フランスにおける労働者政府

トロツキー/訳 湯川順夫 

【解説】本稿は、1922年11〜12月に開催されるコミンテルン第4回世界大会に向けて、統一戦線と労働者政府というスローガンの正しい理解をフランス共産党の中に広めるために書かれた短い論文である。この論文の中でトロツキーは、統一戦線戦術と労働者政府という過渡的スローガンの意義をわかりやすく説明している。

Trotsky, Le Gouvernement ouvriere en France, Le Mouvement communiste en France (1919-1939), Les Editions de Minuit, 1967. 

Translated by Trotsky Institute of Japan


  労働者政府は代数的定式、すなわち、固定した数値が対応しない定式である。そこからその利点と同時に欠点も生じる。

 利点は、プロレタリアートの独裁の思想にまでまだ到達しておらず、指導者たる党の必要性を理解していない労働者をも包含するという点にある。

 欠点は、その代数的性格の結果として、フランスにとっては最も非現実的で、イデオロギー的には、想像しうるかぎり最も危険な純然たる議会主義的意味をそれに付与しかねないことにある。

 レオン・ブルム(1)ならこう言うこともありうるだろう。「われわれは労働者政府を受け入れる。労働者階級が議会で多数を構成しているときには、われわれは労働者政府を形成する用意がある」。

 このように解釈すれば、労働者政府がフランスでけっして樹立されないことは明らかである。というのは、レオン・ブルムやジュオー(2)やその一派の政策は、実際にはこの労働者の議会的多数派を「期待しながら」、ブルジョアジーとのブロックを形成することにあるのであって、このブロックが労働者階級を解体し士気阻喪させることによって労働者の多数派を形成する可能性を排除してしまうからである。

 だから、フランスにおける労働者政府のスローガンは、議会的な数合わせのスローガンではない。それは、ブルジョアジーとの議会的連合から完全に自己を解放し、ブルジョアジーに自分自身を対置し、あらゆるブルジョア的な政府連合に自分たちの政府という思想を対置するところの、プロレタリアートの大衆運動のスローガンなのである。したがって、この代数的定式は、本質において深く革命的なのである。

 だが、この定式が革命的であって議会主義的でないがゆえに、それが分裂派(3)およびそれに従う労働者によって拒否されるのではないかと言う人もいるだろう。それはありうる。だが、われわれが煽動のためにこのスローガンを巧みに用いることができるならば、一度はこのスローガンを拒否した分裂派の労働者も2度目にはそれを拒否することができないだろう。

 われわれはこれらの労働者に言うだろう。「諸君は民主主義と議会の多数派を支持している。われわれは諸君が議会において労働者の多数派を形成することを妨げない。逆に、われわれはあらゆる手段を通じて諸君がそうするのを助けるだろう。だが、そのためには、労働者階級全体を準備しなければならない。労働者の関心を引かなければならない。労働者を統一し強化することのできるスローガンを労働者に提起しなければならない。これこそが、あらゆるブルジョア的連合とあらゆるブルジョア的連立政権に反対する労働者政府のスローガンである。したがって、議会において労働者の多数派を作り出すためには、労働者階級の中でそして農民大衆の間で労働者政府のスローガンのもとに強力な運動を巻き起こさなければならない」。このように、分裂派や改良主義的労働者に対してアジテーションの観点から問題を提起しなければならない。このような問題提起の方法が政治的にも教育的にも正当である。

 だが、フランスにおいて労働者政府は共産党独裁以外の形態で実現可能だろうか? そして、もし可能だとすれば、どのような形態の政府が実現可能なのであろうか?

 一定の政治的局面では、それは完全に実現可能であり、それは革命の発展に不可避的の1つの段階さえをも形成する。

 実際、激烈な政治的危機のときに、国内の強力な労働運動が分裂派と共産党員、およびそれらの中間的集団やそれらを支持する集団を選挙で多数派にし、労働者大衆の状態が、分裂派がわれわれに反対してブルジョアジーとブロックを形成することを許さないと想定するならば、こうした諸条件のもとで、プロレタリアートの革命的独裁に向けた必然的な過渡的形態である労働者連合政府を形成することは可能だろう。

 労働者政府のスローガンのもとで広がるこのような運動が議会の多数派を獲得する時間がないということもありうるだろうし、蓋然的でさえあるだろう。新しい選挙を行なう時間がなかったり、ブルジョア政府がムッソリーニの方法に訴えることによってその危険を取り除こうとすることもありうるからである。ファシスト的攻撃に対する抵抗の場では、労働者階級の改良主義的部分が共産主義的部分によって超議会的手段による労働者政府の形成の道に引き入れられることがありうるだろう。この仮定のもとでは、革命情勢は最初の仮定よりもさらにはっきりとしたものになるだろう。

 この後者の場合に、われわれは分裂派との連合政府を受け入れるだろうか? われわれはそれを受け入れるだろう。分裂派が、ブルジョアジーと手を切ることを余儀なくされるであろう労働者階級のかなりの部分になお影響力を持っていることは明白である。政府内におけるわれわれの同盟者が裏切りを行なわない保証がわれわれの側にあるだろうか? いやまったくない。政府内で分裂派とともに最初の革命的活動を行ないながら、われわれは敵を監視するのと同じくらいの警戒心をもって分裂派を監視しなければならない。われわれはたえずわれわれの政治的立場とわれわれの組織を強化し、われわれの同盟者を批判する自由を保持しなければならない。そして、ますます多くの人々を右派から引き離すことによって分裂派を解体するような新しい提案をたえず提起しなければならない。

 分裂派のプロレタリア的部分に関して言えば、前記の諸条件のもとで、それらの分子は共産党の隊列に少しずつ融合していくだろう。

 以上が、革命の発展過程において労働者政府という思想が実際に実現される可能性のいくつかのパターンである。だが、現時点では、この定式がわれわれにとって政治的に重要であるのは、まさにその代数的性格によってである。現時点で、この定式は、当面する諸要求のためのあらゆる闘争を一般化する。それは、共産党員労働者だけでなく、まだ共産主義を支持していない広範な大衆にも闘争を広げるものであり、労働者大衆を相互に結びつけ、共同の任務の統一性を通じて労働者大衆を共産党員に結びつける。この定式は統一戦線政策を補完する。政府や警察の抵抗に直面してストライキが挫折するたびに、われわれは言う、「権力に就いているのがブルジョアジーではなく、労働者の代表であれば、こうはならないだろう」。労働者に敵対的な立法的手段がとられるたびに、われわれは言う、「もしすべての労働者が全ブルジョアジーに反対して結集するならば、労働者が自らの労働者政府を樹立するならば、このようなことには起こらないだろう」。

 この思想は簡潔で、明快で、説得力をもっている。その力は、それが歴史の発展方向に沿っているという事実の中にある。この思想が最大の革命的結果を生み出しうるのはまさにこのためである。

L・トロツキー

1922年11月30日

『共産主義ブレティン』1923年2月15日号

『トロツキー研究』第38号より

  訳注

(1)ブルム、レオン(1872-1950)……フランス社会党の指導者。ジョレスの影響で社会主義者となり、1902年に社会党入党。1920年、共産党との分裂後、社会党の再建と機関紙『ル・ポピュレール』の創刊に努力。1925年、社会党の党首に。1936〜37年、人民戦線政府の首班。社会改良政策をとったが、スペインの内戦に不干渉の姿勢をとる。第2次大戦中、ドイツとの敗北後、ヴィシー政府により逮捕。ドイツに送られる。戦後、第4共和制の臨時政府首相兼外相。

(2)ジュオー、レオン(1879〜1954)……フランスの労働運動指導者、アナルコ・サンディカリスト、労働総同盟の長年にわたる議長。1919年以降、アムステルダム・インターナショナルの指導者の1人。

(3)分裂派……1920年のフランス社会党トゥール大会でコミンテルンへの加盟を決定し、フランス共産党になったとき、それに反対した右派の少数派(ロンゲ派)は脱党し、フランス社会党を再結成した。当時、フランス社会党のことは、こうした経過を踏まえて「分裂派」と呼ばれていた。


  

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