第3章 社会主義の発展と世界市場の資源

 国民経済の見地から見れば、私的経済の見地から見るのとは違って、有価証券[紙幣] それ自体は生産の上昇を促進することはできない。それはちょうど、人間の影が人間を成長させえないのと同じである。だが、国際経済の見地から見れば、事態は異なってくる。アメリカの銀行券はそれ自体1台のトラクターも製造しえないが、ソヴィエト国家がこの銀行券を相当数持っていれば、アメリカ合衆国からトラクターを輸入することが可能になるのである。

 資本主義世界経済に対して、ソヴィエト国家は一つの巨大な私的所有者として現れる。自国の商品を輸出し、他国の商品を輸入する、信用を利用し、外国の技術援助を得る、そして最後に、合弁会社や利権供与という形態で外資を導入する。

 「復興」過程は、われわれが世界市場の中で生存する権利をも復興した。資本主義ロシアの経済と世界資本との間にあった巨大な相互依存関係を片時も忘れてはならない。わが国の工場設備のほとんど3分の2が外国から輸入したものであることを思い起せば十分である。この相互関係はおそらく現在でもさして変化していないであろう。それゆえ、わが国でつくる機械設備は、今後数年間、全体のたとえば5分の2か、せいぜい半分以下に止めておく方が経済的には有利だということになる。もしわれわれが急激に資源[資金]と労働力とを新しい機械の生産部門に移動したならば、経済の各部門間の均衡や、同じ部門内部の固定資本と流動資本との均衡を破壊することになるか、さもなくば、均衡を守ろうとして無理やり一般成長率を引き下げることになるか、であろう。だが、われわれにとってテンポの遅れは、外国の機械や総じて必要な外国商品を輸入することよりもはるかに危険なのだ。

 われわれは外国の技術、外国の製法を見習っている。わが国の技術者のますます多くは、ヨーロッパとアメリカに出かけ、その中の慧眼な者は、わが国の経済発展を促進しうるあらゆるものをそこから持ち帰っている。われわれはわが国のトラストと、一定の期間に一定の製品をわが国で生産する義務を引き受けた優秀な外国商社とを結びつけることによって、外国の技術援助を直接得ることに向けてますます努力している。

 わが国の農業にとっては、外国貿易がより決定的な意義を有することは完全に明白である。農業の工業化、したがってまた農業の集団化は、輸出の成長と平行して進む。農産物と交換に、われわれは農業機械、ないしは農業機械を生産する機械を購入する。

 しかし、われわれにとって必要なのは機械だけではない。わが国の経済システムに空いた穴を埋めることのできるどんな外国商品も――それが原料であれ、半製品であれ、消費物資であれ――ある一定の条件のもとでは、わが国の経済活動を容易にし、その発展テンポを速めることができる。もちろんのこと、奢侈品や不必要な消費財の輸入はわが国の経済発展を遅らせるだけである。だが、適時あれこれの消費物資を輸入することは、それが市場に必要な均衡を打ち立てたり、労働者や農民の家計に空いた穴を埋めるのに役立つ場合には、もっぱらわが国の経済の発展全般を促進することであろう。

 国家によって指導され、国営工業と国内商業の仕事を柔軟に補完する外国貿易は、わが国の経済成長を促進する強力な手段である。もちろん、外国貿易が世界市場で獲得する信用能力が拡大すればするほど、外国貿易の生産的意義はますます大きくなるであろう。

 外国の融資はわが国の経済動向にとっていかなる意味を持つであろうか? 資本主義はわれわれに、今はまだないが1年ないしは2年ないしは5年後にようやく作り出される蓄積を担保に前貸しをする。これによって、わが国の発展の土台は、現在われわれが有している物的蓄積の枠を越えて拡大するのである。もしわれわれがヨーロッパの技術製法を用いて生産の過程を速めることができるのであれば、信用で購入するヨーロッパとアメリカの機械を用いてなおさら速めることができるだろう。歴史発展の弁証法は、資本主義がしばらくの間、社会主義への融資者になるという事態をもたらすだろう。資本主義自身も封建社会の乳を吸って養われはしなかったか? 歴史的債務は返すのが礼儀というものである。

 このことは利権についてもあてはまる。利権供与のうちには、外国の設備や生産製法をわが国に持ち込むことと、世界資本主義の資金によってわが国経済に「前貸し」することとが組み合わさっている。一連の工業部門では、利権はきわめて重大な意義を持ちうるし、持たなければならない。もちろん、利権政策には、総じて資本主義的形態に対してと同様、制限は残る。すなわち、国家は管制高地を確保しておくし、利権工業に対する国営工業の絶対的で決定的な優位性を保持できるよう注意深く監視する。しかし、この枠組みの中であっても、利権政策にとっての広大な領域がなお残されているのである。 

 最後に、将来可能になるであろう国家借款――これは外資導入の最高形態である――についてもあてはまる。かかる借款は、将来におけるわが国の社会主義的蓄積を担保とする前貸しの最も純粋な形態である。借款として与えられた金は、商品の中の商品として、外国の完成品や原料や機械や特許を購入したり、ヨーロッパやアメリカから最良の設計者や技術者を招聘することを可能にする。

 以上述べたことから出てくる結論は、世界の経済取引と結びついたあらゆる問題において、ますます正しく、すなわちますます系統的かつ科学的に方向性を定める必要性がある、ということである。どんな機械を輸入するべきか? どの工場のために? いつ? 他のどんな商品をどういう順番で輸入するべきか? さまざまな工業部門間にどういう割合で外貨を配分するべきか? どういった専門家を招聘するべきか? 経済のどの部門に利権資本を引き入れるべきか? どれぐらいの規模で? どれぐらいの期間? まったく明らかなことは、こうした諸問題を、個々の経済的刺激に駆られて、あてずっぽうに一朝一夕では解決しえないということである。

 わが国の経営担当者は現在、先に略述した諸問題やその他の諸問題、とりわけそれらと不可分に結びついている輸出の問題の解決に対する方法論的アプローチを練り上げることに根気よくかつ粘り強く頭をしぼっており、それなりの成果も収めている。問題は、全体としての発展過程を促進しうるような世界経済の諸要素を工業の基幹部門と経済全体との均衡の中に時機を失せず組み入れることによって、この動的均衡を維持することである。ここから生じる個々の実践的諸問題の解決にとって、比較係数の体系は、将来計画――1年計画や5ヵ年計画やもっと長期にわたる計画――の作成にとってと同様、きわめて貴重な、なくてはならない助けとなるにちがいない。それゆえ、ある重要な工業部門において、比較係数がとりわけ不利な数値を示している場合には、完成品であれ、特許や製法であれ、新しい設備であれ、専門家や利権であれ、そういったものを外国に求める必要性が明らかとなるのである。利権政策と同様、貿易政策が実際に創意に富み、かつ計画的になりうるのは、工業の比較係数の広範で入念な体系に立脚する場合だけである。

 これと同じ方法は、今後、固定資本の更新と生産の拡大という問題を解決する際の基礎となる。一年目にはどの工業部門の設備を更新するべきか? どんな新工場を建設するべきか? 説明するまでもないことだが、さまざまな要求やリクエストはあらゆる能力をはるかに越えている。では、どのようにして問題の解決に接近するのか?

 言うまでもなく、まず何よりも、工場の設備更新や新工場の建設に充当しうる額がどれぐらいかを正確に見きわめなければならない。最も差し迫って緊急に必要なものについては、わが国は自分自身の蓄えでまかなうだろう。もし他の財源を得る道が閉ざされている場合には、国内の蓄積が生産の拡大規模を決定する。

 これと平行して、全体としての経済過程の必要性の見地から、諸要求の順序を確定することが必要である。ここでは、比較係数こそが、真っ先に資本投資を必要とするのはどの経済分野かを見定める直接的な指標である。

 以上が、工業の固定資本の更新および拡大と結びついた諸問題を計画的に解決する道を最も大雑把に――多くの複雑な諸要素はあえて無視して――示したものである。

 

生産過程の社会化

 国家は自己の手中に国有工業を握り、外国貿易を独占し、経済のあれこれの部門への外資の導入を独占しており、これによって国家は、組み合わせしだいで経済発展のテンポを速めることのできる諸手段の宝庫をわがものとしている。だが、これらの諸手段のすべては社会主義国家の本質から生じているものであるとはいえ、それ自体としては、実際にはまだ生産過程の領域にまで及ぶものではない。言いかえれば、たとえわれわれが今までずっと各工場を1913年当時の姿で維持してきたとしても、その場合ですら、それら工場の国有化は、資源[資金]を計画的かつ経済的に分配することによってわれわれに巨大な利益をもたらしたことであろう。

 復興期に達成された経済的成功は大部分、まさに生産的分配の社会主義的方法、すなわち、国民経済の各分野に必要な資源[資金]を計画的ないしは半計画的に保証する方法のおかげである。われわれと世界市場との関係から生じる可能性を検討する場合でも、われわれは主として生産資源の見地から見ており、生産の内部組織の見地からは見ていない。

 しかしながら、一瞬たりとも忘れてならないのは、社会主義の基本的な優位性は生産そのもの領域にあるということである。この優位性は、これまでところ、われわれによってほんのわずかしか利用されていないが、経済発展のテンポを速める上で無限の可能性を開くものである。まず何よりも確立する必要があるのは、科学技術知識やあらゆる生産上の発明を真に国民全体のものにすること、経済全体の、特殊的には各地域のエネルギー問題を中央集権的・計画的に解決すること、その他すべての製品の規格化(ないしは標準化)、そして最後に、各工場の徹底した専門化、である。

 科学技術的な知識活動は、わが国では私的所有の障壁を知らない。各企業のどんな組織技術上の成果も、化学上ないしはその他の製法のどんな改良も、ただちにすべての関連工場の財産とされる。科学技術研究所はその予想をどの国営工業においても検証することができるし、どの企業も、集められた工業全体の経験を、研究所を通じていつ何時でも自分のために利用することができる。科学技術知識は、わが国においては、原則として社会化されているのである。しかし、われわれはこの分野においてもまだ、思想上および物質上の保守的な障壁から解放されるにはほど遠い状態にある。この障壁は、われわれが資本家の財産の国有化とともに継承したものである。それゆえわれわれは、科学技術上の創造活動を国民全体のものにしたことから生じる可能性をますます広範に利用することを学ばなければならない。この道に沿っていけば、われわれは近い将来、無数の利益を手に入れることができ、これらの利益は全体として、われわれにとって測り知れない一つの結果、すなわち発展テンポの加速をもたらすことであろう。

 巨大な節約にとって、したがってまた労働生産性の上昇にとって、もう一つの源泉となりうるのは、正しいエネルギー政策である。動力に対する要求は、工業の全部門、全企業、総じて人類の全物的活動に共通するものである。したがって、動力は共通因子として全工業部門の括弧の外に(多かれ少なかれ)くくり出すことができる。動力が技術的合目的性ないしは国民経済的合目的性にもとづいてではなく、ただ私的所有にのみもとづいて工場と結びつけられているような場合、個々の工場から動力を分離することによって動力を非個人化するならば、どれほど大きな節約となるかは明白である。計画的電化は、熱エネルギー経済や動力経済の合理化をめざす全般的計画の一部分にすぎない。このような計画の実施なしには、生産手段の国有化はその最も重要な成果をあげなかったろう。

 私的所有は、法的制度としては廃止されたにもかかわらず、技術的に閉鎖的な小宇宙である企業自身の組織の内部で現在でもまだ保存されている。それゆえ課題は、国有化の原則を生産過程の内部に、その物質的・技術的諸条件の内部にますます深く浸透させることにある。実際にエネルギー産業を国有化しなければならない。このことは、すでに存在している発電所にあてはまるだけでなく、まだこれから建設することになっている発電所にはもっとあてはまる。ドニエプル・コンビナートの建設は、強力な発電所と廉価なエネルギーに対する工業・輸送の要求とを結びつけることを予定したものであり、すでに技術的に社会主義の原則にのっとって企画されている。このようなタイプの企業は未来に属している。

 工業発展の次なるテコは製品の規格化である。これの対象はマッチやレンガや布地だけでなく、最も複雑な機械もそうである。注文者の気まぐれは排されなければならない。だが、それは彼の必要から発しているのではなく、彼の無力さから発している。というのは、現在はどの注文者も、彼の課題に最も合致した科学的に点検ずみの既成の見本を受け取る代わりに、そういったものを即興的に作り出したり探したりすることを余儀なくされているからである。規格化することによって、それぞれの製品の種類を、各地域の基本的な条件や生産上の要求の特殊な性質にのみ合致した最小限の数にしなければならない。

 規格化は生産技術の内部で行なわれる社会化である。この領域においてもわれわれは、先進資本主義諸国の技術が私的所有の外皮を突き破り、本質的に競争や「自由な労働」やそれと結びついたいっさいのものの原理的否定である道を進み始めているのを目にしている。

 アメリカ合衆国は、生産物の性質や品質を規格化することによって、また科学技術上の生産基準を作成することによって、生産物を安価なものにすることに巨大な成功を収めた。規格局は、関係する生産者および消費者と協力して、何十種類もの大小さまざまな工業製品を対象に作業を行なった。その結果、2300種類のヤスリは500種類に、650種類のワイヤーは70種類に、119種類のレンガは3種類に、312種類の鋤は76種類に、800種類あった播種機は29種類に、300種類の小型ナイフは45種類に、それぞれ減らすことにした。

 新生児も規格化に出くわす。乳母車を簡素化したことによって、総計で1700トンの鉄と35トンのスズの節約になった。規格化は病人をも放っておかない。40種類あった病院ベッドはたった一つになった。こうした標準化は葬具にも及んでいる。棺から銅、真鍮、青銅、羊毛、絹糸が取り除かれた。規格化の名のもとに行なわれた葬具の節約によって、数千トンもの金属や石炭、数十万メートルもの木材等々が節約されるのである。

 技術は資本主義の諸条件に逆らって、規格化へと進まざるをえなかった。社会主義は規格化にとってはるかに広大な可能性を開き、それゆえ否おうなく規格化を必要とするようになる。しかしながら、われわれはこの仕事に着手したばかりである。工業の成長は今や、規格化にとって不可欠の物質的前提条件をつくり出した。固定資本更新の全過程は、規格化の線に沿って進まなければならない。わが国における製品の種類は、アメリカの数分の一にまで少なくしなければならない。

 規格化は工業の高度な専門化を許容するだけでなく、それを前提条件とする。われわれは、すべての物をぞんざいに生産する工場から、ある特定の物を完璧に生産する工場へと移行しなければならない。

 しかしながら、言っておかなければならないが、恥ずかしいことに、社会主義経済の8周年記念日を目前に控えている今日でもまだ、経営担当者だけでなく技術者からさえ、生産の専門化は「魂」を抜きとり、創造の枠をせばめ、工場労働を単調で「退屈な」ものにする云々、といった苦情が一再ならず聞かれる。こうした哀れで徹頭徹尾反動的な議論は、工場制工業に対する手工業の優位性についての古いトルストイ主義的・ナロードニキ的お説教を彷彿とさせるものである。全経済を自動的に作動する統一した機構に変えるという課題は、一般に想像しうる最も壮大な課題である。それは、技術的・組織的・経済的創造にとっての無制限の活動分野を開く。しかしながら、この課題が解決されるのはただ、ますます大胆かつ粘り強く工場を専門化し、生産を自動化し、そして専門化された大工場をますます完全に一つの生産連鎖の中に組み込んでいく、という条件のもとでのみである。

 外国の研究所における現在の成果、外国の発電所の出力、アメリカにおける規格化事業の広大さ、専門化の分野でのアメリカ工場の成功、これらは、この途上における現在のわれわれの事業のはるか先を行っている。しかし、われわれの国家と、主としてわが国の法的条件とは、どの資本主義諸国の条件よりもこの目的にとってはるかに有利である。そして、このわれわれの優位性は、わが国が前進するにつれてますます勝利を収めていくであろう。課題は事実上、あらゆる可能性を測り、あらゆる資源を利用することに帰着する。結果は遠からず明らかとなるだろう。そしてその時にわれわれはそれを総括するとしよう。

 

世界市場における恐慌とその他の危険性

 わが国と世界市場との結びつきが最小限であった時には、資本主義の景気変動がわが国に与える影響は商品取引を通じて直接的にというよりも、むしろ政治を通じて、わが国と資本主義世界との相互関係が先鋭化したり緩和したりすることに現れた。これに照応して、われわれは、わが国経済の発展を資本主義世界で生じている経済過程からほとんど完全に独立したものとみなすことに慣れてしまっていた。わが国で市場が復活し、それとともに市場変動や販路恐慌等が復活した後も、われわれはこれらすべてを、西欧ないしはアメリカにおける資本主義の動向から完全に独立した現象として評価した。そして、わが国の復興過程がほとんど閉鎖された経済の枠内で生じているかぎり、われわれは正しかった。しかし、輸出入の急激な成長とともに、事態は根本的に変化しつつある。わが国は世界市場の構成部分――きわめて独特であるにせよ、それでもやはり構成部分――と化しつつある。そして、このことは世界市場の一般的要因が、屈折し変形しつつも、何らかの形でわが国の経済にも反映するに違いないということを意味している。経済の当面する局面は、市場がどれだけ購入しどれだけ販売するかということに最も明瞭に表現される。わが国は世界市場に売り手としても買い手としても登場している。まさにこれによって、わが国はあれこれの程度で経済的に世界市場における商工業の干満の作用を受けるのである。

 こうした事情がもつ重要性は、これがどんな新しい事態をわが国にもたらすかを比較によって明らかにするならば、いっそう明瞭になるだろう。大きな経済的衝撃(「鋏状価格差」、販路恐慌、等々)のたびに、わが国の世論は次のような問題を熱心に検討した。すなわち、わが国で恐慌は不可避かどうか、どの程度まで不可避か、という問題である。その際われわれは通常、わが国の経済実態に照応して、ほとんど閉鎖的な経済という枠の外に出ることはなかった。われわれは、国有工業を経済的土台とする計画の要素と、農村を経済的土台とする自然発生的な市場の要素とを比較した。計画と自然発生性とを結合することは、経済的な自然発生性が自然のそれに依拠しているだけになおいっそう困難であった。こうしたことから、次のような展望が出てきた。工業が成長するにつれて、農業に対する工業の影響力が増大するにつれて、農業の工業化と協同組合化等々が進むにつれて、計画原理は発展していくだろう、という展望である。この過程は、われわれがそのテンポをどのように決定しようとも、計画通りに上昇していく過程として考えられていた。しかし、ここでも道ははなはだジグザグしていることがわかり、われわれはその曲がりくねった新しい曲線に出くわしたのである。このことが最も明瞭に現れたのは、穀物の輸出をめぐってである。

 今や問題となるのは、収穫高だけではなく収穫の現金化であり、わが国の市場だけではなくヨーロッパの市場である。ヨーロッパへの穀物の輸出はヨーロッパの購買力に依存しており、工業国の購買力(もちろん、穀物を購入するのは工業国だ)は景気に依存している。商工業恐慌の時には、ヨーロッパはわが国の穀物を好況の時よりもずっと少なくしか輸入しないだろうし、木材、亜麻、獣皮、石油等々の輸入はさらに少ないであろう。輸出の減少は不可避的に輸入の減少を伴う。もしわれわれが十分な量の工業原料や食料品を輸出しないならば、必要な量の機械や綿花等を輸入できないだろう。わが国の輸出用備蓄が不十分にしか現金化されない結果として農民の購買力が予想以上に減退するならば、それは再生産の危機を招く可能性がある。それとは別の場合。わが国が商品不足になって輸出を抑制した場合、われわれは完成品や設備や原料(たとえば前述した綿花)を輸入することによってこの不足を埋め合わせる可能性を奪われるだろう。言いかえれば、ヨーロッパの商工業恐慌が――全世界の商工業恐慌はなおさら――、わが国で恐慌の波として反映する可能性があるということである。

 その反対に、ヨーロッパで商工業がかなり活況を呈する場合には、工業に必要な原料としての木材や亜麻に対する需要はたちまち増大するであろうし、景気の好転にともなって穀物に対するヨーロッパ住民の需要も増大するにちがいない。したがって、ヨーロッパにおける商工業の好況は、わが国の輸出品の現金化を容易にすることによって、必然的にわが国自身の商工業と農業の発展に刺激を与えるのである。

 昨日までの、世界市場の変動からのわが国の独立性は消え失せた。わが国経済の基本的過程はすべて、それに照応するさまざまな諸過程と結びついているだけでなく、景気交替を含む、資本主義の発展を支配している諸法則の作用を――ある程度まで――受けるのである。ということは、国家が経営主体であるわが国は、資本主義諸国の景気回復に――少なくとも一定の限界内で――利益を有し、反対にその景気後退に――少なくともある程度は――不利益をこうむる可能性がある、ということになる。

 この、一見したところ思いもかけない事態は、いわゆるネップの本質に根ざしているまさにあの矛盾、そして一国に閉ざされた経済のより狭い枠組みのうちに以前からわれわれが認めてきたまさにあの矛盾の大規模な現われにすぎない。現在のわが国の体制は、社会主義と資本主義との闘争にもとづいてるだけでなく、一定の限界内で、両者の協力にももとづいている。生産力の発展のために、われわれは私的資本主義的取引を容認するだけでなく、――またしても、一定の限界内で――それを援助し、しかも利権や工場の賃貸という形で「植えつけ」さえするのである。われわれは、農業の発展にきわめて大きな利益を有している。農業が現在、ほとんど完全に私的取引の性格を有しているにもかかわらず、そしてそれの向上が発展の社会主義的傾向だけでなく資本主義的傾向をも育んでいるにもかかわらず、そうなのである。2つの経済システム――資本主義的なそれと社会主義的なそれ――のこのような共存と協力(しかも、後者は前者の方法を利用している)がはらむ危険性は、資本主義の力がわれわれの手に負えなくなる可能性があるという点にある。

 このような危険性は、「閉鎖」経済の枠内でも存在したが、より狭い規模でしかなかった。ゴスプランの目標数値の意義はまさに、これらの数値が――第1章で明らかにしたように――生産力の全般的な向上にもとづいた、資本主義に対する社会主義の優位性を疑問の余地なく示したということにある。もしわれわれが経済的に閉ざされた国家にいつまでもとどまっているつもりであったなら(より正確に言えば、そういうことが可能だったなら)、問題は本質的に解決済みのものとみなすことができたろう。この場合には、われわれを脅かす危険性は、政治ないしは、わが国の閉鎖性が外部から軍事的に破壊されることにあったろう。ところが、わが国が経済的に世界的分業のシステムの中に入り込み、それによって、世界市場を支配している諸法則の作用を受けるようになった以上、経済の資本主義的傾向と社会主義的傾向との協力と闘争ははるかに広大な規模になったのである。このことは可能性の増大と、それとともに困難の増大をも意味している。

※原注 説明するまでもないことだが、けっして絶対的な意味でわが国経済が閉鎖的であったわけではなく、叙述の便宜上、最も純粋な型を相互に対照させたにすぎない。

 したがって、ネップの開始以来、わが国内部の経済的諸関係の枠内で生じてきた諸問題と、現在、世界市場へのわが国の広範な進出という事実からわが国に生じている諸問題との間には、深くかつまったく自然なアナロジーが存在するのである。

 しかしながら、このアナロジーは完全ではない。ソヴィエト領における資本主義的傾向と社会主義的傾向との協力と闘争とはプロレタリア国家の厳重な管理のもとにある。国家権力が経済問題において万能ではないとしても、それでもやはり国家の経済力は、それが歴史発展の進歩的傾向を意識的に擁護している場合には巨大なものである。資本主義的傾向の存在を容認しながらも、労働者国家は、あらゆる手段を使って社会主義的傾向を育み援助することによって、その資本主義的傾向を一定限度内に押さえ込んでおくことができる。その手段とは、国家予算の制度と一般行政的性格を持った諸措置、国内商業と外国貿易のシステム、協同組合に対する国家的援助、厳密に国営経済の必要に合致した利権政策――一言で言えば、全面的な社会主義的保護貿易制度である。しかし、これらの諸措置はプロレタリア独裁を前提としており、したがって、それらの作用は独裁の領土内に制限されている。われわれが通商関係を深めつつある諸国においては、われわれと直接的に対立する制度、すなわち言葉の最も広い意味での資本主義的保護貿易制度が支配している。ここに違いがある。ソヴィエトの領土内においては、社会主義経済は、労働者国家の支援を受けつつ資本主義経済とたたかっている。世界市場の領域においては、社会主義は、帝国主義国家によって保護された資本主義と対立しているのである。

 ここでは、経済と経済とが対立しているだけでなく、政治と政治とが対立している。労働者国家の経済政策の強力な武器は外国貿易の独占と利権政策である。したがって、社会主義国家の法律と方法とを世界市場に押しつけることができないとしても、社会主義経済と世界市場との結びつきは労働者国家の意志に著しく依存しているのである。まさにそれゆえ、すでに述べたように、正しく実施される外国貿易制度はきわめて重要な意義を持つし、その制度と並んで労働者国家の利権政策の役割は増大するのである。

 ここでこの問題を解決するつもりは毛頭ない。ここでの課題は問題を設定することである。ところで、問題自体は2つに分かれる。第1に、労働者国家による計画の作用は、いかなる方法で、そしてどの程度まで、わが国経済を資本主義市場の変動に対する従属から守ることができるのか? 第2に、労働者国家は、どの程度、そしていかなる方法で、わが国経済の社会主義的傾向の今後の発展を世界市場の資本主義的圧力から守ることができるのか?

 この2つの問題は「閉鎖」経済の枠内でもわれわれの前に存在していた。だが、これらの問題は、世界市場の範囲では新しい意味と新しい規模とを受け取る。そして、このどちらに対しても、経済の計画的要素は現在、以前の時期よりもはるかに大きな意義を持っている。もしわれわれが市場だけに合わせるならば、われわれは不可避的にそれの従属下に置かれてしまうだろう。なぜなら、世界市場はわれわれよりも強力だからである。それは、激しい景気変動によってわれわれを弱体化させ、そしてその商品群の量的・質的優位性によってわれわれを打ち負かすだろう。

 われわれは、普通の資本主義トラストが需給の激しい変動の影響から自らを守ろうと努力しているのを知っている。独占的立場に近いトラストでさえ、いついかなる時でもその生産物によって市場を完全にまかなおうとするわけではない。激しい好況の時期、トラストはしばしば非トラスト企業が自分と並んで存在するのを容認する。非トラスト企業に超過需要をまかなわせ、それによって自分が新規投資のリスクから免れるためである。新しい恐慌の際には、この種の非トラスト企業が犠牲となる。これらの企業はしばしば、ただ同然で同一のトラストの手に入る。トラストはすでにより強大な生産能力を備えて新しい好況を迎える。需要が再びその生産能力を上回った場合には、トラストは再び同じ操作を繰り返す。言いかえれば、資本主義トラストは最も確実な需要だけをまかなおうとし、その需要の増大に応じて拡張し、景気変動と結びついたリスクをできるだけ、いわば生産予備軍の役割を演じているより弱小で偶然的な企業に負わせるのである。もちろん、こうした図式がいつでもどこでも守られるわけではけっしてないが、それは典型的な図式なのであり、われわれの考えを説明するのに必要なものである。

 社会主義工業はトラストの中のトラストである。この巨大な生産コンビナートは、個々の資本主義トラストと比べてずっとわずかにしか市場における需要の全変化についていくことができない。トラスト化された国営工業は、これまでの全発展によってすでに確実となった需要をまかなうよう努力し、その際、後で新たな市場収縮を伴う可能性のある一時的な超過需要は、できるだけ私的資本主義的予備軍を利用することによってまかなわなければならない。このような予備軍の役割を演じるのは、利権企業を含む国内の私的工業と、世界市場の商品群である。まさにこの意味で、われわれは外国貿易制度と利権政策の調整的意義を語ったのである。

 国家は、生産過程の維持・改良・計画的拡張に必要な生産手段・原料類・消費物資を輸入する。きわめて複雑な相互関係を単純化して図式にするならば、事態は次のようになるだろう。世界の商工業が好況の時、わが国の輸出は一定量増大し、それとともに住民の購買力も増大する。まったく明白なことだが、もしわが国の工業が、手に入れた外貨を当該生産部門の拡張のための機械や原料の輸入にすぐさま使ってしまうならば、わが国の経済資源を減少させるであろう世界恐慌が訪れた時には、あまりに拡張しすぎていた工業部門に恐慌が起こり、それとともにある程度は工業全体にも恐慌が生じるだろう。もちろん、こうした現象はある程度不可避である。一方における農民経済、他方での世界市場、これらは、恐慌を引き起こす変動の2つの源泉である。だが、経済政策のテクニックは、急激に増大する国内需要のうち確実な部分のみを国家の生産物がまかない、一時的な超過需要は、適時完成品を輸入したり私的資本を導入したりすることによってまかなうようにする、という点にあるのである。こうすることによって、われわれは、定期的に訪れる世界的な景気後退がわが国の国営工業に与える影響を最小限度に食い止めることができるであろう。

 こうした調整作業の全体の中には農民経済が極度に重要な――若干の場合には決定的な――構成要素として入っているのだが、この事実一つからすでに明らかになることは、農民経済の細分状態が維持されているかぎり、協同組合や柔軟な国家商業機構のような組織形態は巨大な意義を持っている、ということである。こうした組織は、農村の需給の起こりうる変動をはるかにうまく完全に計算し予見することを可能にするに違いない。

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 しかし、世界市場にわれわれが「根をはる」過程のうちに、別のより先鋭な危険性は含まれていないだろうか? 戦争ないし封鎖の際に、生存のための無数の糸が物理的に切断される恐れはないだろうか? 資本主義世界は容赦なくわれわれに敵対しているのだということをけっして忘れてはならない、云々、云々。この考えは多くの者の頭にしきりに浮かんでくる。生産担当者のあいだに「閉鎖」経済の無意識的ないし半意識的な同調者を少なからず見つけ出すことができる。そこで、これについても若干のことを言っておく必要がある。もちろん、借款にも利権にも輸出入への依存が増大することにも、それなりの危険性が存在する。このことから出てくる結論は、これらの動向のどれ一つに対しても手綱を離してはならないということである。しかし、この危険性に優るとも劣らない正反対の危険性も存在する。それは、わが国の経済発展が遅れる場合に、すなわちその成長テンポが、世界のすべての可能性を積極的に利用することによって達成されるよりも緩慢な場合に生じる危険性である。そして、われわれはテンポを自由に選択できるわけではない。なぜならば、われわれは世界市場の圧力のもとで生き成長しているからである。

 わが国が世界市場に「根をはる」場合の戦争や封鎖の危険性に関する論拠はあまりにも空虚で抽象的である。あらゆる形態での国際的な交易がわが国を経済的に強化するかぎり、それは戦争や封鎖の際にあってもわが国を鍛える。われわれの敵がこれからもわが国をこうした試練にさらそうとするということ、この点に関してはいかなる疑問もありえない。しかし、まず第1に、われわれの国際的な経済的結びつきが多様であればあるほど、われわれのありうる敵もそれらを切断することがますます困難になるだろう。そして第2に、それでもやはりこうした事態が生じた場合でも、わが国は、閉鎖的な、したがって緩慢な発展をしていた場合よりも比較にならないほど強力になっているであろう。

 この点に関し、われわれはブルジョア国家の歴史的経験から若干のことを学ぶことができる。ドイツは19世紀の終わりと今世紀のはじめに、強力な工業を発展させ、その工業にもとづいてドイツは世界経済の最も能動的な勢力となった。その外国貿易の取引高と――アメリカ市場を含む――外国市場との結びつきは、短期間のうちに巨大な発展を遂げた。戦争は突如そのいっさいを断ち切った。その地理的な位置からして、ドイツは戦争の第1日目からほとんど完全な経済的閉鎖状態に置かれた。それにもかかわらず、全世界は、この高度に工業化された国の驚くべき生命力と持久力とを目撃したのである。市場をめぐるそれ以前の闘争の過程で、ドイツは生産機構のまれにみる柔軟性を発展させ、それをドイツは戦時中、制限された一国的基礎の上で徹底的に利用したのである。

 世界的分業を無視することはできない。われわれはただ、世界的分業の諸条件から生じる資源を巧みに利用することによってのみ、自国の発展を最大限に促進することができるのである。

 

結語

 私は、これまでのすべての叙述を経済過程とそのいわば論理的発展に限定してきた。そうすることによって、私は意識的に他のほとんどすべての要因を――経済発展に影響を及ぼすものだけでなく、それをまったく別な方向にそらす可能性のあるものも――視野から除いた。このような一面的な経済的アプローチは、長期間にわたる最も複雑な過程に対する、将来を見通した評価が問題となっているかぎり、方法論的に正当なものであったし不可避的なものであった。当面の問題を実践的に解決するには、現在の断面にあるすべての要因をその都度できるだけ考慮に入れなければならない。しかし、一時代全体にわたる経済発展の展望が問題となっている時には、不可避的に、「上部構造的」要因、すなわち何よりも政治の要因を捨象しなければならないのである。

 たとえば戦争は、発展をある方向へ持っていくうえで決定的な影響を与えるし、ヨーロッパ革命の勝利は別の方向へと影響を及ぼす。発展に影響を及ぼすのは外部からの事件だけではない。国内の経済過程は複雑な政治的反映を引き起こし、今度はその政治的反映が巨大な意義を持つ要因となる。農村の経済的階層分化は――われわれが指摘したように――切迫した何らかの直接的な経済的危険性ではないが、すなわち社会主義的傾向を犠牲にして資本主義的傾向が急速に成長することではけっしてないが、それにもかかわらず、ある条件のもとでは、社会主義的発展に敵対する政治的傾向を引き起こす可能性がある。

 国内外の政治的状況は複雑に重なりあった諸問題を提起するが、それらは――もちろん経済と緊密に結びついた――独自の分析をそのつど必要とする。こうした分析はわれわれの著作の課題に入らない。経済的土台の発展の基本傾向を素描することは、もちろんのこと、政治的上部構造のあらゆる変化を解き明かす出来合いの鍵を与えることを意味しない。政治的上部構造には、それ自身の内的論理、それ自身の諸課題、それ自身の諸困難が存在している。将来を見通した経済的方向設定は政治的方向設定に代わるものではなく、ただそれを容易にするにすぎない。

 われわれは分析の過程で意識的に次のような問題をわきに置いていおいた。資本主義的体制はどれぐらいの期間存在するのか? それはどのように変化し、どの方向に発展しつつあるのか? これに対する回答にはいくつかのパターンが考えられる。だが、われわれはこの最終章でこれを検討するつもりはない。それを列挙するだけで十分である。おそらく、別の機会にこの問題に立ち返ることができるだろう。

 わが国で社会主義が勝利しうるかどうかという問題は、近い将来にヨーロッパでプロレタリア革命が発展するということを仮定するならば、最も簡単に解決される。この「パターン」は最も可能性が低いというわけではけっしてない。しかし、社会主義的予測という見地から見て、この場合には何の問題も存在しない。ソヴィエト連邦の経済とソヴィエト・ヨーロッパの経済とが結びつくならば、社会主義的生産と資本主義的生産との比較係数の問題は、アメリカがどんなに抵抗しようとも、勝利的に解決されるだろう。これは明白である。そして、アメリカの抵抗もどれほど長く続くか疑わしいものであろう。

 わが国を包囲している資本主義世界がまだ数十年にもわたって存続するということを仮定するならば、問題はきわめて複雑になる。しかしながら、このような仮定は、他の一連の仮定によって具体化されないかぎり、それ自体はまったく無内容なままである。このパターンの場合、ヨーロッパ・プロレタリアートは、そしてさらにアメリカ・プロレタリアートはどうなるであろうか? 資本主義の生産力はどうなるであろうか? われわれが仮定した数十年間が疾風怒涛の高揚と退潮、激烈な内乱、経済的停滞と衰退の数十年間であるとしたら、すなわち、社会主義の産みの苦しみが単に長引いたにすぎない過程であるとしたら、その時には明らかに、わが国の社会的土台の方がはるかに安定しているという事実一つだけによっても、わが国経済は過渡期に優位性を獲得するだろう。

 それに対して、今後数十年間にわたって、1871〜1914年の時期を拡大再生産したような新たな動的均衡が世界市場で確立されると仮定するならば、問題はまったく異なった様相を呈してわれわれの前に現われるだろう。われわれが仮定したこのような「均衡」は生産力の新しい黄金時期を前提条件とするのでなければならない。なぜならば、大戦に先行する数十年間におけるブルジョアジーとプロレタリアートの相対的に「友好」的な態度や、社会民主党と労働組合の日和見主義的変質とは、もっぱら工業の力強い発展のおかげで可能になったからである。まったく明白なことだが、もし不可能が可能になり、ありそうにもないことが現実となり、世界資本主義、何よりもヨーロッパ資本主義が――不安定な政府連合にとってのではなく、生産力にとっての――新しい動的均衡を見出すならば、もし資本主義的生産が、今後数年間ないし数十年間に新しい強力な上昇を成し遂げるならば、われわれ社会主義国家がたとえ貨車から客車に乗りかえるつもりでいても、いやすでに乗りかえつつあるとしても、われわれは特急列車に追いつかなければならないということになろう。

 もっと簡単に言えば、われわれは歴史的評価の根本において誤っていたということになるだろう。すなわち、資本主義はまだその「使命」を終えておらず、発展しつつある帝国主義段階は資本主義の衰退期ではなく、その痙攣と腐朽化の段階ではなく、その新たな繁栄の前提条件にすぎないということになる。まったく明らかなことだが、世界とヨーロッパの資本主義が何十年にもわたる新たなルネサンスを迎えるとすれば、後進国の社会主義は巨大な危険性に直面するだろう。どのような危険か? 経済の発展によって再び「穏健化した」ヨーロッパ・プロレタリアートが今度も阻止することができずに生じる新たな戦争という形でか? そして、この戦争では、敵はわれわれに対して巨大な技術的優位性を持っているであろう。それとも、わが国の商品よりもはるかに良質で廉価な資本主義的商品の洪水という形でか? そして、この商品は外国貿易の独占を掘り崩し、それに続いて社会主義経済のその他の基礎をも掘り崩すことができるだろう。これはすでに、実際には2番目の問題である。しかし、マルクス主義者にとっては完全に明白なことであるが、資本主義がただ生き残るチャンスを持っているだけでなく、先進国で生産力を長期間にわたって発展させるチャンスをも持っている場合には、後進国における社会主義は多大な困難を強いられるのである。

 しかしながら、このようなパターンを仮定するいかなる合理的な根拠も断じて存在しない。したがって、資本主義世界に関して「楽観主義」にもとづいた空想的な展望を最初に展開しておいて、その後でこの難局からいかにして脱出するかということに頭を悩ますのは馬鹿げている。ヨーロッパと世界の経済システムは現在あまりにも大きな諸矛盾の山――発展を促す矛盾ではなく、その一歩ごとにシステム掘りくずす矛盾――を抱えているのであるから、われわれがわが国自身の経済と世界の経済の全資源を適時利用するならば――そしてわれわれはそうするつもりである――、近い将来における歴史は、われわれが経済テンポにおいて勝利を収める好機をわれわれに与えるだろう。そしてその間に、これと平行して、遅滞したり後退したりしながらも、ヨーロッパの発展は政治的力の「係数」をも革命的プロレタリアートの側に移動させるだろう。全体として、歴史のバランス・シートはわれわれにとって大いに満足すべきものになるだろう。

 

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