ペトログラード・ソヴィエト

における第一声
トロツキー/訳 湯川順夫

【解説】2月革命の報を聞いたトロツキーはただちに汽船でアメリカに向かったが、その途中でイギリス軍に不当逮捕され、1ヶ月間も強制収容所に監禁される羽目になった。そこからようやく解放されたトロツキーは、5月にペトログラードに到着する。この演説は、その到着直後にペトログラード・ソヴィエトで行なった最初の演説である。この中でトロツキーは、社会主義者の入閣を批判し、すべての権力をソヴィエトに集中させることを要求している。

Л.Троцкий, Речь на заседании Петроград Совета, Сочинения, Том.3, 1917, Час.1, Мос-Лен., 1924.

Translated by Trotsky Institute of Japan


 ロシア革命のニュースがはるか大洋を隔てたニューヨークにいるわれわれに届いたが、ブルジョアジーがあまねく支配しているこの大国にさえ、ロシア革命の影響は及んでいる。アメリカの労働者階級はロシア革命について悪評をたてられた。彼らはこの革命を支持していないというのである。しかし、もし諸君が2月にアメリカの労働者を見たとすれば、自分たちの革命をひときわ誇りに思ったことだろう。それがロシアだけでなく、ヨーロッパだけでもなく、アメリカをも揺るがしたことを理解したことだろう。そして私と同様に、諸君にとってもまた、それが新しい時代、血と鉄の時代、ただしすでに民族と民族との闘争におけるそれではなく、支配階級に対する苦悩する被抑圧階級の闘争におけるそれを切り開いたことが明白になっただろう(嵐のような拍手)。あらゆる集会で、アメリカの労働者たちは諸君たちにその熱い感激を伝えるよう私に頼んだ(拍手)。

 だが、ドイツ人についても諸君たちに話さなければならないことがある。私はドイツ・プロレタリアートのあるグループと親しく接触する機会があった。どこで、と諸君は尋ねるだろう。戦時捕虜収容所においてである。イギリスのブルジョア政府はわれわれを敵として逮捕し、カナダの戦時捕虜収容所に収容したのだ(「恥知らず!」という叫び声)。そこには100人のドイツ人士官と800人ほどの水兵がいた。彼らは私に、ロシア市民たるわれわれがどうしてイギリスの捕虜になったのか、と尋ねた。そして、ロシア市民としてではなく社会主義者として捕虜になったのだと彼らに語って聞かせると、彼らは、自分たちは自国の政府、ヴィルヘルムの奴隷であると語り始めた。こうしてわれわれはドイツ・プロレタリアートときわめて親密になったのだった。

 捕虜のドイツ士官たちにはこのことが気に入らず、イギリス軍司令官のところに行って、われわれが皇帝に対する水兵の忠誠を掘りくずしていると言い立てた。その後、イギリスのこの大尉は、皇帝に対するドイツ兵士の忠誠を守ろうとして、水兵への私の講話を禁じた。このために水兵たちは司令官に激しい怒りの抗議を展開した。われわれが出発する時、彼らは音楽を演奏してわれわれを見送ってくれ、その際「ヴィルヘルムを打倒せよ! ブルジョアジーを打倒せよ! プロレタリアートの国際的団結万歳!」と叫んだ(大きな拍手)。ドイツ水兵の頭の中で起こったことは、今やすべての国で起こりつつある。ロシア革命、それは世界革命の序曲なのだ。

 だが、私は現在起こっている事態の多くに同意しているわけでないということを隠すことはできない。私は入閣を危険だとみなすものである。この内閣が上から奇跡を実現できるとは思われない。かつてわが国には、2つの階級の矛盾から生じた二重権力が存在した。連立内閣はわれわれを二重権力から解放するものではなく、それを単に内閣へと移すだけであろう。しかし、連立内閣のために革命は破滅したりはしないだろう。

 われわれは3つの戒めを肝に銘じておくべきである。1、ブルジョアジーを信頼するな。2、われわれ自身の指導者を統制せよ。3、われわれ自身の革命的な力を信頼せよ。

 われわれはいったい何を提案するのか? 諸君の次の一歩は、全権力を労働者・兵士代表ソヴィエトに移すことであると私は思う。単一の権力のみがロシアを救うだろう。世界革命への序曲であるロシア革命万歳!(拍手)

1917年5月5日(新暦18日)

『イズベスチャ』60号、1917年5月7日付

ロシア語版『トロツキー著作集』第3巻『1917年』第1部所収

『トロツキー研究』第5号より


  

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