一国社会主義の理論

トロツキー/訳 西島栄

【解説】本稿は、スターリン=ブハーリン派に対する合同反対派の闘争が激しい盛り上がりを見せている中でトロツキーによって未発表の論文として書かれたものである。

 この中でトロツキーは、国際情勢のさまざまなパターンを挙げて、いずれの場合においても「一国社会主義」が不可能なことを説得的に論証している。このトロツキーの主張の正しさは、これが書かれてから60数年後に、ソ連の崩壊という形で劇的に証明された。

 しかし、同時に、ここでトロツキーが断固として否定している、ヨーロッパで資本主義発展の新たな上昇期が訪れる可能性については、誰もが知っているように、戦後の高度成長期として実現した。そしてこの資本主義発展の新しい高揚こそが、ソ連崩壊を最終的にもたらしたのである。トロツキーの予測上の誤りの背景にあったのは、資本主義の適応能力と生命力に対するトロツキーの過小評価のみならず、資本主義の危機を革命に転化させる上でコミンテルンとその指導下の各国共産党の果たすであろう否定的役割がこの時点では十分に明らかになっていなかったことである。

 何よりも、ヨーロッパ革命にとって打撃となったのは、ドイツにおけるファシズムの勝利とスペインにおける革命の敗北である。ドイツは、ヨーロッパ資本主義の心臓であるとともに、ヨーロッパ社会主義の参謀本部であり、ソ連共産党についで最大・最強の共産党が存在していた国であった。またスペインは、ヨーロッパにおいて最も急進的な革命の伝統がある国であり、ロシアと同じく永続革命の古典的国として、民主主義革命から社会主義革命への発展可能性を最も強力に内包していた国であった。ヨーロッパ革命の運命はまさに、このドイツとスペインの運命にかかっていた。この両国で、コミンテルンの根本的に誤った政策と社会民主主義の裏切りによって社会主義勢力が敗北し(ドイツでは闘争なしに、スペインでは数年にわたる激しい闘争の末)、ファシズムの支配権が確立したことは、ヨーロッパ革命の運命に取り返しのつかない打撃を与えた。トロツキーが、1926年の時点で絶対にありえないと思われたこと、すなわち資本主義の長期的存続が現実のものになった。トロツキーが、1921〜22年にコミンテルンへの報告の中で一つの可能性として示唆していた事態、すなわち、ヨーロッパ人民の数百万、数千万の屍の上に資本主義が新たな均衡を確立し、新しい高揚期を迎えるという事態が、トロツキーの予想しない経過を通じて実現したのである。

Л.Троцкий, Теория социализм в отдельной страна, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР, Том.2, 《Терра−Терра》, 1990.

Translated by Trotsky Institute of Japan


  この理論の根拠のなさ、その前提条件としての革命に対する懐疑主義と民族的偏狭さ

 一国における社会主義(1)建設の問題は、ヨーロッパ革命の発展が遅れていることから生じているのだが、それはロシア共産党内部の思想闘争の基本的な判断基準の一つとなった。この問題はスターリンによってきわめてスコラ的に立てられ、世界の経済的状況と政治的状況、およびその発展傾向を分析することによってではなく、純粋に形式的な論拠や過去のさまざまな時期に属する古い引用によって解決されている。一国社会主義という新理論の擁護者たちは、実際には、閉鎖的な経済的・政治的発展という前提に依拠しているのである。確かに彼らは、敵が武器を手にわれわれの社会主義的発展を妨害しうることを認めている。しかし、この物理的な危険性を除くならば、彼らには、孤立したものとしての経済的成功の積み重ねや国営工業の成長や農民の協同組合化等々の展望しか残らない。その際、ヨーロッパや一般に世界経済に生じることはまったく無縁なものとして残されるのである。

 実際には、わが国経済の発展の最も本質的な特徴は、まさにわれわれが国営経済の閉鎖的な存在から完全に抜け出し、ヨーロッパ市場と世界市場とのますます深くなる結合の中に入り込んだということにある。わが国の発展の全問題をソ連邦におけるプロレタリアートと農民の国内的な相互関係に帰着させたり、正しい政治的な駆け引きや協同組合の網の目を作り出すことによって世界経済の依存関係から解放されると考えることは、恐るべき民族的偏狭さに陥ることを意味する。理論的な考慮だけでなく、輸出入の困難さもこのことを証明している。

 もちろん、問題はソ連邦において社会主義を建設する可能性ないしは必要性にあるのではない。この種の問題は、個々の資本主義国においてプロレタリアートが権力を獲得する可能性ないしは必要性の問題と同じである。この問題に対してはすでに『共産党宣言』が解答を与えている。プロレタリアートは自分の国において権力を獲得しようとしなければならず、その後で自らの勝利を他の国にも押し広げるのである。社会主義建設のためのわれわれの仕事は、イギリスにおける炭坑ストライキの組織化やドイツにおける工場細胞の建設と同じく、世界の革命闘争の構成部分なのである。

 ドイツ一国においてプロレタリアートは権力を獲得することができるだろうか? もちろん、できる。しかしながら、この可能性を本当に実現できるかどうかは、国内の力関係だけではなく、世界情勢にも依存している。国内の力関係そのものが、世界情勢の影響を受けて急激に変化するかもしれない。もしソヴィエト連邦が崩壊するならば、もしイギリスやフランスで資本主義が新たな上げ潮を迎える等々ならば、ドイツにおける権力の獲得は長期間にわたって遠のくであろう。わが国における社会主義の建設についても、まったく同じように問題を立てることができるし、立てなければならない。これは独立した過程ではなく、世界の革命闘争の構成部分なのである。

 他の国でプロレタリアートではなくブルジョアジーが権力を握っている状況のもとで、社会主義を建設してしまうのに、すなわち、わが国の工業の高度な発展を達成するだけでなく、工業的基礎のうえに農業を社会化するのに、少なくとも例えば25年は必要である。つまり、一国社会主義という問題設定それ自体が、ヨーロッパにおいてブルジョア体制が確定できない長期にわたって存続するという前提から生じているのである。だが実際のところ、この期間に資本主義経済には何が起こるであろうか? この問題はスターリンによってまったく提起されていない。言いかえれば、ヨーロッパの深刻な経済的・政治的矛盾にもかかわらず、またヨーロッパとアメリカの間にあるそれと比較にならないほど深刻な矛盾にもかかわらず、また東方の強力な覚醒にもかかわらず、ヨーロッパにおける現在の経済的・政治的状況が25年間ないしはそれ以上にわたって凍結されたままであるかのようである。このような仮定の軽率さはまったく明白である。

 純粋に理論的に考えるなら、今後数十年間にわたる資本主義ヨーロッパの運命に関して――というのも、スターリン理論の全体が、資本主義が数十年間存続するという前提にもとづいているからであるが――3つの可能性が考えられる。

 (1)資本主義の基礎上でのヨーロッパの新たな上昇

 (2)ヨーロッパの経済的衰退

 (3)あれこれの変動を伴いつつ現状の維持

 手短かに3つの可能性を検討しよう。

 (1)あらゆる条件や情勢に反して、ヨーロッパが新しい資本主義的上昇の新しい一時期に入るとしばらく仮定しよう。この場合、わが国の農産物輸出は強力に拡大するであろう。これは、もちろん、わが国の経済発展にとって有利な要素である。しかしこの利益は、資本主義的繁栄の新時代の否定面をいささかも無効にすることはできない。現在でもわれわれの産業をヨーロッパの水準にまで引き上げるのが容易でないとすれば――そして、そこまで引き上げることなしにはわが国での社会主義について語ることもできないのだが――、たとえば戦争に先行する20年間にヨーロッパが成し遂げたような上昇を資本主義が新たに成し遂げるという条件のもとでは、この課題は完全に実現不可能であろう。わが国経済に対する安価な商品の形をとったヨーロッパ産業の圧力は、こうした条件のもとでは克服しえない性格を帯びるであろう。軍事的および政治的形勢もまた同じくらい不利なものとなるであろう。ブルジョアジーはその物質的力とともにその自信をも回復するであろう。彼らは社会主義国家と肩を並べていることに我慢できなくなるであろう。その軍事的力は物質的力とともに成長する。こうした状況下でヨーロッパ・プロレタリアートの反抗を期待することは非常に困難であろう。なぜならば、資本主義的繁栄は、戦前のヨーロッパと現在のアメリカが示しているように、国内生活にとって決定的なあらゆる問題において、ブルジョアジーがプロレタリアートの大部分を自らの影響のもとに置くことを可能にするからである。かくして、わが国も、わが国の社会主義建設も、ともに出口のない状況に追い込まれるであろう。

 これはきわめて悲観主義的な展望であると反論することもできる。まったくその通りである。しかし、それ以外の展望はありえないのである。なぜならば、それは根本的に悲観主義的な前提条件にもとづいているからである。客観的な発展過程のなかに、こうした悲観主義的展望の根拠は何か存在するであろうか? いやけっして! 諸事件の歩みは、ヨーロッパ資本主義に関して勝手気ままな楽観主義を抱くいかなる根拠も与えていないし、それゆえ、こうした楽観主義によっては「一国社会主義」という誤った楽観主義理論をけっして根拠づけることはできないのである。

 (2)次に、ヨーロッパ資本主義は苦境を脱することはなく、それが世界経済に占める比重はますます落ち込んでいくという仮定――現実の事態にはるかによく合致した仮定――を取り上げよう。次のような疑問が残る。すなわち、こうした状況の中で、資本主義体制の明白な瓦解にもかかわらず、どうして数十年間にもわたってヨーロッパ・プロレタリアートは権力をとることができないのか、という疑問である。いったいどこからヨーロッパ・プロレタリアートの力に対するこのような「不信」が生じるのか? だが、それでもやはり、その経済体制の瓦解がますます進行するにもかかわらず、ヨーロッパ・ブルジョアジーが権力を自らの手中に保持すると仮定するならば、その間にアメリカ資本主義にいったい何が起きるのかと質問しなければなるまい。明らかに、その力のいっそうの増大が予想される。この場合、ソヴィエト連邦の経済的発展はいかなる状況に陥ることになるであろうか? わが国の輸出はきわめて困難になるであろう。なぜならば、衰退しつつあるヨーロッパはわが国の農産物を購入することはできないからである。輸出とともに工業設備や工業原料の輸入も困難となるであろう。これは、わが国の経済発展のテンポが遅くなるということ、すなわち社会主義の建設にとってまだ何十年もの年月が必要になるということを意味する。アメリカ資本主義との関係でわれわれの発展のテンポがこのように遅延することによって、われわれはいかなる状況に陥ることになるだろうか? この可能性のすべてを占うことはきわめて困難である。しかしながら、この途上における危険がけっして克服しえない性格をとることは明らかである。かかる展望のもとでわれわれはそれでも「一国社会主義」を建設するであろう、などと言うことは、まさに言葉遊びにふけることを意味する。それにしても、この種の展望はどこから生じるのであろうか? ますます進行するヨーロッパ資本主義の崩壊のもとでプロレタリアートが数十年間も権力や経済をわがものとしえないという人為的で根本的に虚偽の前提からである。言いかえれば、「一国における社会主義」に対する盲目的な楽観主義は、ヨーロッパ革命に対する深刻な悲観主義から出てくるのである。

 (3)残るは、資本主義ヨーロッパが衰退もしないが向上もしないという第3の可能性、すなわちブルジョアジーがソヴィエト共和国を崩壊させるのを妨げるに十分なほどプロレタリアートは強力であるが、権力をとるほどには強力ではないという可能性を検討することだけである。この数年間は、ほぼこのような情勢――力の不安定な均衡――にある。しかしながら、このような状態が20〜30年も続くであろうと仮定することはけっしてできない。ヨーロッパの内的矛盾とヨーロッパとアメリカの間の矛盾は非常に深刻なので、不可避的にあれこれの方向に活路を見出さざるをえない。現在の状態――イギリスの失業者とストライキ、フランスの金融恐慌、ドイツの経済的重圧――ではヨーロッパは数十年も存続することはできない。25年以上ヨーロッパ革命が遅延するということは、2つのうちのどちらかでしかありえない。ブルジョア・ヨーロッパが新しい均衡を見出し、新しい上昇が確保され、プロレタリアートが「鎮圧される」場合か、さもなければ資本主義の危機にもかかわらず、ヨーロッパ・プロレタリアートがブルジョアジーと交替することができず、ヨーロッパの経済的衰退が政治的衰退によって補われる場合である。どちらの可能性も、われわれはすでに検討した。両者とも、発展の動因の分析にもとづいているのではなく、ヨーロッパ資本主義の力に対する口に出せない恐怖に、そしてヨーロッパ・プロレタリアートの革命的力に対する不信にもとづいているのである。

 これまでわれわれは、一方ではアメリカ合衆国の役割に、他方では東方の役割にほとんど言及してこなかった。しかし、これらの要因のどちらも、われわれが展開した考えを補強するにすぎないことはまったく明らかである。ヨーロッパの内部矛盾が数十年間の間にプロレタリアートの独裁に導かないと仮定するということは、まさにそれによって、ヨーロッパ・ブルジョアジーが今後数十年間も自らの植民地支配を維持すると前提することを意味する。もしこの「可能性」を受け入れるならば、合衆国の力がもたらす危険性に、資本主義ヨーロッパが復興し発展する危険性がつけ加わることになる。要するに、そのような実際の歴史的状況を思い浮かべることなどとうていできない。そして、この状況は、資本主義による包囲の中でわれわれが孤立した社会主義建設を行ないそれを最後まで達成するのに必要不可欠な経済的・政治的・軍事的諸条件の最小限しかわれわれに保証しないであろう。このような展望は存在しない。なぜなら、それは虚偽の前提にもとづいているからである。

 10月革命は単に国内情勢の産物であるだけでなく、国際情勢の産物でもある。世界の資本主義的発展なしには、ロシアにおける外国資本の役割なしには、そしてこれによって引き起こされる資本主義的諸矛盾の極端な激化なしには、世界的な敵対関係なしには、ヨーロッパの階級闘争の経験なしには、資本主義諸国の労働運動なしには、被抑圧諸民族の闘争なしには、帝国主義戦争なしには、10月革命は不可能であったろう。10月革命の勝利はこれらの世界的な結びつきや依存関係を、したがってわれわれの今後の発展の国際的な制約条件を断ちはしなかった。

 確信をもって次のように言うことができるだろう。ソヴィエト経済の発展の問題から国際情勢を追い払おうとする志向のうちには実際には、資本主義に対する蒙昧で浅はかな恐怖が、すなわち社会主義経済が世界のプロレタリア革命と手をたずさえて資本主義の権力に立ち向かう能力への不信が表現されているのである。ここから、近視眼的な政策、世界的な結びつきと相互依存関係に対するマルクス主義的分析を拒否した政策、今のままのテンポを「十分である」と宣言しようとあらかじめ準備しておく政策、すなわち、本質的に、国境の向こう側で起きることとは無関係に、ソ連邦の内部で生じているし、また生じるであろういっさいのことを社会主義と呼ぶことに帰着する政策が生じているのである。

 世界革命に対する不信と、技術的にも文化的にも遅れている国での自足的な社会主義的発展という図式とを組み合わせることは、疑いもなく、地方的うぬぼれによって補足された民族的偏狭さのあらゆる欠陥に陥ることを意味する。この種の展望を拒否することのうちには、ひとかけらの悲観主義も含まれていない。反対に、このような展望を求めることはただ世界情勢全般に対する懐疑主義を引き起こすことができるだけである。

 ヨーロッパの先進諸国でプロレタリアートが勝利するまで、われわれにとって社会主義建設の可能性はないという結論を前述したことから引き出そうとするあらゆる試みがいかに馬鹿々々しいものであるかについては繰り返す必要はない。われわれの事業は国際革命の一構成部分である。われわれの存在という事実それ自体が世界的な力関係における最も強力な要因である。われわれの経済的成功の一つ一つがヨーロッパ革命の接近を示している。われわれの勝利が保証されたのは、単にわれわれが10月に権力をとったからではなく、資本主義体制が世界的規模でその生命力を使い果したからであり、その矛盾に出口がないからであり、プロレタリア革命が――満ち潮と引き潮を伴いつつも――成長しつつあるからであり、生存のためのわが国の闘争の勝利とわが国の経済的成長が世界革命を前進させているからである。そしてまさにこれらのことによって、全般的な勝利が保証されるのである。

 

   ソ連邦の社会主義的発展とコミンテルン

 一国社会主義の理論は、理論的に根拠がないだけでなく、政治的に危険なものでもあるが、このことをソ連共産党だけでなく、コミンテルン全体も理解し認識しなければならない。この理論は、国内外における資本主義の発展傾向に対するソ連共産党の警戒心と用心とを弱め、鈍らせている。それは消極的で運命論的な楽観主義をはぐくむ。そして、この楽観主義のもとでは、社会主義と国際革命の運命に対する官僚主義的無関心はこの上なく巧みに隠蔽されるのである。

 もしこの理論が公式に認められるならば、この理論は国内の場合と劣らぬ致命的な役割をコミンテルンに対して果たすにちがいない。ソヴィエトの社会主義建設を世界革命の不可分の構成部分として、世界革命の外では考えられない過程として検討するならば、各国共産党の比重、その役割、その独自の責任は増大し、前景に押し出されることになる。それとは反対に、ソヴィエト権力は、ソ連邦における労農同盟にのみ依拠して――ソヴィエト共和国が軍事干渉から守られているという条件がありさえすれば――残りの全世界で起きることには依存せずに社会主義を建設するだろうという観点に立つならば、その時には、各国共産党の役割と意義はたちまち2番手に引き降ろされることになるであろう。この場合には、当面する歴史的時期におけるヨーロッパ各国の共産党の主要な課題は、権力を獲得することではなく、帝国主義による干渉の企てに抵抗することになり、それは同時にソ連邦における社会主義の勝利にとっても十分な課題となるであろう。なぜなら、わが国での社会主義の勝利を保証しさえすれば、それによって全世界への社会主義の拡張を保証することができるのはまったく明らかだからだ、というわけである。こうして、すべての展望が歪められる。真の革命的情勢をすべて徹底的に利用する課題は後景にしりぞけられる。時は自ずから「われわれに味方する」かのような、人を眠り込ませる虚偽の理論が作り出されている。ところが実際には、時を失うことは、すなわち、1923年にやったようなやり方(2)で新たに機会を失い続けることは、最大の危険性を意味するであろう。われわれは息つぎの状況の中で生きているのであって、「一国における」社会主義の勝利が自動的に保証されているような状況に生きているのではないということを忘れてはならない。できるだけ息継ぎを利用する必要がある。できるだけ息継ぎを引き延ばす必要がある。息継ぎの時期においては、社会主義的発展をできるだけ遠くへと前進させる必要がある。しかし、問題になっているのはまさに息継ぎであるということ、すなわち、1917年革命から、次の、資本主義諸大国の一つにおける革命までのある程度の長さにわたる期間であるということ、このことを忘れることは共産主義を放棄することを意味する。

 いわゆる極左は、統一戦線政策を次のように言って非難してきた。すなわち、その政策は、外国の諸党にとって、独立した革命的立場から逸脱することを意味し、それぞれの国で労働者階級内部の広大な「左の」(実際には中間主義的な)翼を作り出すことによって、ただソヴィエト国家に対する援助のみを行なう立場に立つことを意味する、と。統一戦線の問題をレーニン主義的に立てるならば、こうした非難は根本的に間違っている。ところが、一国社会主義の理論と英露委員会の実践は全体として、「左」と「極左」の批判を助長し、まさにそれによってこうした批判を正当化しているのである。「左翼的」偏向は、あれこれの程度「小児病」をいまだ脱していないとはいえ、それが共産党の独立した革命的役割の擁護者として、自国のプロレタリアートの運命だけではなくソ連邦に対する責任をも負っているかぎり、そしてソ連邦における社会主義の事業は「妨害」さえなければそれ自体として保証されているといった官僚主義的楽観主義に反対しているかぎりにおいて、新しい栄養を受け取るだろう。このような状況にあっては、「左翼」の闘争は進歩的要因になっているし、コミンテルンの本格的な再編成を不可避なものにしているのである。

1926年12月12日

『トロツキー・アルヒーフ』第2巻所収

『トロツキー研究』第3号より

  訳注

(1)「一国における社会主義」……この原文は、「социализм в отдельной страна」で、トロツキー研究者のリチャード・レイは、「отдельной」という形容詞(「個々の」「個別の」という意味)があることに着目して、単なる「一国社会主義(socialism in one country)」ではなく、「分離した一国における社会主義(socialism in an isolated country)」の意味であると解釈している。しかしながら、そこまでの含意があるかどうか疑わしいので、ここでは単に「一国における社会主義」あるいは「一国社会主義」と訳している。あえて「отдельной」を訳すとしたら「単一国社会主義」であろう。

(2)1923年にドイツにおける革命情勢をコミンテルンの誤った指導によってとり逃がした事態を指している。


  

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