2つのインターナショナルの崩壊

左翼社会主義・反対派共産主義諸組織会議における

国際左翼反対派(ボリシェヴィキ=レーニン主義者)の宣言
トロツキー/訳 水谷驍・西島栄

【解説】これは、1933年8月27〜28日にパリで開催された左翼社会主義組織・反対派共産主義組織の会議で出された左翼反対派の宣言である。この会議にはさまざまな傾向をもった14の組織が出席したが、左翼反対派が代表するような方向性を支持するのはごく少数の組織だけであった。

 本稿の初訳は『トロツキー著作集 1933-34』上(柘植書房)だが、今回アップするにあたり、『反対派ブレティン』所収のロシア語版にもとづいて点検修正してある。かなり大幅な違いが見られたので、英語版と大きく異なる部分は訳注をつけておいた。

Л.Троцкий, Крушение обоих Интернационалов, Бюллетень Оппозиции, No.36/37, Октябрь 1933.

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 経済および社会システムとしての世界資本主義の明白な解体状況にもかかわらず、世界の労働者運動は現在、パリ・コミューンの瓦解後および帝国主義戦争期にまさる深刻な危機の真っ只中にある。ヨーロッパで最も発達した工業国における労働者階級の2つの党、すなわち社会民主党と共産党は、その背後に1300万人もの有権者を従えながらも、一戦も交えることなくファシスト・ギャング団に屈服してしまった。2つのインターナショナルは試験にかけられ、そして破産を証明したのである。

 社会民主主義を破滅に追いやったのは改良主義である(1)。腐朽しつつある資本主義の土壌に最後までしがみついた社会民主党は、自ら腐朽の過程に入り込んでしまった。社会民主党は、あらゆる屈従と裏切りを実行し、そのカードルをとことん士気阻喪させ、プロレタリアートの歴史的課題を放棄し、その日常的利益をも裏切り続けた。被抑圧階級の陣営において、社会民主党は労働者階級の解放を妨げる主要な妨害者となった(2)。共産主義インターナショナルは一国社会主義の理論と実践の犠牲となった(3)。世界的な諸矛盾によって引き裂かれた資本主義が国際革命を日程に上らせたまさにその時に、コミンテルンはソ連邦の保守的で民族的に限界づけられた官僚機構に唱和する従順で無力な合唱隊となってしまった。

 現在、ヒトラーのドイツでは、何千人もの共産主義者たちが、新しい状況のもと、古い政策を堅持しながら公式の党を救出しようとしている。われわれは、自己犠牲的な戦士たちに対する革命的同情にもかかわらず、彼らに告げなければならない。誤った方向を向いた努力と犠牲は不毛である、と。ファシストのテロ支配という状況のもとでは、スターリンの政策は短期間で完全な破滅に終わることが運命づけられている。ドイツでは、新しい基礎の上に非合法の革命党を建設しなければならない。

 ブルジョア支配のための両極端の道具であるファシズムと社会民主主義が、政治的のみならず物理的にも相互に排除しあうものであることが、事態の生きた過程によって明らかになった以上、この経験から出てくる簡単な結論をすべての国際アジテーションの基礎に据え、社会民主党を共産党との統一戦線の道へと押しやることが必要であった。問題はまったく明らかであったにもかかわらず、コミンテルン官僚は社会ファシズム論の無謬性を改めて宣言し、改良主義的大衆組織に対する接近の道を自ら完全に閉ざしてしまい、統一戦線のプロレタリア的政策の代わりに、平和主義者と冒険主義者の無力なサークルとのブロックという仮面舞踊会に逃げ込んだ。ドイツの破局の教訓がスターリニスト官僚を救うことができなかったとすれば、何をもってしてもこれを救うことは不可能である。必要なのは、新しい各国党と新しいインターナショナルを建設することである。

 

   ボリシェヴィキ=レーニン主義者の立場

 この会議の参加者はそれぞれその政治的起源を異にしている。ある者はこの数年間のうちに第2インターナショナルの諸党から分裂してきたものであり、他の者は第3インターナショナルの隊列の中からやってきた。また、両方の混合的ないし中間的な起源を有する組織も存在する。ある者は独立した党として活動し、ある者は自分たちを分派として考え、そのように行動してきた。今日これらの諸組織が初めて、共同活動の基礎を見出そうとしてこの合同会議に集まっているが、まさにこのことによってこれらの諸組織はすべて、プロレタリア前衛を新しい基礎の上に結集することが必要であることを公然と認めているのである。

 われわれの国際組織(ボリシェヴィキ=レーニン主義者)は、真剣で激しい討論ののちに、ドイツに関してはこの立場をほぼ全員一致で採択した。全体としてのコミンテルンに関しては、われわれはこの問題をほんの数週間前に正式に討論の俎上に載せたばかりである。われわれは現在、この宣言を承認したボリシェヴィキ=レーニン主義者の国際総会の命を受けてここで発言している。われわれの各国支部はまだそれぞれの見解を完全には表明するにいたっていない。しかしこの問題は、それに先立つ一連の事態の発展によって、また左翼共産主義反対派それ自身の発展によって十分に準備されてきたものであるがゆえに、われわれは各国組織の最終判断にいささかの疑問も持っていない。いずれにせよ、最終的決定は各国支部の手に委ねられている。

 この会議の出席者の中には、われわれがスターリニスト官僚と手を切るのが不必要に遅れたと考える者も多分いるであろう。ここは昔の論争を蒸し返す場所ではない。しかしながら事実として、主観的な気分ではなく客観的な諸条件にもとづいて立てられたわれわれの政策こそが、20ヵ国以上の国々でボリシェヴィキ=レーニン主義者の安定した諸組織を作ることを可能にした、ということである。これらの組織の大半は大衆組織ではなく、単なるカードル組織であるとはいえ、それは、巨大な諸事件の経験とプロレタリアートの闘争からしだいに発展してきた綱領的・戦略的概念の共通性によって国際的に結合された組織であるという事実のうちに、測りしれない優越性を有している。

 

   改良主義との闘争

 以上に述べてきたことからすでに明らかなことだが、中間主義官僚との決裂は改良主義に対するわれわれの態度をいささかでも和らげるものではない。反対に、改良主義に対するわれわれの態度はかつてなく非和解的なものになる。われわれはスターリニスト官僚の主たる歴史的犯罪を、それがその全政策によって社会民主主義に対して測りしれないほどの援助を行ない、プロレタリアートが革命の道に進むことを妨げてきた点に見出している。

 われわれボリシェヴィキ=レーニン主義者にとって、そしておそらくは諸君すべてにとっても、原則的立場から改良主義ときっぱり手を切っておらず、社会民主主義が党として再生することに今なお望みを抱き、さらには第2インターナショナルと第3インターナショナルとの統一を自らの使命と考えているような諸組織と、共同して恒常的に活動することなど、およそ考えられないことであろう。このような傾向に侵されたグループは労働者を後ろに引っ張ることができるだけである。それに対してわれわれは、過去のすべての教訓にもとづいて、前方に進むことを欲する。

 共産主義インターナショナルに加盟するための「21ヶ条」は、レーニンがかつてあらゆるタイプの改良主義および無政府主義と決定的に一線を画することを目的として作成したものだが、現段階において改めてアクチュアルな性格を帯びている。もちろん問題になっているのは、この文書のあれこれの文言ではない。それは新しい時期の諸条件に応じて根本的に変更されるべきであろう。問題は、革命的マルクス主義の非和解性というその文書の一般的精神にこそある。改良主義との非和解的な決別という条件のもとでのみ、事実上改良主義から共産主義に発展しつつあるこれらすべてのプロレタリア組織との友好的な協力が可能になり、また必要になるのである。われわれはスターリニスト官僚の行動様式を、すなわち、コミンテルンの誤りのせいでコミンテルンの外部にいるあらゆる革命的諸組織を「左翼社会ファシスト」だといって鼻であしらい、それでいて当然の報いたる破局を迎えた翌日には、彼らを「シンパ」政党として感涙にむせながらコミンテルン内部に招き入れる、といった行動様式を断固糾弾し、拒否する。コミンテルンにできるのはプロレタリア諸組織を解体し、破壊することだけであり、これを強化し教育することはできない。われわれが考えている協力は、思想と事実に対する誠実な態度と同志的な相互批判とお互いに対する尊敬を前提としている。

 

   コミンテルンの最初の4つの大会

 革命的政策は革命的理論なしには考えることはできない。この分野ではわれわれは最初から始める必要はいささかもない。われわれはマルクスとレーニンの基盤に立つ。共産主義インターナショナルの最初の諸大会がわれわれに貴重な綱領的遺産を残してくれている。帝国主義の時代、すなわち資本主義の衰退期としての現代の性格。現代改良主義の本質およびそれと闘う方法。民主主義とプロレタリア独裁との相互関係。プロレタリア革命における党の役割。プロレタリアートと小ブルジョアジー、とくに農民との関係(農業問題)。民族問題および植民地人民の解放闘争の問題。労働組合内部での活動。統一戦線政策。議会制度に対する態度、等々。これらの問題すべてが、最初の4つの大会において、これまで比類のないほどはっきりと原則的に解明された。

 革命運動の再生を自らの旗印とする組織の最初の最も差し迫った課題の一つは、最初の4つの大会の膨大な原則的諸決定を選び出し、これらを体系化し、プロレタリアートの今後の革命的課題という観点から真剣な討議に付すことである。今回の会議は、われわれの観点からすると、この必要不可欠な活動への道を示し、その最初の一歩をしるすものでなければならない。

 

   この10年間の戦略的教訓

 プロレタリア前衛の政治生活は共産主義インターナショナルの最初の諸大会で立ち止まっていたわけではない。歴史的状況の圧力を受けて、すなわち階級闘争の歩みの結果として、コミンテルンの機構はマルクス主義から中間主義へ、国際主義から民族的偏狭さへと完全に移行してしまった。第3インターナショナルの建設がマルクスの教義から修正主義の堆積層を除去することなしには不可能であったとすれば、現在、プロレタリアートの革命党の創設は、共産主義の原則と方法から官僚的中間主義の堆積物と偽造物を除去することなしには考えることはできない。

 スターリニスト機構のジグザグに対する左翼反対派の、多数の重大な犠牲を伴った闘争は、一連の綱領的・戦略的性格をもった文書の中にその跡を残している。この10年間の最も重要な政治的諸段階に対応して、以下のような諸問題がこれらの文書の中で解明されている。すなわち、ソ連の経済建設、党体制、植民地革命におけるプロレタリアートの政策(中国、インド)、統一戦線政策(一方では英露委員会、他方ではドイツの経験)、スペイン革命の道筋(「民主主義的独裁」)、戦争に対する闘争、ファシズムとの闘争、等々。この10年間の闘争の基本的な結論は、左翼反対派の国際予備会議に提出された「11項目」の中で簡潔に記述されている。われわれはこの綱領的文書を参考のためにここに提出する。

 言うまでもなく、われわれもまた、この会議に代表者を送っている他の諸組織が課題と展望に関する自らの評価を表明した、あるいは表明しようとしているすべてのテーゼや決議や綱領的宣言を最大限の注意をもって検討するつもりである。われわれとしては経験と思想を相互に交流しあうことができれば十分である。われわれは、オランダ革命的社会主義者党の「原則の宣言」がすべての基本的な問題について国際左翼反対派の政綱と一致していることを、大きな満足とともにここで確認しておきたい。

 もちろん今回の準備会議では、世界の革命闘争の綱領的・戦略的教訓を十分深く討議することはできない。しかしそれを開始すべき時が訪れている。そこでわれわれは次のような希望を表明したい。この会議に代表を送っている各組織は、われわれの「11項目」を必要なコメントを付してそれぞれの新聞に掲載し、その後で討論として、同じ新聞で自らのテーゼを擁護する機会をわれわれに与えてもらる、ということである。われわれの側も、わが各国支部への情報提供と討論のために、他の諸組織が提出するすべての綱領的文書をわれわれの新聞に公表し、その後、これらの文書の擁護する論者に対してわれわれの新聞のしかるべきスペースを提供するつもりである。

 

   ソ連邦

 ソ連邦の問題は世界の労働者運動にとって、したがって今回の会議の正しい方向設定にとって、例外的な重要性を有している。われわれボリシェヴィキ=レーニン主義者はソ連邦を、その現在の形態においてさえ労働者国家であると考えている。このように評価するにあたっては、いかなる幻想もいかなる美化も必要ではない。

 ソヴィエト官僚に対して向けられたあらゆる批判的言辞を反革命行為であると宣言するソ連の「友」に対しては、軽蔑以外のいかなる感情も持つことができない。革命家がこのような行動原則によって導かれていたとすれば、10月革命が起こることはけっしてなかっただろう。

 われわれはまた、スターリニスト官僚の政策はソ連以外のすべての国では誤謬の連続であるが、ソ連では依然として無謬であるとするブランドラー派の立場も、マルクス主義思想を嘲笑するものであるとして拒否する。このような「理論」はプロレタリア政策の一般的諸原則の否認の上に成り立つものであり、インターナショナルを各国党――その指導者は常に相互の罪には目を開じる用意がある――の単なる算術的総計に還元するものである。マルクス主義者はこのような社会民主主義的概念と何ら共通するものを持たない。

 ソ連内部におけるスターリニスト官僚の政策は、コミンテルンの政策と同一の原則的本質を有している。違いは方法にではなく、客観的条件にある。ソ連邦ではスターリニスト官僚はプロレタリア革命によって据えられた強力な土台に依拠している。スターリニスト官僚はこの10年間にコミンテルンの資本を完全に食いつぶしてしまったが、ソ連内部では、社会主義国家の基礎を相当に掘り崩したが、まだ完全には解体してはいない。ソヴィエトのプロレタリアートは、本質的には党を失い、労働組合とソヴィエトを官僚によって奪われながらも、その社会的重みとその革命的伝統の力によって労働者国家をブルジョア反革命から防衛しているのである。

 ソ連の社会体制をアメリカ型やイタリア型やドイツ型の「国家資本主義」と同一視することは、社会体制の基本問題、すなわち所有の性格を無視することであり、誤った危険な結論に対して扉を広く開け放つことを意味する。この問題に関してわれわれにはいかなる曖昧さもいかなる妥協もありえない。帝国主義と反革命に対して労働者国家を防衛することは、以前と同じく、すべての革命的労働者の義務である。しかし、この防衛に貢献することは、ソヴィエト政府の道具となることを意味するものではけっしてない。

 ソヴィエト外交の行動と発言は、とりわけこの間の時期、先進的労働者のまったく正当な激しい怒りを一度ならず掻き立ててきた。ソヴィエトの国家承認とあらゆる不可侵条約にもかかわらず、「一国社会主義」の催眠的幻想の浸み込んだ、骨の髄まで日和見主義的なスターリニストの対外政策ほど、ソ連邦の国際的地位を弱めているものはない。

 世界プロレタリアートの革命的闘争なしにソ連邦を防衛することはできない。ソヴィエト官僚およびソヴィエト外交からの独立なくしては革命的闘争は不可能である。他方、スターリニズムに対する最も非和解的な批判も、共通の敵に対するソヴィエト官僚との統一戦線を排除するものではなく、逆にそれを必要とする。

 

   党体制

 党体制の問題は、新しい党と新しいインターナショナルを建設するさいに最も大きな注意を向けるべき対象である。労働者民主主義は組織上の問題ではなく、社会的な問題である。指導的機構がプロレタリア政策から逸脱する程度が大きくなればなるほど、ますますその機構に対するプロレタリア前衛の統制は小さくなる。究極的には、労働者民主主義の圧殺は、労働者官僚を通した階級敵の圧力の結果である。この歴史法則は、資本主義諸国における改良主義の歴史によっても、ソヴィエト国家の官僚化の経験によっても等しく確認される。

 社会民主主義は複雑な諸手段を系統的に用いて、自らが必要とする体制をつくり出している。一方では、急進的ないし批判的傾向の労働者たちを、高い地位によって買収することができないとみると、党からだけではなく労働組合からも系統的に追放する。他方では、社会民主党の大臣や代議士、ジャーナリスト、労働組合官僚を党規律に服する義務から解放してやる。暴力と欺瞞と買収の複雑にからみあった方法によって、社会民主党は討論や選挙や統制その他の外観を維持しながら、それと同時に、労働者内部における帝国主義ブルジョアジーの装置たり続けている。

 スターリニスト官僚は国家機構を用いることによって、党とソヴィエトと労働組合の民主主義を、その実質においてだけでなくその形態においても解体してしまった。個人独裁の体制がソ連共産党から資本主義諸国のすべての共産党に全面的に移植された。党官僚に与えられた課題は、最高位のポストにいる者の意志を解釈することだけである。党員大衆はたった一つの権利だけを持つ。黙って従うことである。弾圧と迫害と買収が党内「秩序」を維持するための通常の手段となる。以上がプロレタリア党の腐朽と破滅の道すじである。

 革命家が育つのは、現存するいっさいのもの、自らが属する組織を含むあらゆるものに対する批判の雰囲気の中でのみである。揺るぎない規律が形成されるのは、指導部に対する自覚的な信頼が存在する場合のみである。この信頼は、正しい政策によってだけではなく、自らの犯した誤りに対する誠実な態度によって獲得される。したがって、内部体制の問題はわれわれにとって例外的な重要性を帯びる。党建設とその全政策の策定に自覚的かつ自主的に参加する可能性を先進的労働者に保証しなければならない。青年労働者に、思考し、批判し、誤りを犯し、自らを訂正する可能性を与えられなければならない。

 他方、次のことも明らかである。すなわち、党内民主主義の体制が、鍛え抜かれ心を一つにしたプロレタリア戦士の軍隊をつくり出すことに成功することができるのは、マルクス主義の揺るぎない原則に立脚するわれわれの組織が、あらゆる日和見主義的・中間主義的・冒険主義的影響に対して、民主主義的方法にのっとって、断固として反撃する場合のみである。

 われわれが望むのはとりわけ、この会議が、できるならば、いかなる原則的譲歩も行なうことなく、中傷もなく、舞台裏の陰謀もなしに、誠実な思想闘争を遂行することである。まさに今こそ労働者運動の雰囲気を浄化し正常化するべきときだ!

※  ※  ※

 新しいインターナショナルに向かう路線は発展の全過程によって決定されている。しかしこのことは、われわれが今ただちに新しいインターナショナルを宣言することを提案するという意味ではない。ここに代表を送っている諸組織がすでに今日、革命闘争の基本的な原則と方法について真に、すなわち経験によって検証された形で同じ意見に達しているならば、われわれは何の躊躇もなしにそのような提案をしたであろう。しかしそのような状況にはない。われわれが原則的な合意に、したがって新しいインターナショナルに到達することができるのは、共同の革命的活動と真剣な相互批判を通じてのみである。

 現実に展開している諸事件に実践的に関与することなしに新しいインターナショナルを準備することはできない。綱領的論争を革命的闘争に対置することは、もちろん正しくない。必要なのは両者を結びつけることである。われわれは、今回の会議がファシズムと戦争に反対する闘争と結びついた喫緊の諸問題を議事日程に入れたことを歓迎し、この2つの領域のいずれにおいても他の諸組織と手を携えて、真の前進をなし遂げる用意がある。

 同志諸君! 現在、新しいインターナショナルの創設までにどれだけの時間がかかるか誰も予言することはできない(4)。それは、諸事件の客観的な発展過程にかかっているだけでなく、われわれ自身の努力にもかかっている。われわれが現在すでに、見た目以上にはるかに強力になっているということも十分にありうる。歴史は次のことを示しているが、それも理由のないことではない。すなわち、権威は有していても方向を見失ってしまった組織が、何ら罰を受けることなく長期間にわたって誤ちを積み重ねていくことができるように見えても、事態の発展によって最終的には不可避的に破局に導かれること。反対に、信頼できるコンパスを持ってはいるが、長期間にわたって取るに足りない少数派にとどまってきた組織が、歴史的転機の到来とともに突如として飛躍することができること、である。われわれの側に正しい政策があるならば、このような可能性がわれわれの前に開かれているのである。力を合わせて、この機会を逃がさないように努力しようではないか。われわれの負っている革命的責任はこの上もなく巨大である。われわれの創造的活動をこの責任にふさわしい高みにまで引き上げようではないか!

国際左翼反対派(ボリシェヴィキ=レーニン主義者)

『反対派ブレティン』第36/37号

『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)より

  訳注

(1)「社会民主主義を破滅に追いやったのは改良主義である」は英語版では次のようになっている。「1914〜18年の帝国主義戦争においてその破産が明らかとなった社会民主主義は、世界的破局の後で態勢を立て直そうとし、こうして労働者たちが共産主義と第3インターナショナルに赴こうとするのを妨害した。ドイツ社会民主主義の敗北は、第2インターナショナルを破局に導いた改良主義が、労働者階級をただ新しい破局に導くことができるだけであり、実際にそうなったことを確証するものである」。

(2)「社会民主党は、あらゆる屈従と裏切りを実行し、そのカードルをとことん士気阻喪させ、プロレタリアートの歴史的課題を放棄し、その日常的利益をも裏切り続けた。被抑圧階級の陣営において、社会民主党は労働者階級の解放を妨げる主要な妨害者となった」は英語版にはなく、代わりに次の一節が入っている。「しかしながら、社会主義の勝利のためにすべての国のブルジョアジーに対する革命的決起に向けてプロレタリアートの力を組織することを自らの任務とした第3インターナショナルもまた、自らの任務の遂行に失敗してしまった」。

(3)「共産主義インターナショナルは一国社会主義の理論と実践の犠牲となった」は英語版では次のようになっている。「共産主義インターナショナルは一国社会主義の理論と実践に依拠した官僚的中間主義の犠牲となった。一言でいえば、それはスターリニズムの名前で歴史に登場した誤謬の体系によって難破させられてしまった」。

(4)「現在、新しいインターナショナルの創設までにどれだけの時間がかかるか誰も予言することはできない」は英語版では次のようになっている。「指導部がなければ、それも国際的な指導部がなければ、プロレタリアート全体が自らを現在の抑圧から解放することは不可能である」。


  

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