1910年代中期

(1914〜1916)

 

   第5期 第1次世界大戦(1914〜16)

  

    ◇世界大戦の勃発とインターナショナルの崩壊――最初の反応

 「スイスでの日記から」(1914年8〜9月)

 『戦争とインターナショナル』(1914年11月)(English

 

    ◇スイスからフランスへ

 「政治的モラトリアム」(1914年11月20日)

 「戦争におけるプロレタリアート」(1914年11月27日)

 「2つの軍隊」(1914年12月4日)

 「ボスニアの志願兵」(1914年12月14日)

 「フランス艦隊での3ヶ月」(1914年12月26日)

 「惨めな文書――プレハーノフの戦争論」(1914年12月30日)

   【資料】アルフレッド・ロスメル「第1次大戦中のトロツキー」 

   【資料】『戦争と革命』第1巻への序文(1922年)

 

    ◇戦争の分析と左派の戦略――最初の構想

 「『日本』問題」(1915年1月6日)(Russian)

 「『ゴーロス』の100号によせて」(1915年1月8日)

 「『消耗戦』」(1915年1月15日)

 「われわれの政治的スローガン」(1915年1月15日)

 「ポンティウスからピラトへ」(1915年1月16日)

 「すべての道はローマに通ず」(1915年1月20日)

 「ラーリンに関する声明」(1915年2月13日)

 「パルヴス――生ける友への弔文」(1915年2月14日)

 「われわれの政治的スローガン」(1915年2月23、24日)

 「ベルギーに関する覚書から」(1915年3月)

 「批判的時代の無批判的評価」(1915年3月1日)

 「それはどこから生じたか」(1915年3月22日)

 「ペトログラードの王党派とフランスの共和派」(1915年3月25日)

 「世界にはまだ社会民主主義者は健在である」(1915年3月31日)

 「最後まで!」(1915年4月11日)

 「敗北主義と歪曲主義」(1915年4月16日)

 「メーデー(1890〜1915)」(1915年5月1日)

 

    ◇帝国主義、民族問題、社会愛国主義

 「帝国主義と民族理念」(1915年5月6日)

 「われわれの立場」(1915年5月15日〜6月6日)

 「アクセリロートと社会愛国主義」(1915年5月16日)

 「民族と経済」(1915年7月3、9日)

 「ジャン・ジョレス」(1915年7月17日)

 「プレハーノフへの公開状」(1915年7月18日)

 

    ◇ドイツの社会愛国主義と左派

 「『彼らは違うタイプの人間だ』」(1915年6月13日)

 「カウツキーのプレハーノフ論」(1915年6月17日)

 「ドイツの野党とドイツの外交」(1915年6月23日)

 「ドイツ社会民主主義の『左派』と『中間派』」(1915年7月11日)

 「限度なし」(1915年7月17日)

 「ハーゼ、エーベルト、ダーフィット」(1915年8月27日)

 

    ◇レーニンとの最初の論争

 「『コムニスト』編集部への公開状」(1915年6月4日)

 「われわれの立場(続)」(1915年7月23、24日)

 「軍事的危機と政治的展望」(1915年8月26日〜9月4日)

 

    ◇戦争の1年

 「バルカン半島にて」(1915年7月18日)

 「『後方』における政治」(1915年7月22日)

 「戦争の1年」(1915年8月4日)

 「混沌」(1915年8月15日)

 

    ◇帝国主義戦争の政治学と心理学

 「帝国主義の綱領」(1915年9月)

 「『フランスの』平和綱領」(1915年9月)

 「戦場の心理学」(1915年9月)

 「戦場からの追放」(1915年9月)

 「戦争の心理学的謎」(1915年9月11日)

 

    ◇ツィンメルワルト会議

 「ツィンメルワルト宣言」(1915年9月15日)(English

   【資料】ツィンメルワルト会議の議事録および各種文書

 「ラコフスキーのロシア社会愛国主義論」(1915年9月30日)

 「ツィンメルワルトにて」(1915年10月)

 「『ユマニテ』編集部への手紙」(1915年10月5日)

 「わが党のグループ分け(覚書のノートから)」(1915年10月6日)

 「ドイツ社会民主党の反対派(覚書のノートから)」(1915年10月7日)

 「インターナショナルのロシア人分派」(1915年10月9日)

 「ブルガリア社会民主主義と戦争」(1915年10月12日)

 「基本テーゼ(覚書のノートから)」(1915年10月13日)

 「根本問題――権力のための闘争」(1915年10月17日)(English

 「ツィンメルワルト会議は終わった」(1915年10月19日)

 「グリムとモルガリ」(1915年10月22日)

 「モルガリ、イタリアについて論ず」(1915年10月22日)

 「ラコフスキーとコラロフ」(1915年10月23日)

 「レーデブールとホフマン」(1915年10月25日)

 「アクセリロートへの回答」(1915年10月27日)

 「カウツキー、ベルンシュタイン、ハーゼ」(1915年10月28日)

 「危機の実質」(1915年10月30日)

 「ツィンメルワルト会議によせて」(1915年10月31日〜11月19日)

 

    ◇ツィンメルワルト後の国際主義者の再編

 「綱領もなく、展望もなく、秩序もない」(1915年11月5日)

 「社会愛国主義者との共同行動について」(1915年11月10日)

 「ドイツ社会民主党のグループ分け」(1915年11月17日)

 「客観主義の重圧のもとで」(1915年11月24、25日)

 「社会愛国主義者との協力」(1915年12月12日)

 「一つの時代が終わった――ヴァイヤンの死によせて」(1915年12月22日)

 「主観主義でもなく、運命論でもなく」(1915年12月25日)

 「20人の声明」(1915年12月28日)

 

    ◇ペトログラード軍需工業委員会の選挙

 「すべての結論を引き出すべき」(1915年11月11日)

 「事実と結論」(1915年12月19日)

 「政治的スト破り――軍需工業委員会の新しい『選挙』」(1915年12月29日)

 

    ◇戦争と技術

 「塹壕」(1915年9月20日)

 「要塞か塹壕か」(1915年10月1日)

 「戦争と技術」(1915年12月1日)

 

    ◇新しい年を迎えて

 「新年によせて」(1916年1月1日)

 「彼らの文献」(1916年1月1日)

 

    ◇ロシアにおける社会愛国主義との闘争

 「ロシア帝国主義」(1916年)

 「愛国主義思想のバベルの塔」(1916年1月)

 「社会主義と社会民族主義」(1916年1月6日)

 「事件はそれ自身のコースを取る」(1916年1月13日)

 「『自衛』論集」(1916年1月16日)

 「ロシアにおける社会愛国主義」(1916年2月10日〜3月15日)

 「『自衛』」(1916年3月9日)

 「ポトレソフ」(1916年3月22日)

 「愛国主義者たち」(1916年4月14日)

 

    ◇平和綱領と第3インターナショナルの展望

 「平和綱領」(1916年1月29日〜4月13日)

 「2つの原則」(1916年4月23日)

 「カウツキーとインターナショナル」(1916年4月26日)

 「第3インターナショナルのための闘争」(1916年5月10日)

 「第2回ツィンメルワルト会議」(1916年5月11日)

 

     ◇マルトフとの論争と国会議員団

 「ツィンメルワルトについて」(1916年1月13日)

 「わが党の国会議員団」(1916年3月31日、4月1日)

 「悪い状況の論理」(1916年4月9日)

 「マルトフの『声明』について」(1916年4月19日)

 「わが党の国会議員団」(1916年4月20日、21日)

 

     ◇戦争の新しい展開とメーデー

 「『消耗戦』から『運動戦』へ」(1916年3月5日)

 「あるセルビア人のノートから」(1916年5月)

 「メーデー(1916年)」(1916年5月1日)

 「ある幻想――メーデーの反響」(1916年5月1日)

 「戦争のノート――『戦争の中の戦争』」(1916年6月4日)

 

     ◇戦争の2年目

 「情勢の鍵」(1916年6月15日)

 「幻滅と不安」(1916年6月21日)

 「ダブリン事件の教訓」(1916年7月4日)(English

 「段階」(1916年7月6日)

 「国会の最近の会期の教訓」(1916年7月12日)

 「民族原理について」(1916年7月13日)

 「根本的な違い」(1916年7月22日)

 「ゲルツェンシュテインの思い出」(1916年7月27日)

 「グスタフ・エクシュテイン」(1916年8月3日)

 「2年目」(1916年8月4日)

 「ロシア社会民主党のグループ分け」(1916年8月)

 

    ◇ドイツとフランスの社会主義

 「メーリングとローザ・ルクセンブルクへの挨拶」(1916年3月3日)

 「オーストリアにて」(1916年5月21日)

 「カール・リープクネヒト」(1916年7月1日)

 「ドイツの反対派の内部で」(1916年8月2日)

 「ヴァンデルヴェルデ、『ナーシェ・スローヴォ』、『フォアヴェルツ』」(1916年8月22日)

 「戦略と社会主義政策」(1916年8月22日)

 「フランス社会主義の危機」(1916年9月)

 「フランスとドイツの社会愛国主義」(1916年9月14日)

 

    ◇ミリュコーフとチヘイゼ

 「ミリュコーフ氏の印象と一般化」(1916年8月23日)

 「『権力のための闘争』」(1916年8月27日)

 「チヘイゼ議員の旅行」(1916年9月3日)

 「チヘイゼ議員の旅行によせて」(1916年11月3日)

 

    ◇フランスでの最後の日々

 「強者への賭け」(1916年9月5日)

 「新しい検閲体制」(1916年9月14日)

 「帝国主義と社会主義」(1916年10月6日)

 

    ◇フランスからスペインへ

 「ジュール・ゲードへの公開状」(1916年10月11日)

 「フリッツ・アドラー」(1916年10月25日)

 「スペインから友人たちへのあいさつ」(1916年11月5日)

 「スペインからの手紙」(1916年11月〜12月)

 『スペインでの出来事』(1916年11〜12月)

   【資料】『戦争と革命』第2巻への序文(1922年)

  


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