第1章 数字の言葉

 国家計画委員会(ゴスプラン)は、1925〜26年におけるソ連邦の国民経済に関する「目標」数値の一覧表を発表した。そこに書かれた数字のすべては非常に無味乾燥で、いわば官僚的な響きがする。しかし、この縦に並んだ無味乾燥な統計数値のうちに、そしてそれに付けられたほとんど同じくらい無味乾燥で控えめな説明のうちに、成長しつつある社会主義の壮大な歴史的音楽が聞ける。ここにあるのは、すでに憶測でもなければ、仮定でもなく、希望でも理論的論拠でもない。そこにあるのは、ニューヨークの証券取引所にとってすら説得力のある、重みをもった数字の言葉である。この数字のうち最も主要なもの、最も基本的なものを取り上げたい。それにはそうするだけの価値がある。

 まず何よりも、一覧表が発表されたという事実それ自体が、わが国経済の真の記念日である。発表の日(8月20日)はソヴィエトのカレンダーに記録されるべきであろう。農業と工業、内外の商品流通、貨幣量、物価、信用取引、国家予算、これらの発展や相互の連関がこの表の中に反映している。この中にわれわれは、1913年および1924〜25年のすべての基本データと、1925〜26年の見通し数値との簡単明瞭で便利な比較を見ることができる。また説明文の中では、その他の年のソヴィエト経済の数値も必要に応じて示されている。これのおかげで、われわれは、わが国における建設の発展の一般的な状況や次の経済年度におけるその将来計画を知ることができる。このような表を作成することができたという事実それ自体が第一級の成果である。

 社会主義とは計算である。ネップ期における計算はただ、戦時共産主義期にわれわれが適用しようとした計算や発達した社会主義の時代に完成された表現を見出だすであろうような計算と、その形式が違っているにすぎない。だが社会主義とは計算であり、ネップの新段階にある現在ではおそらく、完成された社会主義の時代よりもはるかにそう言える。というのは、完成された社会主義の時代には、計算は純経済的内容をもつであろうからである。

 だが現在では、計算はきわめて複雑な政治的諸問題と結びついている。そこで、目標数値のこの一覧表の中で、社会主義国家ははじめてその経済の全側面を、それらの相互作用と発展の中で考慮に入れているのである。これは巨大な成果である。これができたということ自体が、経済の物質的成果と、それを考慮し一般化し方向づけている経済思想の成功とを物語る申し分のない証拠である。この表を一種の中等普通教育修了証とみなすこともおそらくできよう。ただしその際、中等教育修了証というのは、教育の「終えた」時に渡されるのではなく、中等教育から高等教育へと進学する時に渡されるのだということだけは忘れてはならない。ゴスプランの一覧表がわれわれに提起しているものこそ、高等段階の課題なのである。われわれはそれを分析にかけたいと思う。

 表を検討する際に生じる最初の問題はこうである。それはどれ程度正確か? ここには、留保や限定だけでなく、懐疑主義の余地さえ大いにある。誰もが知っているように、わが国の統計や報告書はしばしば出来が悪い。それは、それらの統計や報告書がわが国の経済的および文化的活動の他の側面よりも劣っているからではなく、それらがわが国の後進性のすべての側面、ないしは、少なくともその多くの側面を反映しているからである。しかし、このことは、たぶん1年半から2年後にはあれこれの数値の間違いを暴露して後知恵を振り回すことができるだろうなどと期待している何らかの皮相な不信を正当化するものではけっしてない。少なくない間違いが存在するというのは大いにありうる。しかし、後知恵というものは最もつまらない知恵である。現時点においては、ゴスプランの数値が現実に最大限近いものを与えているのだ

 なにゆえか? 3つの理由がある。

 まず第1に、その数値は、手に入れられる最も完全な資料にもとづいているからである。しかも、局外の資料にもとづいているのではなく、ゴスプランの各部局で日々検討されている資料にもとづいている。第2に、この資料は、最も権威のある熟練した経済学者、統計学者、技術者によって検討されたものだからである。最後に第3に、この仕事は、所轄官庁の利害関係から自由で所轄官庁をいつでも問い正すことのできる機関によって行なわれたものだからである。このことにさらに、ゴスプランにとっては商業上の秘密や一般に経済上の秘密は存在しないということも付け加えておく必要があろう。それはどんな生産過程もどんな商業上の原価計算も(直接にか労農監督部を通じて)調べることができる。すべての貸借対照表は、所轄官庁のすべての予算と同様――その最良の面だけでなく暗黒面も――ゴスプランに公開されている。もちろん、個々の数字に関してはまだ議論の余地があるだろうし、若干のデータのあれこれの側面は所轄官庁によって反論されてもいる。所轄官庁の修正は――採用されるにしても拒否されるにしても――当面するあれこれの実務上の事業にとって、すなわち輸出入の課題にとって、あれこれの経済的必要などに対する予算割り当ての措置にとって、重要な意義を持ちうる。だがこうした修正は基本データを揺るがすものではない。ゴスプランが公表した表の中にある数値以上に優れ、考え抜かれ、入念に検討を加えられたものは、現時点においてはありえないのである。そして、不正確とはいえ、これまでのすべての現実から引き出された「目標」数値は、いずれにせよ手探りの仕事よりもはるかにましである。なぜなら前者の場合、われわれは経験にもとづいて修正を加え、学ぶことができるが、後者の場合は、当てずっぽうに生活することになるからである。

※原注 「経済実施機関の報告データは不完全なだけではない。それらは傾向的である」。このようにゴスプランの説明文は批評している。われわれはこの手厳しい評価を記憶に止めておかなければならない。ゴスプランと新聞の協力にもとづいて、客観的な、すなわち正しい報告をするよう経済実施機関に教える必要がある。

 表は1926年10月1日まで及んでいる。これは、1925〜26年における経済の報告データが手に入る20ヵ月後には、明日の現実と、数字に表された今日のわれわれの予想とを比較することができるということを意味する。くい違いの程度がどれほどになろうとも、この比較自体が計画経済の欠かすことのできない学校なのである。

 だが予測がどれぐらい正確かに関して言えば、この場合にどんな種類の予測が問題となっているのかを明確に理解する必要がある。たとえばアメリカのハーバード大学の統計学者たちは、アメリカ経済の各部門における発展の方向性ないしはテンポを確定しようとする場合、ある程度まで天文学者として行動する。すなわち、自分たちの意志から完全に独立した過程の動態をとらえようとする。ただ違いは、統計学者は天文学者ほどの正確な方法をいささかも有していないということだけである。

 それに対し、わが国の統計学者は原理的に異なった立場に立っている。彼らは経済を指導している機関の一員として行動する。将来計画は、単に受動的な予測の産物であるだけではなく、能動的な経済的裁量のテコでもある。それぞれの数値は、ここでは単なる青写真ではなく、指令でもある。目標数値の表は、経済の管制高地を握っている――しかも、何という規模で!――国家機関によって作成されたものである。わが国の輸出額が今年度の4億6200万ルーブルから1925〜26年には12億ルーブルにまで、すなわち160%引き上げられると表が語る時、これは単なる予測ではなく課題でもある。現に存在するものを基礎にして、何をなすべきかがここで指示されているのである。工業への資本投資、すなわち固定資本の更新と拡大に対する支出が9億ルーブルになると表が語る時、これはまたしても数字上の受動的計算ではなくて、統計的に根拠づけられた、第一級の価値を持つ実践的課題である。最初から最後までこの表はすべてこのような性質を有している。それは、理論的な予測と実践的な裁量との、すなわち客観的諸条件および諸傾向の計算と、経済運営を行なっている労働者国家の主体的な課題設定との弁証法的結合である。この点において、ゴスプランの一覧表は、どんな資本主義国家のどんな統計的計算・算定・予測からも原理的に区別されるのである。後で見るように、ここに資本主義の方法に対するわれわれの、すなわち社会主義の方法の巨大な利点があるのだ。

 しかし、ゴスプランの将来の目標数値は、社会主義経済の方法一般を数値的に評価したものではなく、ある一定の条件における、すなわち、いわゆる新経済政策(ネップ)のある一定の段階における社会主義経済の方法の適用を数値的に評価したものである。経済の自然発生的な過程は主として客観的な統計学的アプローチを可能にしている。国家によって指導されている経済過程もまた一定の段階では市場に現われ、この市場の方法を通じてそれは、主として農民経済の細分状態によって生じている自然発生的な、いわばコントロールできない経済過程と結びつけられている。現時点における計画作成の大部分は、まさにコントロールされ方向づけられた経済過程を、今のところまだ市場の自然放任性に委ねられている過程に結合することにある。言いかえれば、わが国経済において、さまざまな発展水準にある社会主義的傾向は、これまたさまざまな成熟・未成熟段階にある資本主義的傾向と結びつき、からみ合っているのである。目標数値は一方の過程と他方の過程との連関を示し、まさにそれによって発展の合力を明るみに出している。この点に将来計画の基本的な社会主義的意義があるのだ。

 わが国で展開されている経済過程が深刻な矛盾を内包しており、社会主義と資本主義という相互に排斥しあう2つのシステムの闘争をもたらすことを、われわれは常に知っていたし、誰にも隠しだてしたことはない。それどころか、まさにネップに移行する際に、歴史的問題はレーニンによって2つの代名詞で定式化されたのである。すなわち、「誰が誰を?」と。メンシェヴィキの理論家、なかでもオットー・バウアーは寛容にも、ネップを、ボリシェヴィキによる時期尚早で強制的な社会主義経済の方法が、試されずみの信頼できる資本主義の方法に分別のある降伏をしたものとして歓迎した。ある者にとっての懸念と別の者にとっての希望はきわめて本格的な検証に付され、その結果は、われわれの社会的・経済的見積もりの目標数値のうちに示されている。とりわけ、その意義はまさに、わが国経済の資本主義的要素と社会主義的要素について、計画一般と自然発生性一般について今やすでに紋切り調に論じることはできないという点にある。たとえ大雑把で中間的なものであれ、われわれはすでに計算をし、わが国経済における――今日および明日の――社会主義と資本主義の相互関係を数量的に確定した。これのおかげで、「誰が誰を」という歴史的問題に回答するための貴重な事実資料をわれわれは手に入れたのである。 

 

 以上述べたことはすべて、今のところはただゴスプランの一覧表の方法論的意義を特徴づけたものにすぎない。すなわち、わが国経済の基本的過程の全体をその連関と発展において評価する可能性をついにわれわれが手に入れたという事実、それによってまた、経済の領域のみならず、はるかに自覚的で先見の明のある計画的な政治にとっての支柱をも獲得しつつあるという事実が持つわれわれにとっての巨大な意義を示したものである。しかし、われわれにとってずっと重要なのは、もちろんのこと、一覧表の直接的な実質的内容、すなわち、わが国の社会的発展を特徴づける実際の数値データの方である。

 社会主義へか資本主義へか、という問題に対する正しい回答を得るためには、何よりも問題自体を正しく定式化しなければならない。この問題は、当然のことながら、3つの下位問題に分けられる。わが国の生産力は発展しているか? この発展はいかなる社会的形態をとっているか? この発展はいかなるテンポで進んでいるか?

 第1の問題は最も単純であり、最も基本的である。生産力の発展なしには資本主義も社会主義も考えられない。歴史の鉄の必要性から生まれた戦時共産主義は、生産力の発展を停止させたことによって、たちまち使い果たされてしまった。ネップの最も初歩的で、それと同時に最も無条件的な意味は、あらゆる社会的な運動一般の基礎としての生産力を発展させることである。ブルジョアジーやメンシェヴィキは、生産力の解放に向かう途上の不可欠の(だが、もちろんのこと、「不十分な」)一歩としてネップを歓迎した。カウツキー主義的変種やオットー・バウアー的変種を含むメンシェヴィキ理論家たちは、まさにネップをロシアにおける資本主義復活の始まりとして賛成したのである。彼らはこう付け加えた。ネップがボリシェヴィキ独裁を挫折させるか(喜ばしい結末)、ボリシェヴィキ独裁がネップを挫折させるか(不幸な結末)だ、と。道標転換主義の最初のものは、ネップが資本主義的形態で生産力を発展させるだろうという確信から生まれたものである。そこでゴスプランの一覧表は、生産力の発展一般についての問題に対する回答の基本要素だけでなく、この発展がいかなる社会的形態で道を切り開いているのかという問題に対する回答の基本要素をもわれわれに提供しているのである。

 わが国における経済発展の社会的形態は二重のものである。なぜならそれは、資本主義的な方法・形態・目的と社会主義的な方法・形態・目的の協力と闘争に立脚しているからである。言うまでもなく、われわれはこのことをはっきりと認識している。わが国の発展をこうした条件のうちに置いたのは新経済政策である。それだけではない。新経済政策の基本的な内容はまさにこのことにあるのだ。しかし、わが国の発展の矛盾に関するこうした一般的な認識は、すでにわれわれにとって不十分である。わが国の経済的矛盾を示すできるだけ正確な指標、すなわち発展一般の動態係数だけでなく、あれこれの諸傾向が占める比重の比較係数をもわれわれは求めている。この二番目の問題に対する答えのいかんに、われわれの国内外政策のあまりに多くが――より正確に言えば、そのいっさいが――かかっているのである。

 最も端的に問題にアプローチするために、次のように言おう。資本主義的傾向と社会主義的傾向との力関係の問題や、両者の比重の相互関係が、生産力の成長とともにどのような方向に変化しつつあるのかといった問題に答えることなしには、われわれの農業政策の勝算、そのありうる危険性に対する明瞭で完全に信頼に足る観念を得ることはできない。

 実際のところ、生産力が発展するにつれて資本主義的傾向が社会主義的傾向を犠牲にして成長しつつあるとすれば、この間農村において進んでいる商品資本主義的諸関係の枠の拡大は、完全に発展の矛先を資本主義の方向に向けることで、破滅的な意味を持ちうるであろう。だが反対に、国の経済全般に占める国営経済の比重が、すなわち社会主義経済の比重が増大しつつあるとすれば、農村における商品資本主義的過程を多少なりとも「解放」しても、それはすでに一定の力関係の軌道のうちに入っているであろうし、どのように、いつ、どの程度、といった純粋に実務的な見地から解決されるであろう。言いかえれば、社会主義国家の手中にあってすべての管制高地を国家に保障している生産力が急速に成長するだけでなく、都市と農村における私的資本主義的生産力よりも急速に成長する場合には、そしてこのことが最も困難な復興期の経験によって確認されるならば、農民経済の内部から発生する商品資本主義的傾向がある程度拡大しても、われわれは、何らかの予期せざる経済的事態によって脅かされはしないであろうし、また何らかの急速な量質転換、すなわち資本主義への急転換によって脅かされはしないであろう。

 最後に、3番目の問題は、世界経済の見地から見たわが国の発展テンポの問題である。一見したところ、この問題は、どんなに重く見てもまったく副次的な意味しか持っていないように見える。すなわち、「できるだけ早く」社会主義に到達することが望ましいのはもちろんだが、いったんネップのもとで事態の発展が社会主義的傾向の勝利を保証しさえするならば、テンポの問題は2次的な意義しか持たないように見える。しかしながら、これは正しくない。もしわが国が閉鎖的で自足的な経済であったとしたら、こうした結論は正しかったろう(その場合でも完全に正しいわけではないが)。しかし、わが国の経済はそういったものではない。まさにわが国の成功のおかげで、われわれは世界市場に進出した。すなわち世界的な分業のシステムの中に入り込んだ。しかも、われわれは資本主義に包囲されたままである。こうした状況の中では、わが国経済の発展テンポが世界資本の経済的圧力と世界帝国主義の軍事的・政治的圧力に対するわれわれの抵抗力を決定するのである。当分の間、われわれはこの要因を無視することはできない。

 こうした3つの「目標」問題を念頭に置きつつゴスプランの一覧表と説明文にアプローチするならば、一覧表が最初の2つの問題――生産力の発展の問題とその発展の社会的形態の問題――に対して与えている回答は、明々白々であるだけでなく極めて好ましいものであることがわかるであろう。ところが、3番目のテンポの問題に関しては、わが国経済の発展の歩みによって、われわれは単に国際的な規模でこの問題を提起しうる水準に近づいたにすぎない。しかしここでも――後述するように――最初の2つの問題に対する好ましい回答は、3番目の問題を解決するための前提条件をもつくり出すであろう。この最後の問題は、次の時期におけるわが国経済の発展にとっての最高基準となるであろう。

 

 わが国の生産力の急速な復興は社会的な事実となった。一覧表の数値は何よりもよくこのことを証明している。1924年の凶作を含む1924〜25年の農業生産高は、戦前の価格に換算すると、豊作であった1913年の生産高の71%であった。今年[1925年]の豊作を含む次の1925〜26年の経済年度においては、最近の資料によると、1913年の農業生産高を上回り、1911年水準をわずかに下回る程度であると予想されている。そして、この数年間における穀物の総収穫高が一度も30億プードにまで達したことがないにもかかわらず、今年の収穫はおよそ41億プードに達すると見積もられている

※原注 これは今日(1925年8月28日)時点での評価である。言うまでもなく、まだ多少の修正の余地はある。

 昨年度のわが国工業は、生産額として見れば、同じく好況であった1913年の71%に達した。来年度にはわが工業は、少なくとも1913年の95%に達するだろう。すなわち、事実上、復興過程が完了するだろう。1920年の生産高がわが国工場の生産能力の5分の1から6分の1にまで下落していたことを思い起すならば、復興過程のテンポがいかに素晴らしいものであるかがわかる。大工業の生産高は1921年以来3倍以上に成長した。わが国の輸出は今年はまだ5億ルーブルに達していないが、来年には10億をかなり上回ると予想されている。輸入の分野でも同種の発展が達成されつつある。25億ルーブルの国家予算は、35億ルーブルをはるかに上回ることが予定されている。以上が基本的な目標数値である。たしかに、わが国の製品の品質はまだはなはだ不十分なものであるが、それでもやはりネップの1年目や2年目と比べれば著しく向上した。したがって、生産力の発展の問題に対してわれわれはきわめて明々白々な回答を得るのである。すなわち、市場の「解放」は生産力に強力な刺激を与えた、ということである。

 しかし、市場という資本主義的秩序の要素から刺激が来たという事情がまさに、ブルジョア理論家・政治家の意地悪い喜びの主要な種となってきたし、今でもなっている。工業の国有化と経済の計画的方法は、ネップに移行したという事実そのものによって、そしてネップのはっきりとした経済的成功によって、ひどく名誉が傷つけられたように見えた。まさにそれゆえ、われわれが提起した第2の問題――経済の社会的形態についての問題――に対する回答のみが、わが国の発展の社会主義的評価を可能にするのである。

 生産力の成長は、例えば、アメリカ資本によって種を植えられたカナダにおいて見られる。インドでも、植民地的隷属の万力にもかかわらず生産力は成長している。最後に、ドーズ体制下のドイツにおいても、1924年以来、復興過程の形で生産力は成長してきている。これらのいずれにおいても、問題となっているのは資本主義的発展である。まさにドイツにおいては、国有化と社会化の計画は、1919〜1920年にはあれほど盛んにもてはやされた――少なくとも講壇社会主義者やカウツキー主義者の浩瀚な本の中では――にもかかわらず、今では役立たずのがらくたとして投げ捨てられ、アメリカの厳格な後見のもとで純資本主義的イニシアチブの原則が第二の青春を――歯が抜け落ちているにもかかわらず――謳歌している。それではこの点に関してわが国ではどうなっているだろうか? わが国ではどのような社会的形態で生産力は発展しているであろうか? わが国は資本主義へ進んでいるのか、それとも社会主義へ進んでいるのか? 

 社会主義経済の前提条件は生産手段の国有化である。この前提条件はネップの試験に合格したか? 生産物の分配の市場的形態は国有化を弱めたのか、それとも強めたのか? 

 ゴスプランの「一覧表」は、わが国経済における社会主義的傾向と資本主義的傾向との協力と闘争を判断するかけがえのない材料を与えている。この表にはまったく議論の余地のない「目標」数値があり、それはわが国の固定資本、生産物、商業資本、そしておよそすべての最重要の経済過程に及んでいる。

 最も不確定なのは、おそらく固定資本の分配を示す数値であろう。しかし、この不確定性が与える影響は、絶対値に対してよりも数値間の相互関係に対しての方がはるかに少ない。そして、現在われわれが主として関心を抱いているのは、この後者の方なのである。ゴスプランの計算によれば、今年の経済年度の開始にあたって国家が保有していた資本金は、「最も控えめに見積もって」、117億金ルーブル以上、協同組合が5億ルーブル、私営部門(主に農業部門)が75億ルーブルであった。このことは、生産手段の分野において全生産手段の62%以上が社会化されていることを意味している。しかも、その分野の技術は最も進んでいる。社会化されずに残っているのは約38%である。

 農業に関して言えば、ここでは今のところ、土地の国有化よりもむしろ地主の土地所有の一掃の方が検証されている。そしてその結果は極めて深刻で教訓的である。地主や総じて農民以上の者[貴族など]の土地所有を一掃したことによって、文化的な農業経営を含む大規模な農業経営がほとんど完全に一掃された。これは、農業が一時的に衰退した原因の一つ実際には、2次的なそれ――であった。しかし、われわれがすでに知っているように、今年の収穫高は、地主の土地所有や資本主義的な「文化的」経営なしに、戦前の水準を上回ったのである。しかも、われわれは、地主から解放された農業の最初の発展段階にいるにすぎないのだ! したがって、貴族の廃止・その家屋敷の没収や「野蛮な」土地割替 ――敬虔なメンシェヴィキはこう言って肝をつぶした――ですら、すでに経済的に見て完全に正当化された。これは、最初の、そしておそらくは非常に重要な結果である。

 土地の国有化について言えば、農業経営の細分状態が原因で、この原則はまだ必要な検証を受けていない。土地の社会化という概念は、最初のうちは不可避的にナロードニキ的なけばけばしい金メッキで覆われていたが、そのメッキは同じく不可避的にはがれていった。しかし同時に、国有化は、労働者階級の支配下における原則的に社会主義的な措置として、農業のさらなる発展に最重要の役割を果たしうるほどの意義を持つことが十二分に示されたのである。土地の国有化のおかげで、国家は耕地整理の分野における無限の可能性が保証された。わが国では、私的ないしは個人的、グループ的な所有のいかなる障壁も、土地利用の形態を生産過程の必要性に適応させることを妨げないであろう。現在、農業の生産手段はほんの4%しか社会化されておらず、残りの96%は農民の私的所有のもとにある。しかしながら、念頭に置いておく必要があるのは、農業の生産手段は、農民のものも国家のものも、ソヴィエト連邦における全生産手段の3分の1を少し上回る程度にすぎないということである。説明するまでもないことだが、土地の国有化の完全な意義が発揮されるのはただ、農業技術の高度な発展と、そこから生じる農業の集団化の結果としてのみであり、したがって多年にわたる展望の中でのことである。しかし、まさにそれに向かってわれわれは進みつつあるのだ。

 

 経済の社会主義的改造を行なう際には、まさに工業と機械化された輸送の分野から始め、その後で農村にそれを拡大するべきであるが、このことは、言うまでもなく、われわれマルクス主義者にとって革命以前から明白なことであった。それゆえ、国有工業の活動を数字にもとづいて検証することは、現在の過渡期経済を社会主義的に評価するうえでの根本問題なのである。

 生産手段生産部門においては89%が社会化されている。鉄道輸送を加えれば97%にのぼる。大工業では99%である。この数字は、国有化によってもたらされた財産上の成果が、ネップ以降のこの数年間に国家にとって不利となるようないかなる変化もこうむらなかったことを意味している。すでにこうした事情だけでも巨大な意義を有している。

 しかし、われわれが主として関心を抱いているのは別のことである。すなわち、社会化された生産手段は年々の生産高のうちの何%を占めているのか、つまり、国家はそれが習得した資源をどの程度生産的に利用しているのか、ということである。この点に関して、ゴスプランの一覧表はわれわれに次のように語っている。国営工業と協同組合工業は1923〜24年に総生産高の76・3%を占めていた。今年は79・3%であり、来年には、ゴスプランの予測によれば、79・7%占めることになっている。私的工業に関して言えば、1923〜24年には総生産の23・7%程度、1924〜25年には20・7%程度を占め、最後に来年には20・3%を占めることになっている。来年度における慎重な予定数値とは別に、国の総商品量に占める国営工業と私営工業の生産高の動態比較は巨大な意義を有している。見られるように、去年と今年において、すなわち激しい経済的上昇の2年間において、国営工業のシェアは3%増大し、私営工業のシェアは同じパーセントだけ減少した。このパーセント分だけ、この短期間に資本主義に対する社会主義の優位性が増大したということである。パーセントは微々たるものであるとみなすこともできるが、実際には、その徴候的な意義は、今から示すように巨大なものである。

 新経済政策に移行した最初の数年間における危険性はどういう点にあったか? それは、国が完全に荒廃してしまったために、国家にはごく短期間のうちに自分の力で大企業を復興させることができない、という点にあった。大企業がきわめて不十分にしか操業していないもとで(10%から20%しか操業していなかった)、中小企業どころか家内工業でさえ、機動性の面での巨大な優位性を手に入れることができた。ネップの最初の時期におけるいわゆる「投げ売り」は、私企業から没収した工場を稼働させるために社会主義が資本主義に支払った出費であったが、そのおかげで、国家の財産の大部分が商人やブローカーや投機分子の手に渡る恐れがあった。手工業企業と小工場はネップの雰囲気の中で真っ先によみがえった。私的商業資本と私的小工業(家内工業を含む)とが結びつくことによって、資本主義的な本源的蓄積の過程が、踏みならされた道の上できわめて急速に進行する可能性があったのである。

 こうした状況の中で、テンポを失うことは、経済指導の手綱が不可抗力的に労働者国家の手から奪い取られる結果になるやもしれなかった。こう言うことによって、むろんわれわれは、「商取引全体に占める私営工業の比重の一時的な増大だけでなく長期的な増大ですら、それはすべて必ずや破局的な結果を――少なくとも重大な結果を――もたらす恐れがある」などと言いたいのではない。ここでも質は量に依存している。私的資本主義的生産の占める比重がこの2、3年間に1〜2〜3%ずつしか増大していないことが総計数字によって示されるならば、それはけっして恐るべき状況をもたらしはしないだろう。その場合には、国家の生産はやはり全体の4分の3を占めているであろうし、大企業がますます力を発揮しつつある今では、失ったテンポを取り戻すこともまったく解決可能な課題であろう。だが、私的資本主義的生産の役割が5〜10%ずつ増大するならば、われわれはこの事実をより深刻に考えなければならなかったろう。だが、復興期の最初の時期におけるこのような結果さえ、国有化が経済的に不利なものであることを示すものではけっしてない。これは単に、国有工業の最も重要な部分が必要な発展力学をまだ発揮していないという結論になるだけである。それだけに、ネップの最初の純復興期、国家にとって最も困難で危険な時期に、国有工業が資本主義工業に何らの地歩も譲らなかっただけでなく、反対に3%も資本主義工業の地歩を奪うことができたという事実は、ますます大きな意義を帯びるのである。このように、3%というこの小さな数字が持つ徴候的な意義は巨大なものなのだ。

 生産に関するデータだけでなく商品取引に関するデータをも取り上げるならば、以上の結論はいっそう明瞭なものとなる。1923年の前半、私的資本は仲買い取引の約50%を占め、後半には約34%、1924〜25年には約26%占めていた。言いかえれば、私的資本が仲買い取引に占める比重はこの2年間に2分の1に(半分から4分の1に)減少したということである。これは、商業に対する単なる圧迫によって達成されたものではけっしてない。なぜなら、同じ時期に、国家と協同組合の商品取引は2倍以上に増大したからである。したがって、私的工業だけでなく私的商業の社会的役割も減少していることが明らかとなった。そして、どちらの減少も、全体として生産力と商品取引が増大しているもとで生じているのである。

 前述したように、一覧表は、来年度における私的工業と私的商業の比重の低下――確かにわずかなものだが――を予想している。われわれは、この予測が現実においてどのように検証されるかを安心して見守ることができる。私的工業に対する国営工業の勝利が1本の絶えざる上昇線を描く必要は必ずしもない。国家の力が経済的に保証されている場合には、国家が発展テンポを速めようとして、意識的に私企業の比重の一時的な増大を認めるような時期もありうる。すなわち、農業における「堅固な」形態、すなわち資本主義的農場経営の形態、工業や同じ農業における利権供与の形態がそれである。わが国の私的工業の大部分が著しく細分的な性格を持っていることを考慮に入れるならば、私的生産の比重が現在の20.7%から少しでも増大すれば不可避的に社会主義建設に対する何らかの脅威をもたらすだろうという考えが無邪気なものであることがわかる。ここでは何らかの厳格な限界率を設けようとすることがそもそも誤りなのだ。問題は形式的な限界によって決定されるのではなく、全体の発展動向によって決定されるのである。

 他方、この動向を研究するならば、次のことがわかる。すなわち、大企業がその積極面よりも消極面の方を多く発揮していた最も困難な時期に、労働者国家は私的資本による最初の攻撃に十分持ちこたえることができた、ということである。最も急速に復興したこの2年間、革命によってつくり出された経済的力関係は労働者国家にとって有利な方向で順調に変化してきた。大企業の操業率が100%に近づきつつあるということだけからしても、はるかに基盤が揺るぎないものになっている現在、わが国経済の国内要因に関するかぎり、何らかの予期せざる事態を恐れるいかなる根拠もありえないのである。

 

 スムィチカ、すなわち都市と農村との経済活動の結合という問題に関しては、一覧表は基本的な、まさにそれゆえ極めて説得力のあるデータを提供している

※原注 この場合、他の場合でもそうだが、私は表にあるデータがすべて新しいものであると言いたいのではない。しかし、それは点検され、更新され、経済全体を包含するよう系統だてられている。これこそが、このデータに例外的な重要性を付与している事情なのである。

 表からわかることは、農民が市場に放出している農産物は農民の総生産高の3分の1弱にあたり、この農産物商品量は商品取引高全体の3分の1強を占めているということである。

 農産物商品と工業商品との価格比は狭い範囲内で変動しており、約37:63である。すなわち、商品を何個とか何プードとか何アルシンとかいうように計算するのではなく、何ルーブルというように計算するならば、市場に出回っている商品のうち農村の生産物が3分の1強で、都市の生産物、すなわち工業生産物が3分の2弱を占めている。この事実は、農村自身の需要の大部分が市場を経ずに満たされているのに対し、都市の生産物のほとんどすべては市場に放出されているということで説明される。農民の細分化した消費経済の3分の2以上が経済取引全体に関与せず、たったの3分の1以下だけが国の経済に直接影響を与えるにすぎない。それに対して、工業生産物は、事の本質上、そのすべてが国全体の取引に直接加わっている。なぜならば、工業自身の内部における(トラストやシンジケートを通じた)「自給自足」取引――これによって生産物の商品化率は11%だけ減少している――は、経済全体の過程に対する工業の影響を減らすどころか、反対に、取引のこの単純化のおかげで増大させているからである。

 しかしながら、農業生産物に占める自給自足部分が市場に影響を及ぼしていないということは、経済に影響を及ぼしていないということを意味するものではもちろんない。現在の経済状態のもとでは、それは、商品となる3分の1の農産物にとって必要な自給自足的後背地である。この商品部分は、それはそれで、農村が必要とするものを都市から獲得するための等価物である。このことから、農産物、とりわけその3分の1を占める商品部分が経済全体に占める巨大な意義は明白であろう。収穫の現金化、とりわけ農産物輸出は、わが国の年間経済収支にとって最も重要な要素の一つとなっている。時が立つにつれてますますスムィチカのメカニズムは複雑になる。問題はもはや、農民のある一定量の穀物をある一定量の更紗と交換するといったことに限定されるのでは全然ない。わが国経済は世界システムの中に入り込んだ。このことによって、スムィチカという鎖に新しい環が組み入れられたのである。農民の穀物は外国の金と交換される。金は機械や農具や、都市と農村に不足している消費物資と交換される。穀物の輸出を通じて得た金と交換に手に入れた紡績機械は、紡績工業の設備を更新し、それによって繊維の価格を引き下げ、その繊維は農村に送られるのである。循環ははなはだ複雑になっているが、その土台は相変わらず都市と農村との一定の経済的相互関係なのである。

 しかしながら、一瞬たりとも忘れてならないのは、この相互関係は動的なものであり、この複雑な動的過程における指導的原理は工業だ、ということである。このことは、農産物、直接的にはその商品部分が工業の発展に一定の限界を画するものであるとしても、この限界は厳格なものでもなければ不動のものでもないということを意味する。すなわち、工業の発展は収穫高の増大にのみもとづいているのではない、ということである。そうではなく、ここでの相互依存関係ははるかに複雑である。工業は主としてその軽工業部門を通じて農村に依拠しながらも、そして農村の成長のおかげで発展しながらも、工業自身がますますそれ自身にとっての巨大な市場になるのである。

 農業と工業の復興過程が終わりに近づきつつある現在、原動力としての役割はこれまでと比較にならないほど工業に属することになろう。都市が農村に対して――安価な消費物資を通じてだけでなく、ますます改良されていく農業生産用具(それは土地耕作の集団的形態を必要不可欠なものにする)を通じて――どれほど生産上の社会主義的影響を与えうるかという問題は、今や完全な具体性を持って、そしてきわめて壮大な規模で、工業の前に提起されているのである。

 農業の社会主義的改造は、もちろんのこと、単なる組織形態としての協同組合を通じさえすればそれで実現されるというものではなく、農業の機械化や電化や全体としての工業化に立脚した協同組合を通じて実現される。これが意味しているのは、農業の技術的および社会主義的進歩は、国の経済全体における工業の優位性がますます増大していくことと不可分だ、ということである。これはまた次のことをも意味している。すなわち、今後の経済発展の中で、工業の動態係数は――最初のうちはゆっくりと、その後はしだいに速く――農業の動態係数を追いこし、ついにはこの対立関係そのものをなくすだろう、ということを意味しているのである。

 

 1924〜25年における工業全体の生産高は前年の生産高を48%上回った。来年度には、価格の低下を計算に入れないならば、今年と比べて33%増大することが予想されている。しかし、さまざまな種類の工業企業はけっして均等に発展するのではない。

 大企業はこの1年で64%成長した。第2群――これを仮に中企業と呼ぼう――は55%成長した。小企業はその生産高を30%しか増やさなかった。すなわち、すでにわが国は中小企業に対する大企業のメリットが全面的に発揮される所まで来たということである。しかしながら、このことは、すでにわれわれが社会主義経済の可能性を完全に現実化しつつあるということをけっして意味しない。中小企業に対する大企業の生産上の優位性が問題となっているかぎりでは、われわれは資本主義のもとであっても相対的により大きな企業なら常に持っている優位性を今のところ現実化つつあるにすぎない。全国的な規模での生産物の規格化、生産過程の標準化、企業の専門化、すべての工場を統一した全国的生産有機体の生きた諸部分に転化すること、農林水産業と鉱工業の全部門の生産過程を計画的かつ物質的に結合すること――これらの基本的な生産上の社会主義的課題に、われわれはようやく取りかかったにすぎない。そこには無限の可能性が開かれている。それは、数年のうちにわれわれの古い尺度をはるかに乗り越える可能性をわれわれに与えている。しかしこの課題は未来に属するものであって、いま問題になっているのはこのことではない。

 今のところ、われわれは国家による経済指導の優位性を、生産そのものの分野においてではなく、すなわち生産の物質的過程を組織し統一することにではなく、生産的配分の分野において、すなわち個々の工業部門に材料・原料・設備等――市場の言葉で言えば、流動資本と部分的には固定資本――を供給することに利用してきた。私的所有の枠組みに縛られることなく、国家は、国家予算のポンプを通じて、国有銀行を通じて、工業銀行その他を通じて、現有資源を経済過程の維持・再建・発展にとって最も必要な部門にいつ何時でも移すことができた。社会主義的経営のこうした優位性は、この数年間、真に救済的役割を果たしてきた。資源を分配する際にはしばしば深刻な誤算や誤りがあったにもかかわらず、それでもやはりわれわれは生産力復興の資本主義的な自然発生的過程とは比較にならないほど経済的かつ合目的的に資源を配分してきた。これのおかげではじめて、われわれは外国からの借款なしであれほどの短期間に現在の水準にまで達することができたのである。

 しかし、これで問題がつきるわけではない。節約、したがってまた社会主義の社会的な合目的性は、寄生的階級が原因で生じる間接費から経済の復興過程を解放するという点にもある。わが国は現在、戦前よりもずっと貧しいにもかかわらず、1913年の生産水準に近づきつつある。これはすなわち、君主制や貴族、ブルジョアジー、上層の特権的インテリゲンチヤ、最後に、資本主義的機構自身のすさまじい摩擦――こうしたものが原因で生じる社会的間接費を減らしたことによって、われわれはそれ相応の経済的成果を獲得したということである。まさに社会主義的方法のおかげで、われわれは、現在のまだきわめて制限された物質的資源からはるかに多くの部分を生産上の目的のために直接動員し、それによって次の段階にわが国住民の物質的生活水準をより急速に向上させる準備をすることができるのである。

※原注 1924〜25年の預金額と当座勘定は、平均して1913年の預金額の11%強であった。来年度の終わりには、この項目は36%にまで増大することになっている。これは、わが国の蓄積の貧困さを明瞭に示す特徴の一つである。しかし、預金額と当座勘定が戦前の約11%であるというもとでわが国工業が戦前のほとんど4分の3にまで達したという事実はまさに、労農国家がブルジョア体制とは比較にならないほど経済的かつ計画的かつ合目的的に社会的資源を利用していることを物語る最良の証拠である。

 輸送事業の発展テンポが農業と工業から立ち遅れていることは、戦前における輸出入の比重が今よりも著しく高かったことで、かなりの程度説明される。このことはまたもや、われわれが、1913年よりも著しく少ない国内資源と社会的間接費のもとで戦前の工業水準に近づきつつあることを物語っているのである。

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 このように、わが国には、国有化された土地に立脚する細分的な農民経営が存在し、それが供給する商品生産物は、市場で流通する価値の3分の1強を占める。農業資本のうち社会化されているものはたかだか4%程度にすぎない。

 わが国工業においては、固定資本は89%が社会化され、しかもこの社会化された工業が総工業生産高の79%を生産している。11%の社会化されていない工業生産手段は、したがって、総生産高の20%強を生産している。そして、国営工業のシェアは増大しつつある。

※原注 生産手段と生産高とのこの不一致は、何よりもまず資本の有機的構成の違いによって説明される。小工業や家内工業に占める設備[不変資本]の割合が、計算されることなく支出される生きた労働力[可変資本]に比してわずかなものである[有機的構成が低い]のだから、これは当然であろう。対極にある次のような事実もこれに加わる。すなわち、わが国の最も大きな企業――例えば大冶金工場――は今だにフル稼動したことがない、ということである。

 鉄道輸送は100%社会化されている。輸送事業は絶えまなく成長している。1921〜22年にはそれは戦前の約25%であり、1922〜23年に37%、1923〜24年に44%、最後に1924〜25年には戦前の水準の半分を越えるであろう。来年には戦前の貨物輸送量の約75%になると予想されている。

 商業の分野では、資本の社会化、すなわち国有化ならびに協同組合化は、商品取引に占める全資本の約70%にのぼっており、この割合は絶え間なく上昇している。

 外国貿易は完全に社会化されている。そして、外国貿易の国家独占はわが国の経済政策における不動の原則であり続けている。外国貿易の総取引高は来年には22億ルーブルにまで増大することになっている。この取引への私的資本の投資は、たとえそれに密輸を加算したとしても――そしてそうするのは完全に正当なのだが――、おそらく5%に達しないだろう。

 銀行とすべての信用制度はほとんど100%社会化されている。そして、この強力に成長しつつある機構は、ますます柔軟かつ巧妙に、現有資源を生産過程の育成のために動員する課題を果たしている。

 国家予算は37億ルーブルにまで増大し、国民総所得(290億ルーブル)の13%、総商品価格(152億ルーブル)の24%を占めている。予算はますます国の経済的・文化的向上のための強力なテコとなっている。

 このようなものが一覧表の数値である。

※  ※  ※

 これらのデータは世界史的意義を有している。ユートピアに始まり、その後科学的理論になっていった1世紀以上にわたる社会主義の絶え間ない活動は、今やほとんど9年目に入らんとしている巨大な経済的経験によって初めて確証されたのだ。社会主義と資本主義について、自由と強制について、独裁と民主主義について書かれてきたことがすべて、10月革命とソヴィエトの経済的経験の試練をかいくぐって、われわれの前に、比較にならないほど具体的な新しい姿をとって現れている。ゴスプランの数値は、たとえ荒削りで予備的なものであるとしても、ブルジョア社会を社会主義社会に変革する偉大な実験の第1章における最初の総括なのである。そして、この総括は社会主義にとって完全に有利なものになっている。

 いくつもの戦争によってこれほど破壊され荒廃させられた国はソヴィエト・ロシア以外には一つもない。例外なくすべての資本主義国は、どんなに戦争で被害にあっても、外国資本の援助で復興してきた。唯一ソヴィエトだけが、かつての最も後進的な国、戦争と革命の激動によって最も破壊され荒廃させられた国だけが、完全な極貧状態から独力で、しかも全資本主義世界の積極的な敵対を受けながら、復興してきたのである。もっぱら地主の土地所有とブルジョアの所有を全面的に廃止したおかげで、もっぱらすべての基本的生産手段を国有化したおかげで、もっぱら国家が社会主義的方法によって必要な資源を動員し分配したおかげで、ソヴィエト連邦はどん底より這い上がり、ますます強力となる要素として世界経済の中に入り込みつつあるのだ。ゴスプランの一覧表から連綿とのびている糸は、後方に向けてはマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』につらなり、前方に向けては未来の社会主義社会につらなっている。そして、この無味乾燥な数字の羅列の上には、レーニンの魂が徘徊しているのである。

 

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