権とはいかなるものか?

 この点に関して、政府は1906年3月8日に特別の予算規定をつくった。この規定に応じて、国家の歳出は3つのカテゴリーに分けられる。

 (1)国会によって削減することも、審議することすらできない支出。

 (2)一定の支出をもたらす法律が変更されるか廃止された場合のみ、変更されるか廃止される支出(たとえば、国会は、特別憲兵隊を設置するという法律が存在しているかぎり、憲兵隊への支出を拒否することができない)。

 (3)国会で「自由な審議」に付される支出。

※  ※  ※

 まず最初の2つのカテゴリーについて見てみよう。そのために1913年の国家支出を例にとろう。

 (1)第1のカテゴリーにかかわるのは、皇室費(ツァーリの家族、大公夫妻、帝室劇場、等々への支出)であり、これは1630万ルーブルになる。また2つの皇室官房への支出(127万2000ルーブル)もそうである。これらの支出に関しては、国会は削減することも審議することもできない。

 さらに、「陛下の一定のご入り用」に対して、毎年毎年1000万ルーブルの支出が繰り返されている。この1000万ルーブルに対しても、国会は関与する権利を持たない。

 さらに、ロシア国家の債務の利子支払いに支出される額にも関与することができない。わが国の借金は90億ルーブルにものぼる。その半分以上が軍事費に支出される。政府債務の支払いは1913年度は4億200万ルーブルであり、これだけの額を、ロシア人民は年々ヨーロッパの証券取引所の連中に支払っているのである。

 したがって、予算の総額のうち、4億300万ルーブリは国民の代表にとってぴったりと封印されている支出である。この巨大な額のために、すでに見たように、旧秩序が全力をつくして維持されているのである。

 (2)第2のカテゴリーは、「現行の法律、条令、定員規定、日程表にもとづいて」支出されるものである。ここに入るのは、たとえば次のような支出である。宗務院へ3500万、警察へ5800万、裁判所に3000万以上、監獄に500万、陸軍省に1億8500万、海軍省に600万、等々。以上を総計すると予算の中で6億2000万ルーブルを占める。これだけの額を、国民の代表たちは、前述した「法律、条令、定員規定、日程表」が存在するかぎり、一コペイカたりとも削減することができない。これらの法律等々は、時間のかかる立法活動によってしか変更できない。それも、参議院(1)の承認と君主の認可がある場合のみである。

※原注 この額はもちろん監獄への全支出分ではない。「監獄予算」にかかわる全支出は1913年において3700万ルーブルが予定されている。先に挙げた500万ルーブルというのは、「監獄」予算のうち単に国会が手を出せない部分にすぎない。以上のことは、第2カテゴリーに含まれているその他のすべての支出にもあてはまる。この点については後で論じる予定である。

 ところが、今論じているこの6億2000万ルーブルこそが、官僚を養う主要な源泉である。したがって、「定員規定、条令、日程表」のために闘うことは、官僚にとって、自分自身の存立のために闘うことである。それゆえ、現在の国会が官僚の資金源の何らかの部分を奪おうとしたとしても、下院は、高級官僚が決定的な役割を果たしている上院からの頑強な抵抗に会うであろう。

 したがって、実際には第2カテゴリーの6億2000万ルーブルは国民の代表による削減から「鉄壁で守られている」。つまり本質的に、第1カテゴリーの4億3000万ルーブルと同じなのである。

 さて、われわれは今や4億3000万と6億2000万を総計して、10億5000万ルーブルを有している。そこには、「国民の代表、触れるべからず」という刻印が捺されている。10億ルーブル以上が、1906年3月8日の官僚主義的規定によって、国会におけるあらゆる「不慮の事故」から完全に守られているのである。これが、新しい「立憲的」ロシア予算の主要な特徴なのだ!

※  ※  ※

 1913年度は、われわれがすでに知っているように、32億800万ルーブルの国家支出が予定されている。この総額のうちの一定部分――10億5000万ルーブル――は、すでに指摘したように、わが国の予算編成権によって、国会のあらゆる介入から守られている。しかしながら、かなり大きな部分――21億5800万ルーブル――が、「立法機関の中で自由な審議に付される」支出として残されている。

 「自由な審議」――これは、もちろんのこと、非常に結構なことである。しかし、国民の代表は、単に審議するためではなく、決定するためにも選ばれている。では、この20億余りの「守られていない」支出に対する国会の実際の影響力はどれぐらあるか?

 この問題を説明するために、例として「監獄予算」にかかわる支出を取り上げよう。1913年度において監獄への支出は全部で3700万ルーブルである。この総額のうち500万が「守られている」予算に属している。残りの3200万ルーブルに関して、国会は、必要とあらば、「自由に」採決に付すことができる。つまり、われわれは国会にとって非常に好都合な状況を目にしている。とてもありそうにない仮定をしばししてみよう。すなわち、第4国会が3200万の監獄予算を多数でもって拒否するという仮定である。これは、司法大臣が看守を失うということを意味するのか? いやちっとも! 国会の採決によって物事は終わるのでなく、ただ始まるだけである。なぜなら参議院が、国会と同じく予算編成権を行使するからである。そして、いかなる疑いもなく、参議院は看守がこけにされるのを黙って見てはいないだろう。高級官僚たちはもろ手を挙げて3200万に賛成するだろう。国会と参議院の間に衝突が生じる。そこで、国会と参議院の各メンバーよりなる協議委員会が設置される。もし委員会においても国会側のメンバーが納得しなければ(参議院側の官僚たちが譲歩しないのは言うまでもない。お門違いだ!)、昨年度の予算に立ち返ることになっている。1912年度においては、監獄予算は3400万ルーブル弱で、今年より350万ルーブル少ない。この差し引き350万ルーブル(3400万の「自由な」予算のうちのたったこれだけ!)を監獄関係省庁が失うこともあるというだけである。それも、国会が粘った場合にである。残りの2850万ルーブルは、監獄関係省庁に好意的な参議院の投票によって完全に守られている。以上が、「守られていない」、すなわち「自由な」はずの予算部分の実態である。

 もし第4国会が、軍事機構・警察機構・官僚機構の強化に支出される「自由な」予算部分をことごとく否決したならば(だが、こういうことはけっして起こらない)、このおよそありえない場合でも、官僚は、参議院の支持が保障されているので、せいぜい200〜300万ルーブル、すなわち予算全体の10%にもとうてい満たない額を「失う」危険があるだけである。

 今やわれわれは、歳出の分野における国会の予算編成「権」の完全な実像を前にしている。

 (1)4億3000万ルーブルの支出は、まったく削減できないだけでなく、そもそも国会の側からのいかなる干渉も完全に封じられている。

 (2)6億2000万ルーブルの支出は、たとえ国会にこの支出項目を変更する不毛な試みを行なう権利が与えられるとしても、実際のところ、一文たりとも削減することはできない。

 (3)21億5800万ルーブルの支出は、「自由な」領域とされているが、実際には、国会に削減できるのは、だいたい10分の1程度である。しかしながら、つけ加えておかなければならないが、官僚には常に、この「損失」でさえ、さまざまな「非常」手段によって埋め合わせる可能性が残されているのである。

 言いかえればこうだ。官僚が作成した予算法は、国会が良き希望をもって国家支出の周りをうろうろするようにできているのである。せいぜい国会にできるのは、あれこれの場合に、余りにも無遠慮に突出している余分な部分をカットするぐらいのことである。

 しかし、国家財政に対する実際の管理権は、従来どおり支配官僚の手中に残されているのである。

 

   3、誰が税金を定めているか

 国家財政の支出において官僚はほとんど無制限の支配権を保持している。しかし支出することができるためには、それだけの額を国庫の中に持っていなければならない。国家はその財源を、税金、関税、国営企業の利潤、等々を通じて集める。人民大衆にとって、もちろんのこと、誰からどのように歳入が徴収されるのか、すなわち住民のどの部分が30億もの予算の重荷を主として負っているのか、に無関心でいることはできない。そして、これはこれで、誰が税金を定めているのかに依存している。

 民主主義的な予算編成が行なわれている諸国では、歳出の場合と同じく歳入も、すべてが議会にかかっている。税金、関税、等は毎年採決に付され、議会に責任を負う政府は毎年、税金のさらなる徴収に関し人民の代表の同意を求めなければならない。しかし、第3国会でココヴツォフ氏(2)が言ったように、わが国には「ありがたいことに議会がない」。それゆえ、わが国の状況は正反対である。税金は、いったん定められると、その効力を毎年たえまなく保持しつづける。国会がその投票によって何らかの深刻な影響を歳入に及ぼすことはできない。何らかの歳入項目を廃止したり、または単に変更するだけであっても、国会はまえもって、この歳入項目をもたらしている「法律」「命令」「条令」を廃止ないし変更しなければならない。しかも、これを達成することができるのは、参議院と君主の同意がある場合のみである。しかし、まったく明らかなことだが、国会が創設される以前に自分の判断にしたがってわが国のすべての国家財政システムを定めていた官僚は、自分たちの利益ないし自分たちに近い特権集団の利益に少しでもさしさわりのあるあらゆる財政改革を拒否するだろう。

 事態は非常に堅固につくられている。国家の歳入は、国家の歳出と同じ程度に、国会の干渉から守られている。いっさいが予見可能である。官僚は右手で資金を集める――誰からどのようにして集めれば好都合か、わきまえている。そして、集めた資金を左手で支出する――どのように支出すべきかはわかっている。いわゆる「国民の代表」に与えられている権利は、官僚の予算編成作業を観察し、それを批判し…、そして自己の「立憲的無力さ」を認識することである。もし国会が予算をまるまる拒否することを決意したとしても、政府は一瞬たりとも資金を失うことはないだろう。なぜなら、その場合には、昨年度の予算が今年度も効力を持つことになるからである。

 

   4、予算と国会

 「わが国には、ありがたいことに、議会がない!」とココヴツォフ氏が言った。そして実際そうだ。すでに見たように、わが国の予算はほとんど国会に依存していない。

 「わが国には、ありがたいことに、憲法がある!」と彼に答えてミリュコーフ氏は言った。そして実際にそうだ。すでに見たように、官僚は――立憲諸国とまったく同じく――その予算案を国会の審議にかけなければならない。

 われわれが読者に対し最初に、わが国の国家体制がはなはだ複雑であると警告したのもわけあってのことである。

 1905年まで、わが国ではいっさいが比較にならないほど単純であった。この年まで、わが国には基本的に、ポーランドの予算票決制に激怒したイワン雷帝の時代の財政システムが保持されていた。

――彼の地のセイム(3)で、王への歳入が

拒否された! まったくお笑い草だ!

自国の民が自国の君主に

金を出さないとはな!――

それに対し道化師は答える

――だがわが国ではそうじゃありませんぞ!

必要なものがあれば、盗め! 盗めばわれらのもの!

 ※原注 トルストイ『イワン雷帝の死』

 日露戦争と1905年の事件はこのシステムに激しい打撃を与えた。1904〜1905年の恐るべき崩壊の中で、「必要なものがあれば、盗め、盗めばわれらのもの!」という規則にもとづいた旧システムの完全な破産が暴露された。新しい経済的諸関係はあまりに複雑となり、独自の利害と要求を持った新しい諸階級を成長せしめ、さらに、国家機構そのものの要求を恐ろしく増大させ複雑にした。官僚はまだ、第1国会と第2国会を解散させるに十分なだけの物質的力を有していた。しかし、純お役所的で舞台裏的な古い方法によって、予算を立てたり国家生活を指導したりするほどの力はもはやなかった。それゆえ、立法機関のシステムに国会という新しい環を入れるのをやむをえないものとみなした。国会において、さまざまな階級、集団、徒党の代表が批判を開陳し、要求を提出する。旧政府は「全権」を従来どおり手中に保持する。しかし、それれはすでにさまざまな諸階級の代表の言い分を聞いてやらなければならず、彼らの言うことに耳をかしたり応じたりしさえしなければならない――ただし、問題が有産階級にかかわるかぎりでの話だが。

 立憲体制は、官僚によって、何よりも新しい資本主義的諸関係に最もよく適応するために利用される形態である。しかし、すべての問題における、とりわけ予算における最後の決定的な言葉を、官僚は従来どおり自分のために確保しておこうとする。言いかえれば、立憲形態に否定的である官僚は、それと和解することを余儀なくされるが、形式としての立憲体制と「和解」するのであり、その中に古い内容を詰め込む。官僚は、国会を自己の古い支配権を保持するために利用するのである。

 しかし、官僚だけがこの世に存在しているわけではない。彼らと同列の政党や彼らに敵対する政党が国会に登場する。それらの政党のいずれも、自己の立脚する階級の利益のために国会を利用する。この闘争は予算問題をめぐってとりわけ緊迫し断固たるものとなる。なぜなら、諸階級の利益は、予算のうちに最も明白かつ直接的に、すなわち現金として反映されるからである。

 国会の予算審議において、さまざまな諸階級の相互関係および6月3日体制に対する関係が最も鮮明に現われる。

 それゆえ、われわれは予算審議に注目しなければならないのだ!

『ルーチ』第69、71、72、73、78、82号

1913年3月23、26、27、28日、4月3、9日

『トロツキー著作集』第4巻『政治的年代録』所収

『トロツキー研究』第18号より

 

  訳注

(1)参議院(Государственный совет)……「国務会議」「国家評議会」とも訳される。もともと1810年に設立された機関で、1906年までは国の最高立法諮問機関(法制審議会)であり、国会(Государственная дума――衆議院に相当)の成立した1906年から1917年までは「参議院」としての機能を果たした(ただし「議員」は選挙では選ばれないので、戦前の日本の「貴族院」のようなもの)。

(2)ココヴツォフ、ウラジーミル(1853-1943)……地主出身の保守政治家。1904年に蔵相。1911年から14年まで首相。

(3)セイム……封建時代におけるポーランドの身分制議会のこと。1921年以降は下院として機能。


  

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